イスラム圏での交渉
若いころにはいろいろな国を旅したものですが、イスラム圏にも行きました。そこで生活するときに気になったのが、定価の不在です。今は西側の影響もあってスーパーなどでは定価表示がされていると思いますが、昔ながらの店舗は以前と同じく定価表示はしていないんじゃないでしょうか?
じゃあどうやって価格を決めるかと言えば、はっきり言って売り手の気分次第です。定価生活の我々からしてみれば、無茶苦茶だなと思ってしまいますが、例えば砂漠で遭難している時に定価100円のペットボトルの水の価値は100円なんでしょうか? 置かれた状況や支払い能力、求めるものの希少性やどれくらいそれを欲するのかによって価格は変わるものだというのは、むしろ非常に合理的だとも考えられます。
しかしなかなかに面倒くさかったです。何かしらを買い物をするときに、いちいち価格交渉をして価格を決めないといけません。もちろん海外からの旅行者だと知ると最初は吹っ掛けてきます。そこからあの手この手で値引き交渉が始まります。もうそれが標準であれば、それを楽しむしかないだろうと悟りの境地に達します。但し同じ旅行者でも、一般的な観光客と少々薄汚れたバックパッカーでは扱いが違うようで、違う店員が出てきてこいつらは違うからやめておけみたいなアドバイスをしていたりしました。
日本で同じことをされたら、なんと欲深い奴らだという事になるかもしれませんが、彼らに悪気はないですしそれが普通なわけです。それをネガティブな感情を抱いてみることは、一方的にこちら側の価値観を押しつけていることになります。これは分かりやすい一例であって、イスラム圏で生活すれば様々な部分で価値観の相違を感じてしまいます。
ただ人間、悪い人間なのかいい人間なのかは、なんとなく雰囲気で感じ取れます。何をもって良いか悪いかの前提は置いておいて、不思議なことに生き物として何かそれを感じとることができます。先ほどのイスラム圏での売り主も、決して悪い人間だという印象は受けたりしませんでした。むしろ一緒に酒でも酌み交わせば(イスラム圏で飲酒はご法度ですが)楽しく話せるような気すらする人が殆どです。
アメリカとイランはいくら交渉を続けても、なかなか進展しそうにないですね。根本的に考え方が違うので、そりゃそうだろうなと思います。しかし建築業界でいえば、そろそろ影響が広がり始めています。感覚だと6月中になにかしらの決着をつけてもらわないと、そこら中で工事が止まってしまうような気がしています。
交渉というのもちょっと違いますね。一方的に始めた方がいつやめるかを判断するだけです。本来であれば国際社会が止める必要があったと思いますが、全く機能しませんでした。みんな楽しく笑って暮らしたいだけなのにうまくいきません。神様というものが存在するなら、どう思っているんでしょうね。




