第五話
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レシアーノが仮泊まりしている部屋まで戻ると、朝食が乗っていたお皿は片付けられていて、テーブルにはティーセットが準備されていた。
ティーポットの中身からは湯気が漏れていて、置かれてから時間は経っていなかった。
リブラミアはレシアーノをソファーに押し倒し、その上に覆い被さった。
急な展開に体を固くする。
そんな様子を気にも留めず、押し倒した体勢のまま顔を接近させてきた。
彼は右手でレシアーノの頬に手を添えて視線を合わせると、真剣な顔をして言った。
「ねぇ、レシアーノ。貴方は私を選んでくれるよね?」
「……選ぶ?」
「私と結婚してくれるよね?」
「それは……」
すぐに肯定しなかったのが気に入らなかったのか、彼はレシアーノの肩口に顔を埋めて無言になった。
動きを止めた彼を静かに見守っていると、消え入りそうに小さな声が耳元に届いた。
「口付けは駄目でもこれならいいよね…」
これとは?と聞き返す間もなく、首筋にぬるりとしたものが触れた。
数秒経ってから、それは彼の舌だと理解して一気に顔が赤くなる。
レシアーノは動揺と恥ずかしさで言葉を失っていた。
一度だけ舌の感触と異なる唇が触れる感触がした。
その瞬間だけチクリと痛みが走り、体が強張る。
「リブラミア様…っ?いま、何を?」
「ふふっ…私の印をつけただけだ。レシアーノが口付けを許してくれるまで、毎日つけるよ」
「え!!毎日この状況になるのですか!?」
「…逃がさないよ?」
真っ赤に沸騰しすぎたレシアーノの顔からは、フシュ〜と音がして意識が遠のいていった。
「レシアーノ?大丈夫ですか!?」
耳に届く声が遠くなり、意識はそこで途切れた。
***
目を覚ました時にはベッドで寝ていて、リブラミア様に『やりすぎました、ごめんなさい』と謝られた。
『これから参加しなければならない会議があるから、しばらく部屋で待っていて』と言って彼は部屋を出ていった。
部屋に残されたレシアーノは、大人しくベッドの上で借りた本を読んでいた。
ほのぼのとした内容の小説に、ふふっと笑みを溢し、ゆったりとした時間を過ごしていた。
そこに、
ーーコンコンッ…
扉からノックの音が響いた。
本をめくる手を止めて扉に視線を向ける。
ノック音の後には誰の声も聞こえず、シーンと静まり返っていた。
気のせいかと思いまた本を読み始めると、再度ノック音が聞こえてきた。
不審に思いドアの前まで警戒しながら近づくと、扉が急に開いた。
そこに立っていたのは、昨日ぶつかってしまった長身の男性だった。
「…………入るぞ」
そう言うと、躊躇いなく部屋の中へと入って来た。
突然の訪問者に警戒を強める。
しかし、昨夜ぶつかってしまった後ろめたさから、追い返すことまでは出来なかった。
怒られることを想像して黙って立っていたレシアーノは、予想外に優しい男性の表情に自然と警戒心を緩めた。 彼はレシアーノの手を引き近くのソファーに座らせると、横に彼も座った。
「あなたは昨日の…、どうしてここに?」
「………俺はファーゼスだ。お前の仮婚約者になった」
「か、仮婚約者?」
「…………そうだ」
ファーゼスと名乗る男性は、無愛想な言葉とは真逆に柔らかい表情でこちらを見ていた。
レシアーノの髪を一房手に取って、くるくると触る手つきも優しい。
「ファーゼス様………」
「なんだ」
独り言がぽつりと口から出て名前を呼んでいた。
どこかで聞いたことがある名前……。
というか……、
それよりも……、
『仮婚約者になった』って言わなかった!?
耳を疑う発言を聞いてしまい、脳内処理が追いついていなかった。
そのせいで、名前について抱いた違和感を忘れた。
「わたしの仮婚約者様はリブラミア様のはずですが?」
「兄上はさっき、正式ではないと言っていた…」
「さっき…?」
「………お前を……呼び止めただろ?」
わたし、誰かに呼び止められたっけ?
「えっと………」
「俺はお前の正式な仮婚約者だ…。母上にも言った」
「え!女王様にも!?正式って何をしたのですか!?」
「お前に……口付けしたが?」
「え?……あの時のく…ちづけが何か?」
「正式な婚約者はお互いの同意による口付け、正式な仮婚約者は一方の願いと口付けだ」
つまり、
正式な仮婚約 = 一方の同意+口付け
正式な婚約 = 双方の同意+口付け
正式な結婚 = 双方の同意+深い口付け
ということかしら???
『同意』は何をもって決まるのかは不明だけど…。
人間は届出とか書類が大切だけど、精霊は口付けが重要なのね!?
リブラミア様が口付けしたがってたのって、これが理由だったりするの…?
この状況はまずいんじゃ……
必死に状況整理をしている間に、ファーゼスは元々胸元が大きく開いていた服を脱いで、上半身裸となっていた。
突然視界に男性の上半身裸姿が映り、状況整理を放棄して慌てて声を出した。
「えっ、ちょっ!?ファーゼス様?」
「仮婚約の、印だ…」
ファーゼスはそう言うと肩口を指差す。
そこには紋章のようなものが浮かび上がっていた。
「………お前の紋章だと思う。正式な契約は、男側に紋章が浮かび上がる」
「すでに正式な仮婚約の契約が発生しているってことですか!?」
「そうだ。お前は………、俺が嫌いか?」
「嫌いではないです。まだファーゼス様をよく知らないですが」
「…………そうか」
無愛想な言葉の後にふわりと笑った笑顔が見えた。
不意打ちな微笑みにドキリと胸が高鳴った。
彼はご機嫌になり、大きな体でぎゅっと抱き込んできた。
それから、レシアーノの髪を梳きはじめた。
なんだか大きな獣に懐かれたみたいだ。
彼は悪い人では無いのは確かである。
だけど、知らぬ間にファーゼス様と仮婚約が成立してしまっていたことには動揺が隠せない。
そしてなによりリブラミア様よりも先に成立した。
その事実に、背中に冷たい汗が流れた。
この状況をリブラミア様が知ってしまったら…。
その時、
部屋の扉が開くのと同時に、今一番会いたくない人の声がした。
「レシアーノ、戻りました!誰も来てないでーーー」
上機嫌で扉を開けたリブラミアは、ソファーに座るレシアーノと上半身裸のファーゼスの二人を見て絶句した。
衝撃のあまり言葉を失った。
石のように固まって動かなくなっていた。
それから数十秒後にやっと我に返ったリブラミアは、全身から殺気を放ち出した。
静まり返った部屋に不穏な空気だけが流れる。
ファーゼスを睨みつけながら二人の前までやって来たリブラミアは、怒りに任せて怒鳴り散らした。
「ファーゼス!!お前、レシアーノに何をしている!」
レシアーノからファーゼスを力任せに引き剥がし、床に叩きつけた。
「………………っ…」
ファーゼスが痛みに顔を歪めた。
怒りに我を忘れたリブラミアは、ファーゼスに畳み掛けるように怒鳴った。
「何をしていたと聞いているっ!!」
「…………正式な仮婚約を言いにきた」
「正式、な………?」
想定していなかった言葉に疑問を口にしたリブラミアは、ファーゼスの肩に浮かび上がった紋章に目がいった。
「その紋章は……」
「レシアーノのだ」
「お前!私がいない間にレシアーノに口付けしたのか!?」
「…………………この紋章が事実だ」
「…………っ!!」
リブラミアは怒りに身体中を震えさせて、ファーゼスからレシアーノに視線を移した。
「レシアーノ……、ファーゼスと口付けしたのですか?」
「あ、えっと、あれは事故というか、その」
「私には、口付けを許してくれなかったのに!ファーゼスには口付けさせたと言うことですか!?………赦さない!認めない!もう貴方の気持ちなんて関係ない!!今すぐ私のものにするっ!」
何かに取り憑かれたかのように彼の表情は仄暗さが増していた。
呪いかけるように言葉が吐き出され、強引にソファーに押し倒されていた。
止める声は彼に届かず、荒々しく唇を奪われた。
一度ではなく何十回も口付けた後、唇をこじ開けられてねっとりとした舌に口内を荒らされる。
息を吸い込むことすら赦さないと、口を塞がれ続けていた。
レシアーノは窒息する直前でリブラミアの肩を叩くと、漸く唇が離された。
「このまま既成事実でも作りましょうか。貴方が成人した日に、私のものになるように…」
激しい口付けの後、リブラミアはそう言った。
落ち着いた声とは裏腹に、発した言葉は物騒だった。
彼の鋭い瞳が逃さないと、拒否は赦さないと言っていた。
普段のリブラミアとかけ離れた彼の姿に、カタカタと体が震え出す。
もう一度リブラミアに口を塞がれそうになった時、
バンッ!!!!
大きな音がした。
それはリブラミアが吹き飛ばされて、壁にぶつかった音だった。
「……頭を冷やせ!……怯えてるだろっ」
ファーゼスの怒りの籠った声が、部屋に響いた。
リブラミアが吹き飛ばされた原因は、ファーゼスの魔法によるものだった。
その証拠に、ファーゼスは片手をリブラミアに向けていた。
リブラミアはゆらゆらと視点が定まらない瞳で、レシアーノを捉える。
カタカタと震えるレシアーノが恐怖心を露わにしてリブラミアを見ていた。
その姿を見て、リブラミアの血の気がサーッと引いた。
みるみるうちに顔が青ざめていった。
カタカタと震え続けるレシアーノ、青ざめて絶望と書かれた顔で動けなくなっているリブラミア。
二人はお互いに見合ったまま、時間だけが過ぎていった。
動けなかった二人のうち、先に行動を起こしたのはリブラミアだった。
ふらふらと立ち上がり、何も言わず部屋を出ていった。
出ていく彼を呼び止めることは出来なかった。
未だに震えているレシアーノを、ファーゼスはそっと抱きしめた。
「兄上がすまない………昔からああなんだ」
「………昔から?」
「幼い頃、兄上のお気に入りのおもちゃに触れただけでも激怒された……」
「………ふふっ、そんなことで激怒されたんですか?」
「…………笑ったな」
そう言ったファーゼスは優しい表情をしていた。
どうやら心配してくれていたみたいだ。
彼のたった一言で震えが止まっていた。
「心配してくださって、ありがとうございます」
お礼を告げて微笑み返した。
途端にファーゼスの顔は赤くなり、肩口に擦り寄るようにして顔を隠してしまった。




