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ヒトにはなれない異世界転生  作者: vastum


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13/50

第13話『理解』

帰りたい。


その感情だけが、なかなか消えなかった。


暗い横穴の奥で、グレイラーヴァは身体を丸めていた。


岩肌は冷たい。


湿気がある。


空気は細く流れていて、奥には小さな隙間があるらしい。


身を隠すには悪くない場所だった。


だが、落ち着かない。


巣ではない。


自分の匂いも薄い。


餌もない。


入口に骨を置いてもいない。


逃げ道の確認も完全ではない。


ここはただの避難場所だ。


人間に追われ、縦穴を抜け、血の匂いから逃げるように潜り込んだだけの場所。


安全とは言えない。


それでも、今は動けなかった。


身体の痛みではない。


毒の痺れでもない。


腹の減りでもない。


頭の奥が、ずっとざわついている。


人間の血。


たった数滴。


それだけで、何かが入り込んだ。


言葉。


感情。


記憶の断片。


帰りたい。


助かりたい。


怖い。


痛い。


仲間。


名前。


手を伸ばす感覚。


誰かに呼ばれる感覚。


それらはグレイラーヴァのものではない。


自分の中に最初からあったものではない。


血に混じっていたもの。


若い人間のもの。


それを拾ってしまった。


食べたから。


いや、飲んだから。


同じことだ。


摂取した。


取り込んだ。


だから流れ込んだ。


グレイラーヴァは、口の中を何度も擦った。


もう血の味はほとんど残っていない。


水も飲んだ。


岩に口元を擦りつけた。


それでも消えない。


味ではなく、情報が残っている。


頭の奥に、薄い膜のように張りついている。


人間の感情。


帰りたい。


それが、分からない。


分かるのに、分からない。


“帰る”という言葉の意味は分かる。


元いた場所へ戻ること。


自分の場所へ戻ること。


安全な場所。


知っている場所。


誰かが待つ場所。


それが帰るということだ。


けれど、グレイラーヴァには帰る場所がない。


巣はあった。


だが、それは自分が作った隠れ場所だ。


失って痛みはあった。


戻りたいとも思った。


でも、人間の血にあった“帰りたい”は、それとは違った。


もっと深い。


もっと柔らかい。


もっと苦しい。


自分の匂いがついた巣へ戻りたいのではなく、自分を知っている誰かのところへ戻りたい。


そんな感情だった。


自分を知っている誰か。


グレイラーヴァには、いない。


同族はいた。


食った。


見逃した個体もいた。


すぐに他の魔物に食われた。


人間は自分に名をつけた。


グレイラーヴァ。


だが、それは呼ぶためではない。


探し、記録し、殺すための音だ。


自分を待つものなどいない。


だから“帰りたい”が分からない。


しかし、分からないのに痛かった。


それが気味悪かった。


グレイラーヴァは、横穴の奥で身体を起こした。


このままじっとしていても、頭のざわつきは消えない。


動くしかない。


水が必要だ。


餌も必要になる。


それに、この場所も長くは使えない。


入口が一つしかない。


奥の隙間は細いが、自分が通れるかはまだ確認していない。


安全な巣にするには向いていない。


一時的な休息場所。


それだけ。


グレイラーヴァは入口へ向かった。


慎重に外を覗く。


暗い通路。


青白い結晶の光は少ない。


足元の岩は黒く、硬い。


上層よりも音が響きやすい。


少し動いただけで、爪の音が遠くまで伝わりそうだった。


脚の先を置く位置に気をつける。


振動を拾う。


近くに大きな気配はない。


小さい気配がいくつか。


虫。


たぶん骨喰い。


それから、何か柔らかいものが壁の裏にいる。


水の匂いは薄い。


血の匂いも薄い。


人間の匂いは、遠い。


グレイラーヴァは外へ出た。


壁沿いに進む。


灰色の外皮は、黒い岩には少し浮く。


完全には馴染まない。


上層の岩とは色が違う。


そのことが不快だった。


自分の身体は、あの灰色の岩に合っていた。


ここでは、少し目立つ。


また変わる必要があるのかもしれない。


黒い岩。


青白い結晶。


鉱毒の水。


骨喰い虫。


この場所に合わせて。


そう考えた時、グレイラーヴァの身体の奥が、静かに反応した。


変われる。


そう言っている気がした。


グレイラーヴァは足を止めた。


変わることへの恐怖は、まだある。


だが、最初ほどではない。


変わらなければ死ぬ。


この単純な事実が、恐怖を鈍らせる。


そして、変わった結果、生き延びている。


それも事実だった。


白いままだったら死んでいた。


柔らかいままだったら死んでいた。


壁を登れなければ死んでいた。


毒に少しでも慣れなければ死んでいた。


巣を作れなければ死んでいた。


変わったから、ここまで来た。


なら次も変わる。


必要なら。


そう思った直後、人間の血の記憶が揺れた。


帰りたい。


人間は、変わりたくないのだろうか。


それとも、帰る場所があるから変わりすぎないのだろうか。


分からない。


グレイラーヴァは進み続けた。


通路の先から、低い声が聞こえた。


人間ではない。


魔物の唸り。


グレイラーヴァは岩陰へ身を沈める。


奥の広い場所に、何かがいる。


ゆっくり近づき、覗く。


そこは浅い窪地のような場所だった。


中央に、小さな水溜まり。


その周りに、三匹の魔物がいた。


一匹は骨喰い虫。


もう一匹は鼠型。


そして、もう一匹は大きな魔物だった。


痩せた四足。


上層で巣を奪いに来た獣に似ている。


だが、こちらの方が黒い。


皮膚が岩の色に近い。


目が退化しているのか、小さい。


代わりに鼻が大きく、耳がよく動いている。


水場を縄張りにしているのだろう。


骨喰い虫も鼠型魔物も、近づきすぎないように水を飲んでいる。


黒い獣は、動かない。


だが、周囲を支配している。


グレイラーヴァは身を低くした。


勝てない。


今の状態で戦う相手ではない。


水は欲しいが、近づけない。


待つしかない。


それとも、別の水場を探すか。


グレイラーヴァは、黒い獣を観察した。


あれは目に頼っていない。


匂いと音。


なら、近づくのは危険。


刺激性の粉で嗅覚を狂わされた時のことを思い出す。


人間は、匂いを壊す道具を使った。


もしあれがあれば、この獣にも効いたかもしれない。


だが、今はない。


代わりに使えるもの。


腐肉。


毒。


血。


音。


石。


周囲を見る。


水場の近くに小石が多い。


壁の上には脆い岩がある。


骨喰い虫は骨に反応する。


鼠型は音に敏感。


黒い獣は匂いに敏感。


どう使う。


考えている自分に、グレイラーヴァは少しだけ冷静な感覚を覚えた。


敵を見る。


性質を読む。


環境を探す。


利用する。


それが自分の生き方になっている。


黒い獣が水を飲むために頭を下げた。


その時、鼠型魔物が少し動いた。


不用意に、小石を鳴らす。


黒い獣の耳が動く。


次の瞬間、獣が跳ねた。


速い。


鼠型魔物が逃げるより早く、その首を噛み砕いた。


音は短かった。


血の匂いが広がる。


骨喰い虫はすぐに離れた。


グレイラーヴァも動かなかった。


強い。


やはり無理だ。


黒い獣は鼠型魔物を咥え、水場の横へ戻る。


食べ始める。


その動作に無駄がない。


目が小さくても、音と匂いで正確に捉えた。


もし自分が近づけば、同じように噛み砕かれる。


グレイラーヴァは、別の道を探すことにした。


水場は諦める。


欲張らない。


生き残るために。


その時、黒い獣がぴたりと動きを止めた。


鼻が動く。


こちらを向く。


グレイラーヴァの体が固まる。


匂い。


嗅がれた。


まだ距離はある。


だが、風の流れが悪かった。


自分の匂いが水場へ流れている。


黒い獣が低く唸る。


立ち上がる。


探している。


グレイラーヴァはゆっくり後退した。


走るな。


音を出すな。


だが、黒い獣は鼻で追っている。


じりじりと近づく。


こちらの位置まではっきり分かっているわけではない。


だが、方向は掴んでいる。


どうする。


逃げるか。


逃げれば足音で追われる。


壁を登るか。


あの獣は登れないかもしれない。


だが、跳躍力はある。


近い壁は低い。


隠れるか。


匂いでバレる。


匂いを誤魔化すもの。


周囲を探る。


腐肉はない。


骨はある。


鉱毒の水もない。


自分の身体にあるもの。


蛇毒の残り。


口の中。


毒腺ではないが、蛇肉を食べた後の痺れた体液が少しある。


使えるか。


グレイラーヴァは、近くの岩へ口元を擦りつけた。


薄い唾液のようなものが岩に付く。


毒の匂い。


自分の匂いも混ざる。


それを一つ置き、すぐ横へ移動する。


さらに別の岩にも擦りつける。


匂いを分ける。


自分の位置を散らす。


黒い獣が近づく。


鼻を鳴らす。


一つ目の岩へ向かう。


毒の匂いを嗅ぎ、顔を引く。


警戒した。


効いている。


グレイラーヴァは、その隙に壁へ登った。


音を立てず、ゆっくり。


しかし黒い獣はすぐに反応した。


顔を上げる。


跳ぶ。


前脚が壁を叩く。


グレイラーヴァの後ろ脚を掠める。


痛み。


外皮が削れる。


だが、届かない。


グレイラーヴァはさらに上へ登る。


黒い獣が下で唸る。


強い。


だが登れない。


しばらく睨み合いが続いた。


グレイラーヴァは壁に張りついたまま動かない。


黒い獣は下で鼻を鳴らしている。


こちらを見失っていない。


しかし、攻撃は届かない。


このまま待つしかない。


黒い獣が諦めるまで。


時間が過ぎる。


脚が疲れる。


壁を掴む爪が痛む。


再生した脚が震える。


それでも離せない。


落ちれば死ぬ。


黒い獣はしつこかった。


水場を離れない。


自分の縄張りに侵入したものを許さないのだろう。


グレイラーヴァは、その感覚を理解できた。


巣を荒らされた時の怒り。


あれと似ている。


自分の場所。


自分の水。


自分の獲物。


それを守る。


魔物の感覚。


グレイラーヴァは、それを理解できる。


人間の帰りたいより、ずっと自然に。


そのことが、少しだけ嫌だった。


やがて、遠くから別の音がした。


人間の足音。


グレイラーヴァだけでなく、黒い獣も反応した。


人間は近い。


水場の方へ来ている。


黒い獣は低く唸り、グレイラーヴァから視線を外した。


縄張りに入ってくる新しい気配。


より大きな危険。


人間。


グレイラーヴァは壁に張りついたまま、音を聞いた。


二人。


いや、三人。


足音の乱れがある。


一人は怪我をしている。


昨日、縦穴で傷ついた若い人間か。


血の匂い。


薄いが覚えている。


同じ匂いだ。


人間たちが近づく。


「止まれ」


低い男の声。


また、あの男。


「水場に何かいる」


黒い獣が唸る。


人間たちが武器を構える音。


グレイラーヴァは壁の上で動かない。


黒い獣。


人間。


自分。


三つの危険が一つの水場に集まっている。


「ブラックハウンドだ」


若い男の声が震える。


肩を傷つけられた人間だ。


生きている。


「下がれ。足場を確認しろ」


低い男が言う。


「こいつと戦うのはまずい」


「水だけ取って戻るんじゃなかったんですか」


「予定は変わる」


黒い獣が動いた。


人間へ向かって跳ぶ。


速い。


だが人間たちは反応した。


重装の男が前に出る。


盾。


黒い獣の爪が盾を叩く。


金属音。


グレイラーヴァの身体が震える。


大きい音。


洞窟に響く。


他の魔物が寄ってくるかもしれない。


人間たちはそれを分かっているのか、短く動く。


低い男が横へ回る。


若い男は後ろへ下がり、何かの瓶を投げた。


瓶が割れる。


苦い匂いが広がる。


刺激性の粉か液体。


黒い獣が顔を振る。


嗅覚を乱された。


グレイラーヴァは、以前自分がやられたものだと理解した。


人間は同じ道具を使う。


匂いに頼る魔物へ。


黒い獣が混乱する。


動きが乱れる。


重装の男が盾で押す。


低い男が脚を狙う。


刃が入る。


黒い獣が怒りで跳ねる。


水場に血が飛ぶ。


グレイラーヴァはそれを見ていた。


人間は弱い。


だが、道具がある。


連携がある。


そして、相手の性質を見て戦う。


黒い獣が匂いに頼ると分かれば、匂いを壊す。


足場が悪ければ、盾で押して姿勢を崩す。


殺せないなら、逃げ道を作る。


あの戦い方は、自分に似ている。


いや、自分が人間の戦い方に似てきたのかもしれない。


環境利用。


観察。


弱点を突く。


グレイラーヴァは、壁の上から人間の動きを記憶した。


黒い獣が反撃する。


重装の男の盾を押しのけ、若い男へ向かう。


若い男の動きが遅い。


肩の傷のせいだ。


逃げきれない。


低い男が叫ぶ。


「伏せろ!」


若い男が伏せる。


黒い獣の牙が空を噛む。


その背に、低い男の刃が入る。


浅い。


だが血が出る。


黒い獣が低い男へ向く。


その瞬間、重装の男が横から体当たりした。


黒い獣が水場へ落ちる。


水が跳ねる。


苦い刺激液が水に混ざる。


黒い獣はさらに混乱する。


人間たちは畳みかけない。


逃げ道を開けた。


黒い獣が唸りながら水場から飛び出し、奥の通路へ逃げていく。


殺さなかった。


追わなかった。


若い男が息を切らす。


「追わないんですか」


「追えば死ぬ」


低い男が言った。


「目的は水だ。素材じゃない」


目的。


グレイラーヴァはその言葉を覚えた。


人間は、必ずしも殺すために戦わない。


目的が違えば、殺せる相手も逃がす。


それは不思議だった。


洞窟なら、弱った相手は食う。


逃がせば次に敵になる。


それでも人間は追わない。


なぜ。


危険だから。


必要ないから。


仲間を守るため。


若い男が怪我をしているから。


そう考えれば分かる。


だが、感覚としてはまだ遠い。


グレイラーヴァは、壁の上でじっと人間たちを見ていた。


水場の周囲は、黒い獣の血と、人間の道具の匂いが混ざっている。


人間たちは水を汲む。


その間も低い男は周囲を警戒している。


ふと、その視線が壁の上へ向いた。


グレイラーヴァは動かない。


しかし、低い男の目が細くなった。


見えている。


完全ではないかもしれない。


だが、何かいると分かっている。


「……いたな」


低い男が小さく言った。


若い男が顔を上げる。


「え?」


「動くな」


低い男は剣を構えなかった。


ただ、壁の影を見ている。


グレイラーヴァも動かない。


距離がある。


人間は登れない。


今すぐ戦闘にはならない。


だが、互いに認識している。


低い男は、静かに言った。


「グレイラーヴァ」


呼ばれた。


今度は、痕跡ではなく。


自分を見て。


その音が洞窟に響いた。


グレイラーヴァの中で、何かが震える。


名前ではない。


仮称だ。


分類だ。


危険対象の呼び名だ。


それでも、今この瞬間、その音は自分へ向けられていた。


低い男は続けた。


「見ていたのか」


グレイラーヴァは答えない。


答えられない。


人間の言葉は理解できる。


だが、この喉で返せる言葉は歪みすぎている。


それに、何を言えばいいのか分からない。


見ていた。


学んでいた。


理解しようとしていた。


お前たちの血を舐めた。


お前たちの帰りたいという感情を知った。


そんなこと、言えるはずもない。


低い男は、しばらくグレイラーヴァを見ていた。


若い男が震える声で言う。


「殺しますか」


低い男は即答しなかった。


グレイラーヴァの身体が緊張する。


殺すなら逃げる。


壁を走り、縦穴の方へ。


あるいは天井へ。


人間の動きより早く。


だが、低い男は剣を上げなかった。


「今はいい」


若い男が驚く。


「え?」


「こいつは襲ってこなかった。ブラックハウンドにも手を出していない。俺たちにもだ」


「でも危険個体でしょう」


「危険だ。だからこそ、無理に刺激しない」


低い男は静かに言った。


「水を取ったら戻る」


グレイラーヴァは、その言葉を理解しようとした。


殺せるかもしれない。


少なくとも攻撃する機会はある。


なのにしない。


なぜ。


危険だから。


目的が水だから。


仲間が怪我をしているから。


それだけか。


それとも。


分からない。


人間たちは水を取り、ゆっくり後退した。


低い男は最後まで壁の上を見ていた。


グレイラーヴァも動かなかった。


やがて、人間たちの足音が遠ざかる。


水場には、黒い獣の血と刺激液の匂いが残っている。


グレイラーヴァはしばらくそのままだった。


呼ばれた。


グレイラーヴァ。


そして、殺されなかった。


それが頭に残る。


人間は分からない。


殺すと言った。


討伐候補だと言った。


捕獲を否定した。


危険だと言った。


それでも今は殺さなかった。


行動が一つではない。


単純ではない。


魔物のように、空腹だから食う、危険だから殺す、というだけではない。


目的。


状況。


仲間。


判断。


そういうものが重なっている。


グレイラーヴァは、少しだけ人間を理解した気がした。


いや、理解ではない。


輪郭に触れただけ。


それでも、以前よりは近い。


グレイラーヴァは壁を降りた。


水場にはまだ水がある。


刺激液が混ざっている場所は避ける。


黒い獣の血が薄く混じった水も避ける。


比較的きれいな端から、少しだけ飲む。


苦い。


だが飲める。


その後、黒い獣の血が落ちた岩へ近づいた。


嗅ぐ。


強い獣の血。


食べれば筋力になるかもしれない。


しかし、刺激液が混ざっている。


危険。


グレイラーヴァは少しだけ舐めた。


苦味。


血。


薬品。


身体が反応する。


《刺激性薬液を微量摂取しました》


《嗅覚阻害耐性が微量上昇しました》


《黒獣の血液を摂取しました》


《筋力が微量上昇しました》


人間の道具すら、摂れば耐性になる。


グレイラーヴァは思った。


人間は道具を使う。


なら、自分はその道具に適応する。


それしかない。


戦い方を見た。


薬液を知った。


目的という考えを知った。


血から帰りたいを知った。


そして、呼ばれた。


グレイラーヴァ。


理解したい。


その欲求が、腹の奥に沈んでいる。


食欲と似ている。


だが、少し違う。


グレイラーヴァは水場を離れた。


黒い獣が逃げた方とは逆へ進む。


人間が去った方でもない。


別の暗い通路へ。


新しい巣を探さなければならない。


水に近く。


逃げ道があり。


人間に見つかりにくく。


強い魔物の縄張りではない場所。


考えることは多い。


生きるには、考え続けなければならない。


通路を進みながら、グレイラーヴァはふと、低い男の声を思い出した。


見ていたのか。


その問いへの答えを、今さら考える。


見ていた。


人間を。


魔物を。


戦いを。


助けるという行動を。


逃がすという判断を。


殺さないという選択を。


そして、少しだけ理解した。


人間は弱い。


だが弱いから、考える。


弱いから、守る。


弱いから、目的を決める。


弱いから、仲間を連れて帰ろうとする。


帰りたい。


その感情の意味が、ほんの少しだけ近づいた。


完全には分からない。


自分には帰る場所も、待つものもない。


それでも。


巣を失った痛みを思い出すと、人間の帰りたいは、少しだけ形を持った。


グレイラーヴァは、暗い通路の途中で立ち止まった。


自分は魔物だ。


死肉を食う。


毒を飲む。


同族も食った。


人間の血も舐めた。


それでも、人間を理解したいと思っている。


その欲求が何なのか、まだ分からない。


食べたいのか。


知りたいのか。


近づきたいのか。


それとも、ただ生きるために利用したいだけなのか。


分からない。


ただ一つだけ、はっきりしている。


人間を理解することは、危険だ。


人間の血を欲しがることと、とても近い場所にある。


いつか、その二つを間違えるかもしれない。


グレイラーヴァは牙を噛み合わせた。


まだ駄目だ。


そう思った。


人間を喰うのは、まだ駄目だ。


理由は曖昧だ。


だが、その曖昧な拒絶が残っているうちは、まだ止まれる。


グレイラーヴァは再び歩き出した。


脚が黒い岩を掴む。


振動を拾う。


遠くで、何かが水を飲む音がした。


さらに遠くで、人間の足音が上へ戻っていく。


その音はもう、ただの危険音ではなかった。


意味を持つ音。


誰かが誰かと共に帰る音。


グレイラーヴァは、その音が消えるまで、しばらく耳を澄ませていた。

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