寝るのが好きだという不思議
人間は肉体というものを使って生きている限り、脳内の快感物質に支配されている。気持ちがいいとか満足したというのは脳内で快感物質が分泌されているだけだ。しかし不思議なのは睡眠だ。
寝るのが好きだという人がいる。かくいう自分も寝るのが好きだ。しかし寝ているときは基本的には覚醒していない。本当は何かしら感じているのだろうが、意識に上がってこないし、多分快感物質は分泌されていない。いや、わずかにされているのかもしれないが感覚として捉えている自覚はない。起きたときのすっきり感とか満足感は覚醒後の快感物質にそう感じているだけだ。しかしそれだけではないよう気がする。寝ている状態が好きだと感じているような気がするのだ。何も感じていないはずなのに快感なのかもしれない。矛盾している。
唯一脳内の快感物質に支配されない快感を睡眠時には感じているのかもしれない。そうして死というものは、寝ている状態と似たようなものかなとも考える。で、あれば寝るのが好きな人は、死を恐怖とは捉えられないのではないか? 死んだら自分の好きな寝ている状態がずっと続くのかと思えば、楽しみですらあるのではないだろうか?
よく寝る時に、もしこのまま目が覚めなかったらどうしようかと、不安になる人がいるようだ。実際に脳梗塞や心不全、突然死などで寝たまま死んでしまう人もいるようだ。それは恐怖なんだろうか? それこそ言葉の通りずっと寝て暮らせるのだ。死んでいるのだから、暮らしているという表現はちょっと違うのかもしれないが、それはそんなにネガティブな事なのかなと考えてしまう。むしろ死の瞬間というのは痛みや苦しみが伴う事があるらしいので、それがない分お得だなという事にはならないのだろうか?
そうして睡眠は公平だ。資金力や権力で食事内容なんかは変わってくる。それらを持っている人は、脳内の快感物質をドバドバ出せるようなものを食べられるのかもしれない。他にも娯楽と称されるものは殆どが、個人の持つ力で分泌される快感物質の量に差が出るかもしれない。しかし睡眠は完全に一人作業だ。もちろん暑い夜は空調を効かせるとか、ふかふかのベッドや布団に包まれて気もよく眠るとか、シルクの肌触りのいいパジャマで寝るなど、睡眠に快適な環境を生み出したりはあるかもしれない。しかしそれは睡眠という行為の本質ではないような気がする。本質の部分は常に公平だ。
死は何人にも公平に訪れるとよく言われる。時の権力者は、死後も豊かな生活を実現するために、従者を殉職させたりもしてきた。無茶苦茶だ。そんなことは無理だと思うし、多分その予感は当たっている。
死は公平だし、睡眠も公平だ。




