38 宰相の噂の真実
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あれから数時間、レシアーノは自分の紋章らしきものをじっと見つめながら悩み続けていた。
熟睡しているのか、グレイシオンは一度も起きない。
柔らかな日差しがカーテンを通して部屋の中へと届き、薄暗い部屋が明るさを取り戻していた。
(グレイシオン様の婚約者は、わたしだったの…?)
ありえない。
過去にグレイシオンに会ったことは一度もないのだから。
だけど、精霊の婚約契約について、レシアーノは未だに詳しく知らないのも事実だった。
(出会っていなくても契約が出来たりするのかな…?それとも……同じ紋章をもつ人が他にいる…とか…?)
頭の中でぐるぐると考えていると、部屋の扉の外で騎士と誰かが話している声がした。
『おや、どうして君がここに?』
『それが…お嬢様がこちらの部屋の中へ入られてしまって…。静かですので眠られているかもしれませんが、警備をしておりました』
『お嬢様とはレシアーノ嬢のことかね?』
『はい!そうです』
聞き覚えのあるその声に、レシアーノの顔は青白くなる。
(こんな朝早くからガラルク様がどうしてここに…!?)
朝から何をしに来たの?
というか、第一王子様の寝室にこんな時間に入り込んでいるわたしのほうが不審者か!?
どうしよう。
隠れる場所もないし、ここにいるのはバレている。
これはもう、開き直るしかない…?
「レシアーノ嬢、起きているかい?入らせてもらうよ」
カチャッと扉が開く音にレシアーノは身構えて扉を見る。
「お…おはようございます……。ガラルク様…」
「はははっ…、どうしたんだね。別に何も言わないさ、グレイシオンの様子を見に来ただけさ」
ガチガチに固まって挨拶をするレシアーノに対して、ガラルクは何食わぬ顔で部屋に入ってくる。
グレイシオンが眠るベッドまで一直線にやってきて、表情を険しくさせた。
「これは……」
ガラルクはグレイシオンの首に残った痛々しい傷跡を見て、声を漏らす。
「……レシアーノ嬢、昨夜は何かあったのかい?」
真剣な顔をしたガラルクが問いかけてきた。
この状況で誤魔化すことは出来ないと判断したレシアーノは、素直に昨夜のことを話すことにした。
全てを話し終えても、ガラルクは驚きもせず真剣な表情のまま『そうか』と言うだけだった。
ガラルクはレシアーノからグレイシオンに視線を戻し、掛け布団から出ていたグレイシオンの手を握る。
「あと少し、あと少し待っていてくれ……。必ず見つけるから……」
そう言って、祈るように握った手を自分の額に持っていき瞼を閉じた。
ガラルクが苦しそうに呟いた言葉に、レシアーノは問う。
「ガラルク様、何かを探しているのですか…?」
その問いにガラルクは口を閉ざし、沈黙が流れる。
レシアーノは問いかけた後に、突っ込んではいけない話だったかと後悔が押し寄せた。
重苦しい沈黙が続く中、ガラルクがグレイシオンの肩に刻まれた紋章に触れて言った。
「この人を…探しているのだ」
レシアーノはガラルクの手に視線を移し、自分の紋章らしきものを視界に入れて問う。
「その人は…」
「グレイシオンの婚約者だよ」
「その人をどうして探しているのですか?」
「………助けてもらいたいのだよ」
「助けて…もらいたい?」
「ああ…。精霊は婚約者や結婚相手のためなら普段以上の力が発揮できるんだよ。それに…、婚約者の声は届くんだ。どんなに暴走していてもね」
「その人に、グレイシオン様の魔力の暴走を止めてほしい…と言うことですか?」
レシアーノがそう問いかけると、ガラルクは顔を歪めた。
「グレイシオンは昔から優しい子だったんだよ。それが、大怪我をして帰ってきたあの日から、別人のようになってしまってね。本人は次期王となるために変わったんだと言っていたけれど、時折見せる優しい姿はあの頃のままだ。だから、私は………。グレイシオンは何かに取り憑かれているのではないかと、そう思っているのだよ。王子が取り憑かれているなんて話が出回ったら混乱が起こるから、口外は出来ないがね」
(取り憑かれている…!?)
言われてみれば二重人格のような態度には疑問はあった。
何かが起きて抜け落ちた記憶の直前には、優しいグレイシオンが抱きしめてくれていた記憶も残っている。
あの優しい姿が本来のグレイシオン様……?
それならば、あの建前だと言っていた姿は……ーー。
誰なの…??
「このままだと、グレイシオンの命が危ないのだ。婚約者ならば救ってくれるかもしないと思って、探していたのだよ」
『だけど…』と言ってガラルクは言葉を詰まらせる。
グレイシオンの手を握り直して、涙を浮かべた。
「…何年探しても見つからないのだよ。グレイシオンは婚約者のことは口を割らないし、婚約したと聞いた男を片っ端から捕まえて紋章を見せてもらったが、グレイシオンに刻まれた紋章と同じものはなくてね…」
ガラルクはゆっくりとレシアーノを見る。
(ガラルク様のあの噂は…、グレイシオン様の婚約者を見つけるために紋章を確認していたからだったの…?)
「レシアーノ嬢、グレイシオンは君には随分と心を許しているみたいだね。だから、どうか私に協力してくれないか?早く見つけ出してあげないと……時間がないのだよ」
ガラルクは切羽詰まった声でそう言って、レシアーノに頭を下げた。
『その紋章の相手はわたしかも知れません』
すぐにそう言えればよかった。
だけど、不安が勝ってしまった。
色々なことが引っかかって、その一言が言えない。
レシアーノは胸に痛みを感じながら、ガラルクの言葉に静かに頷く。
「……助かるよ。感謝する」
ガラルクは頭を上げて、真剣な顔でお礼を口にした。
話が収束した後、一人の人物が顔を出す。
「…………入るぞ」
青髪長身の男が静かに部屋の中へと入ってくる。
「おや、ファーゼス。これから朝の巡回かい?」
「いえ……今日は別の者が対応しております…」
「ファーゼス様おはようございます。どうしてこちらに?」
「…お前が部屋にいなくて、……探してたら…。護衛騎士が見えたから、来た」
「ご、ごめんなさい!勝手に部屋を出てしまって…」
「それは構わない………、だが……」
ファーゼスはレシアーノ、ガラルク、グレイシオンを順番に見て『何があった?』と言いたそうな顔をした。
それを察したガラルクが先に声を出す。
「レシアーノ嬢、あとは私が見ているから君は部屋に戻ったほうがいいのではないかな?」
「そうですねっ…。失礼させていただきますっ…」
ガラルクの気遣いにぺこりと頭を下げて、レシアーノは部屋を出る。
その横をファーゼスは無言でついてきていた。
部屋に戻ると、慌てて飛び起きたせいでベッドから落ちた掛け布団が床に広がっていた。
朝の紅茶を運びに来たメイドがその光景を見て、部屋で固まっている。
扉が開く音にびくっと反応して振り返ったメイドが、レシアーノを視界に入れると声を上げた。
「レシアーノ様!?」
「ごめんなさい!慌てて部屋から出てしまって、びっくりしましたよね?」
「あ…いえ、大声を出してしまって申し訳ありませんっ…。無事ならば、それでいいのですよ」
メイドは一瞬だけ取り乱したものの、すぐに切り替えて笑顔をつくる。
「紅茶、こちらに置いておきますね」
そう言って二人分の紅茶をテーブルに置き、メイドは部屋から出て行った。
「ファーゼス様、紅茶を飲んでいかれますか?」
「……ああ」
レシアーノの確認に、ファーゼスが無愛想で答える。
二人は隣り合わせでソファーに座った。
何となく気まずい空気が流れる中、それぞれがティーカップに手を伸ばす。
レシアーノは紅茶をごくっと一口飲んで喉を潤すと、ティーカップを置いてファーゼスに尋ねる。
ただ単純に聞きたかったことを口にした。
「あの、ファーゼス様」
「…………なんだ」
「精霊の婚約の契約方法と、契約の解消方法について詳しく教えてくれませんか?」
「…っ」
レシアーノの声の後にパキッという音がして、ファーゼスが持っていたティーカップが滑り落ちた。
持ち手が割れたティーカップがファーゼスの膝にぶつかり、紅茶がぱしゃりと音を立てて膝を濡らす。
「ファーゼス様っ…!?」
レシアーノは驚いてファーゼスを見ると、悲しげに揺れている紫の瞳と視線が交わる。
どうしてそんな顔をしているの?と思った時には、ファーゼスに力強く抱きしめられていた。
困惑してる間にも、ぎゅうぎゅうと拘束する腕の力が強まっていく。
「………ファーゼス様…?どうし…ーー」
「俺は……、お前になにかをしてしまったのかっ…?」
「え?」
「……もうしない。…お前が嫌だと思うことはもう絶対しない……、だから契約解消はしたくないっ…。お前が…、婚約したい奴ができたのなら……、それでもいい。…だから俺との契約も…解消しないでくれっ…!」
必死に懇願するファーゼスの姿に、レシアーノは戸惑う。
(ファーゼス様は、なにかを誤解している…?)
レシアーノはそこまで理解すると、刺激しないように落ち着いた声でファーゼスに言う。
「ファーゼス様」
「頼むっ…!俺はそばにいられるだけで十分だから……」
「わたしはファーゼス様との話をしているのではなくて、一般的な知識を知りたくて聞いただけですよ」
「……………………」
ファーゼスの肩がぴくりと反応して、レシアーノの体を締め続ける腕の力が弱まった。
「……ファーゼス様?」
「……………………………………そうか」
「はい」
ファーゼスの頭が動き、レシアーノの顔の前で止まる。
紫色の瞳がじっとレシアーノを見つめてきた。
逸らしてはいけない、そんな気がして見つめ返す。
やがてその紫色の視線がレシアーノの唇に移る。
何をされるのか想像はついた。
それでも、抵抗しようとは思わなかった。
ゆっくりと近づくファーゼスの唇が、レシアーノの唇にそっと触れる。
「…………………よかった…」
すぐに離れていった唇が、ぼそりと呟く。
ファーゼスは頭をレシアーノの肩に埋めて、今度は優しく抱きしめながら言った。
「…お前が好きだ。そばにいたい。それだけでいいから…」
「……はい」
レシアーノがこくりと頷くと、ファーゼスがレシアーノの髪に触れる。
「悪い……。早とちりした……。お前が第一王子と婚約したくて俺との契約を解消したいのかと…、そう思った…」
恥ずかしそうに、ファーゼスは言う。
「い、いえ!わたしは大丈夫です!…それよりファーゼス様、火傷とかされてないですかっ?」
「俺は丈夫だから、これぐらい問題ない……」
「そ、それなら安心ですけど…。誰かが来られる前に、着替えてきたほうがいいのではないですか…?」
「ああ………あと五分………………」
「ふふっ……」
「……なんだ?」
「い、いえ!なんでもありません!」
「……………そうか」
ファーゼスが寝起きみたいに心地よさそうに『あと五分』なんて言い出すから、レシアーノは思わず笑みが溢れる。
当の本人はなぜ笑われたのかさっぱりわからず、無愛想に返事をしてレシアーノの髪を梳いていた。




