第六話
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結局あの後もファーゼス様は側に居て、気遣ってくれていた。
『お前を諦められなくて強引な手段に出た俺のせいだ』と『怒るなら俺を』と何度も謝られていた。
確かにあの時のリブラミア様は怖かったけれど、二人を責めたいわけではなかった。
この国に迷い込んだ自分にも、少なからず責任はあると感じていたからだ。
夕方になると『用がある』とファーゼス様も部屋から出て行った。
その際に夕食を用意していってくれていた。
この国に来て何回も食事をしたが、どれも美味しい料理ばかりだった。
王宮の料理人が素晴らしいのか、それともこの国の料理がレシアーノの舌にあっているのかは不明だが、いずれにしても美味しいことには変わりなかった。
思えば、一人で食べる食事は初めてだ。
いつも真横にはリブラミア様が居たからだった。
部屋を出ていった時の彼の後ろ姿は、生気が失われていて今にも倒れてしまいそうだった。
美味しい食事を前にしても無意識に考え込んでしまっていた。
食事を半分食べ終えた頃、部屋の扉から控えめなノック音が聞こえた。
音の後に誰の声もしない。
ファーゼス様が戻ってきたのかと思い、食事を中断して扉まで向かった。
扉の前に立つと、扉の向こう側から想像していた人の声とは異なる弱々しい声が聞こえてきた。
「レシアーノ……、そのままでいいから聞いてほしい」
名乗られなかったが、声だけで誰か判断がついた。
「リブラミア様…?どうされましたか?」
呼びかけても、しばらく返事は返ってこなかった。
それでも、扉の向こう側から人が歩いていった音はせず、まだ扉の前に彼が立っているだろうと静かに返答を待っていた。
どちらからも話さず沈黙が流れる中、扉に手をつく音がした。
その後に、最初に聞こえた弱々しい声よりも、苦しげで掠れた声がした。
「ごめん……、怖がらせてしまって。私は貴方を、…傷つけてしまった」
言葉を詰まらせながらの謝罪が聞こえた。
『怖くなかった』とは言えず返答に迷っていると、彼は言葉を続けた。
「仮婚約を解消されても、側に居ることが出来なくなっても構わない……。だから…………、だからどうか、遠くから貴方を想うことは許してくれるだろうかっ……。触れられなくても、言葉を交わせなくてもっ……」
最後まで話されることはなく、途中で言葉は止まってしまった。
また二人の間に沈黙が流れる。
次に沈黙を破ったのはレシアーノだった。
見えない扉の外から聞こえる声が、悲痛で、辛そうで、生気を失った後ろ姿を思い出して心配になってしまったのだ。
恐怖心よりも心配な気持ちが上回り、部屋の扉を開けていた。
前触れもなく開いた扉に彼は一瞬ビクリッと肩を震わせ、扉に付いていたであろう手を静かに引っ込めた。
下を向いている彼の表情はわからなかった。
彼に近づきそっと頬に手を添えると、手が水で濡れたことに目を見開く。
よく見れば肩も僅かに震えていた。
その姿に漸くレシアーノは気がついた。
わたしの痛み以上に彼が傷つき、痛み、苦しんでいることに。
こんなにも優しい人を狂わせて傷つけさせてしまった。
レシアーノはそっと頬に添えた手で、リブラミアの顔を上げる。
青白い顔をした彼は、躊躇いなく瞳からぼろぼろと涙を零していた。
彼の涙をそっと指先で拭った。
その指先の優しさに、リブラミアの涙はまた溢れ出した。
レシアーノはまた彼の涙をそっと拭う。
何度も繰り返す指先に、彼の手が一度触れようとして直前で手を引っ込めてしまった。
それから唇を噛み締めて、苦しげに問いかけられた。
「触れられるのは…嫌か?私がっ………、私が、嫌いか?」
彼の縋るような声に、心がギシギシと軋んだ。
子供みたいに縋り泣く王子様を、わたしは拒絶することなんて出来ない。
これ以上、彼が傷つき壊れないようにと言葉に想いを乗せた。
「わたしはリブラミア様を嫌ってはいません。だから、触れてください」
そう言って、彼の両手にそっと触れると、自分の頬に両手を持っていった。
レシアーノの頬に添えられたリブラミアの両手が躊躇いながら、ゆっくりと頬を撫でた。
彼は震えた小さな声で『ありがとう』と言って、また涙を浮かべた。
それからまた黙り込んでレシアーノの顔を見つめていた彼が、悲しい顔で唇に視線を向けていることに気がついた。
「口付けしてもいいですよ」
レシアーノがそう言うと、彼の目は驚きに見開かれた。
その目はすぐにまた暗い色を宿し、唇を見つめた。
彼は何度も諦めようとしたのか、視線を外したり、手を握りしめる仕草をしていた。
それでも諦めきれなかったようで、レシアーノの頬に右手を添えて上を向かせると、彼の顔が近づいてきた。
数センチで唇が重なり合うところで、一度止まり、それから静かに唇を重ね合わせてきた。
触れるだけの優しい口付けだった。
唇が遠ざかりお互いの顔が見える距離になると、彼は泣き腫らした目を細めて微笑んだ。
「レシアーノ、貴方だけを愛しています」
宝物を抱きしめるような優しさで包み込まれ、愛の言葉を囁かれた。
返事の代わりに彼の背中に優しく両手を添えた。
この時、レシアーノは思っていた。
これ以上、彼を依存させてはいけないと。
わたしはいずれ元の国に帰る異物な人間なのだからと。
早く元の国に帰る方法を探さなければと決意していた。
***
リブラミアが落ち着きを取り戻した頃、レシアーノは彼の手を取りソファーまで移動して腰掛けた。
リブラミアも素直に隣に座る。
そして、テーブルに置かれた食べかけの料理を目にして、申し訳なさそうに言った。
「レシアーノは食事中だったんだね。邪魔をしてごめんね」
「大丈夫ですよ。リブラミア様も一緒に食べましょう」
「いや、私は大丈夫だよ」
「朝から全然食べてないじゃないですか!食べないと怒りますよ?」
「えっ?それは困る、今すぐ食べる!レシアーノが一番好みではない料理を少し頂戴」
「ふふっ…わかりました!どれも好きですけど…、こちらの料理を半分こしましょうか」
「ああ、貴方と食べられるのなら何でも嬉しいよ」
「またそう言うことを…」
「本心だよ。………………ねぇ、レシアーノ」
「はい。なんでしょうか」
「私を捨てないでね?」
「すてっ!?王子様にそんなことはーーーー」
「もう離れられないからねっ……。レシアーノ、もう一度してもいい?」
間近にあった端正な顔は陰り、瞳が切なく揺れていた。
勿論この状況で断れるわけもなく、小さく頷いた。
すると、今度はすぐに唇を奪われた。
数回触れるだけの口付けを贈られると唇は離れていった。
「ねぇ…レシアーノ、消えたりしないでね。勝手に元の国に帰ったりも。約束して?」
優しい口調だが、彼の目がレシアーノの本心を見抜いているように見えて一瞬目を逸らした。
それがいけなかったのか、彼からまた唇を奪われる。
激しい口付けの合間に見えた彼の顔は、悲しげに歪んでいた。
「約束…します」
そんな顔を見てしまっては、そう言うしかなかった。
レシアーノのその言葉に彼の口付けは止まり、もぞもぞと動き膝の上に頭を移動させると寝転びはじめた。
リブラミアに膝枕をする体勢となっていた。
「レシアーノの食事が終わるまで、ここで休んでいるね」
彼はそう言ってにこっと笑うと、瞼を閉じた。
本当にこの体勢で彼は寝るつもりみたいだ。
抱きつかれるよりかは幾らか食事がしやすい体勢だったけれど、慣れない状況に食事をする手が遅くなっていた。




