パンダの愛
翔視点で、この話の根幹の話です。パンダが何で、何が起こっていたのかが書かれています。ハッピーエンドと言うには苦みがのこるタイプの話なので、苦手な方はパンダはきっと神様の遣いで妖精さんだったんだとでも思っていただければいいです。
この話がなくても、影路ちゃんと佐久間君のお話は完結しております。
「なあ、あんたは今はどっちなん?」
「みゃあ?」
「人間なん? パンダなん?」
「みゃう」
俺の前に現れたパンダは、恍けたように首を傾げる。……正直、俺の方が首を傾げたいわ、この状況。でもパンダは俺に最後の挨拶をする為に、ここへやって来たのだろう。
「ほんま、良かったん? これで」
「みゃあ」
やっぱり分からない。
挨拶をしに来たのだから、元人間の部分が多いのだろう。でも人間らしい生活をできなくても、当たり前に過ごす彼女はすでに人間の枠組みから逸脱する。そもそも見た目はまんまパンダやし、生まれもパンダ。……彼女の前世である人間の肉体もずっと昔に茶毘に付している。元の人生に戻る事などできない。
そして彼女が再び人間になろうとするならば、誰かの肉体を乗っ取るしかない。……一度だけ俺の能力【魂替】でチャンスは渡した。けれど彼女は幼い子供のように振る舞い、結局元のパンダに戻った。
つまりは、自分はパンダの子供であって、前世の自分ではないと言いたいのだろう。……だったら律儀に前世の自分が残した予知の道を進まなくてもいいのにと思うけれど、もしかしたらこっそり全て予言にして来世の未来を縛ったのかもしれない。
どちらにしても憶測や。俺はなんも教えてもらえなかった。
ただ巫女の望みを叶えれば、未来で【箱庭】から出られるようにしてくれるという言葉にのっただけ。そもそもまだ幼い俺をそそのかすのなんて簡単やったやろう。
「アンタは……幼い俺のトラウマやで。ほんま」
俺はそう愚痴りながら、過去の事――すべての始まりを思い返した。
◇◆◇◆◇◆
俺が【箱庭】に入れられたのは、物心ついた後やった。普通なら物心つく前に入れて、外部との関わりをなくし、家畜と化した化け物を作る場所や。
ここしか知らず、他者との接触も極端に減らされている子供は、作り上げられた世界を普通だと認識し、ここを管理する者の意のままの行動をする。Aクラスより更に酷い場所やと俺は思う。優しい嘘で塗り固められた、永遠の子供部屋。正直大人になってしまった後に、ここの外に追い出されたら、自死を選ぶやろうな。基本能力を使えば使うほど短命となる、とんでもない能力の持ち主が住まう場所やから、ありえへん仮定やけど。
そんな場所に俺が入ったのは、小学校に進級する直前やった。それまで【魂替】なんて珍しすぎて、Dクラス扱いやったからな。
でもその能力で、ちょっと事件を起こしてもうて、刑務所ではなくここに入れられた。正直、最初は泣き叫んでたなぁ。好きなもんは食べれるし、アニメも漫画も見放題。ゲームもできるし、運動する場所も用意してもらえる。でも友達はおらへんし、家族にもあえへん。
Dクラスでも珍しく親が手放さなかった俺は、裕福とは言えんけど、幸せやったと思う。勿論そんなの、普通をなくしてから初めて知ったけどな。でもその普通が恋しくて恋しくて泣いとった。
そんな中、俺にこっそり、外に出たくはないかと囁いた巫女がいた。ここのままではずっと、この場所で飼われる事になると。
俺は彼女の言葉に、ようやく駄々をこねて泣き叫ぶのをやめた。ただ泣き叫ぶだけでは外に出られないと気が付いたんや。
彼女とは長時間話せない。けれど、こっそりと短い言葉をやり取りしたり、暗号ゲームをしたりしてやりとりをした。どうやら彼女は俺が泣き叫び暴れ回るのを止められた為、俺との関わりを多くすることを許されたらしい。でも四六時中俺らの行動はカメラや盗聴器で監視され続けている。だからできるだけ分からないように、少しづつ、少しづつ会話を続けたんや。俺もなんやスパイゲームをしてるみたいでおもろかったしな。そう思うと、子供の柔軟性ってほんま高いな。
ある日巫女から暗号ゲームで、自分の魂を遠く離れた場所のパンダに入れて欲しいと頼まれた。交換ではなく、自分の魂をパンダに同居させてほしいと。
そんなんした事もあらへんし、自分ができるのは二つの魂を入れ替える事や。そして距離が離れるとものすごく疲れる。その疲れるが、寿命を削ってるという事だと知ったのは、もっと後の事や。誰も、そんな事は教えてくれへん。ただ俺らが仕事をこなすと、とにかく褒めるだけ。子供である俺らはそれが嬉しくて、どんな願いも叶えてしまう。
いいように扱われとったんやなと気が付くのはもう少し未来の話やな。外の世界を知っとって、少しだけ純粋培養な奴らとは違っても、俺も所詮無知なガキで、同じようにいいように扱われとった。
そして巫女にこの日にお願いと頼まれていた日時に、俺は遠くの動物園に巫女の魂を送った。解除すれば元に戻ると分かっとったから、そこまで不安ではなかった。試しに事前にできるかやった時は、魂がなくなった巫女の体は眠っているだけやったからな。
でもその日から巫女は俺の前に姿を現さなくなった。解除してもや。
別の世話をする巫女に聞けば、死んだと言われ、頭が真っ白になった。
前の時は、間違いなく巫女は眠っているだけやったし、解除すればすぐ元通りになった。だけどもしかしたら俺は殺してしまったんやろかと恐怖と後悔でぐちゃぐちゃになった。
しばらくの間、俺は幼児退行を繰り返したが、巫女たちは俺が一番懐いていた巫女が死んでしまったのが原因やろうと思われとったと思う。
その後夢の中で、湧と出会ったりして、俺は徐々に精神安定を取り戻した。
それから俺は様々な人と夢の中で話すなどを繰り返すうちに、ようやくあの巫女の目的が見えて来た。そして予言とやらが実行されることで【箱庭】からでられるのだろうと。
ただずっと、パンダに魂を送れと言った理由が分からんかったが、影路ちゃんを中心として色々な事件が起こり始めた時、ようやくつながった。
影路ちゃんの傍には、子供のパンダがおった。パンダにしてはとても賢く、能力も持っとった。ただし巫女の持っとった【予言】ではなかったが。
それは彼女が既に彼女ではなく変質した事を意味しているのだろう。
「まさか、魂入れたパンダの子供として生まれ直すとは思わんかったわ」
既に魂が入っている中に入れば、片方の魂は休眠する。大抵は、元の持ち主の人格の方が体との結びつきが強いので、乗っ取る事などできない。やから、俺の能力はあくまで【替魂】。交換すればそれぞれ体を使えるが、片方の魂を別の器に入れたところで何の意味も持たない。だからあの巫女以外やらせようとする者もいなかった。こん睡させる事だけが狙いならば、俺の能力を使うまでもない。
でもそこに新な命が育まれれば、そちらに移動することができたのだ。彼女は予知でそれを知っていたのだろう。そして予言した。
だから彼女は、丁度影路ちゃんの予言が施行される時間軸に割り込み、神様が望む少しでも影路ちゃんと湧が幸せになれる方向に予言が成就されるよう導いたのだ。
◇◆◇◆◇◆
「なあ。アンタがした事でトラウマにはなったけど、【箱庭】壊してくれた事は感謝してるんや。【箱庭】が壊されて、今混乱の極みにいる人もおるけどな」
俺と違いここで生まれ育ったような子供は、突然クラスがなくなり、教育方針が変わった事で混乱している。幼さによる柔軟性で、立ち直れる事を祈るしかないが、もしかしたら自死を選んでしまう子もおるかもしれへん。でも俺は感謝している。
自分が後何年生きられるかは分からんけど、飼い殺されて死ぬよりはマシや。
「やから、妊娠しそうな人間にアンタの魂を移し替えてもええよ?」
案外影路ちゃんとかいい気がする。
たぶん彼女は、あの風使いの男と結婚するのだろう。予言者やなくても分かりやすい。子供ができるかどうかは賭けでしかないが。
「みゃみゃ」
パンダは首を横に振った。
そっか。もう、十分生きたんやな。
予言をしてしまった償いの為だけに、最後の人生を使い続けた彼女は、その人格を守ったまま次の人生を歩みたいとは思っていないらしい。
能力さえ使わなければ、次の生はでは真っ白な魂になり、こんな地獄があった事も知らずに生きて行くのだろう。そしてそれまでは、パンダとして生きて行くのだ。
「なんや、全部神様の思い通りに行っているみたいでムカつくな」
全ては神の手の中で。
俺らがした事は、自分の意志ではなく、神様が作ったストーリの上を歩いていただけのような、いいしれぬ不快感が残る。
「みゃ」
「……そうやな。でも、不自由な中で選んできてるんやな」
違うよと言うかのようにジッと見られて、俺は苦笑した。
予知は勝手な受信。予言するかは自分で選べる。
そして予言には幅があって、ちゃんとその言葉さえあっていれば、違う結末も選べる。すべてが四角四面に決められているわけではなく、選んでいる。選ばされている場面もあるかもしれないけれど、全てが全てではない。
「ほな。俺も残りの人生、せいぜい自分らしく生きたるわ」
「みゃ、みゃ」
折角やから、生まれ育った町で何か店を始めてもいい。能力者の階級制度が消えてしまったから、仕事やて自由や。せいぜい神様に利用されても後悔だけはしないように生きよう。
パンダが出て行った部屋で、俺はそう目標を立てた。