方法論の相違
最近は戦争反対のデモもやり方が変わってきているという話をテレビで見かけました。そう言えばスタイルはともかく、そんな主張の街頭デモを今までにも何度となく見て来たなと思いました。そうして果して、戦争反対じゃない人なんかいるのかなとも思いました。
最近何かというと武力に訴えて、相手を思い通りにしようとする大国のトップがいます。彼らが戦争を起こしたりしているので、そういった行為に反対しているという事でいいんでしょうか? きっとそういう戦争を仕掛けている人間ですら、本当は戦争には反対なんだろうなと思うわけです。戦争が無くて平和で、誰もが幸せに笑って暮らせるような、そんな世界が嫌だっていう人はいないと思います。誰しもがそうしたいと思っているでしょう。ただ彼らはそういう世界を実現する為の手段として、ああいった行動をとっているのでしょう。
ただ方法論が違っているだけです。多少の争いはあってもそうしたほうが、最終的な平和に近いと思いこんでいるだけなんでしょう。つまり戦争反対という人々は、そういう手段を用いて理想の世界を創り出そうという、その方法論に対して反対をしているという事でいいんですよね?
例えば力ずくで理想の世界にするために強硬策をとれば一年で済むという場合、そうでない方法で百年かかるとしても、百年かけろって事ですよね? あ、この書き方だと私が何か戦争容認推進派みたいに聞こえてしまいます。断っておきますが、勿論私も戦争なんてして欲しくないし、あほらしい行為だと思っています。力同士のガチンコ勝負で何かを決めたいのなら、将棋でもしてればいいと思っています。特に最近は無人兵器とか使ってますから、資源の無駄使いです。ゲームでも一緒なんじゃないかと思います。
ただ方法論を争って、自分の考える方法(平和的手段?)が素晴らしいと主張する方法として(あえて韻を踏んでみました)、街を徘徊するデモ活動というのが果して有効な手段であったんでしょうか? それもまた方法論の一つではありますが……。
声を上げる事は大切だし、素晴らしい事だと思います。であっても従来のような交通を妨げて、暑い中プラカードを掲げて熱中症と戦いながら街を徘徊するよりも、テレビで紹介されたように散歩のついでに公園で座ってまどろむような、そんな今風のデモ活動も悪くないなと思いました。




