30 拭ってやりたい
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「ガラルク宰相……、……なにが……ありました?」
青髪長身の男が第一王子の部屋の扉を開けた後、視界に広がった光景に、眉間に皺を寄せた。
そして、困惑と焦りが入り混じった声色で、扉の一番近くにいたガラルクに問うた。
それもそのはずで、婚約者がいる兄と自分が愛する仮婚約者が抱きしめ合っている姿を目の当たりにすれば『何があった』と誰でも言いたくなるだろう。
ファーゼス側からは、愛する人の表情が見えないのがまた不安を募らせる。
ズカズカと二人に近づくファーゼスの耳に、問いかけたガラルクではない人の声が届いた。
「すまぬ……。余が大怪我をした話をしたせいか、不安にさせた…」
兄の言葉にぴくりとファーゼスは反応し、レシアーノをもう一度見る。
俯く顔から表情は見えないが、丸くなっている小さな背中が心細そうに映った。
「……………………っ………」
その姿に兄からレシアーノを奪い取って自分が抱き締めたくなる衝動をぐっと堪えて二人に近づいた。
俯くレシアーノの耳元でファーゼスはそっと声をかける。
「……………大丈夫…か……?」
………………………。
数秒待っても返事は返ってこない。
ファーゼスはもう一度声をかけようかと躊躇っていると、レシアーノの俯いていた顔が静かに上を向いた。
白くて柔らかそうなレシアーノの頬には涙の跡が残っていて、その痛ましい姿にファーゼスは一瞬で理性を失う。
未だレシアーノを抱きしめている兄など気にも留めずに、二人の上から強い力で抱き込んだ。
「泣くなっ……!お前は俺が守るからっ……」
「………ファ、ファーゼス?」
「ファーゼス様っ…!?」
あまりにも強い力でぎゅうぎゅうと抱き込まれ、腕の中の二人は驚き狼狽える。
それでも更に強まっていく力に、危機感を覚えたグレイシオンが声を上げた。
「ファーゼス待て!!!!レシアーノが潰れる!!!」
その声でようやっと我に返ったファーゼスが、はっとした顔をして手を解いた。
「す……すまない…………」
捨てられた犬みたいに眉毛を下げたファーゼスが二人に深く頭を下げた。
「余は問題ない。レシアーノ、そなたも無事か?」
「はっ…はい!わたしも何ともないです……。その、ファーゼス様はわたしを心配して下さったのですよね?…あ、ありがとうございます…」
「………………………………ああ」
幾らか落ち着きを取り戻し近くの椅子に座ったファーゼスに、部屋の空気が徐々に柔らかくなっていく。
レシアーノを抱きしめていたグレイシオンの手も解かれ、この部屋に来た時と同じ距離感へと戻る。
それからグレイシオンがファーゼスに向き直り、真剣な顔をした。
「ファーゼス。話の続きだが、やはりレシアーノがこの国から帰る時は余も同行しよう。レシアーノを危険な目には合わせとうない、…よいな?」
そう言ってファーゼスの目をじっと見た。
「…………………わかりました」
瞬時に様々な状況を察したファーゼスは、小さく首を縦に振り頷く。
その回答に満足したグレイシオンも静かに頷いた。
「またいつでも来るがよい」
グレイシオンはレシアーノにそう言うと、窓に向けて視線を移した。
それが合図となりファーゼスとレシアーノはすくっと立ち上がり、グレイシオンに挨拶をした。
「兄上……………ゆっくり、休んでください…」
「グレイシオン様。今日はありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をしたレシアーノに、窓の外を見たままのグレイシオンから不服そうな声がした。
「『シオン』だ。そう呼べ」
「…は!?」
「あっ……、はいっ…。シオン様……」
「…おい、ちょっと待て、どう言うことだ!?」
「ファーゼス、煩いぞ」
「す……すまない……………」
兄が突然レシアーノに愛称で呼べと言い出したかと思えば今度は愛する人が素直に従い、ファーゼスは焦り出す。
急接近している二人の距離にファーゼスは『何があった』と冒頭と同じ不安が蘇っていた。
兄に怒られ謝るも、モヤモヤとした心は晴れないまま第一王子の部屋を後にした。
***
「………………………」
「………………………」
あの後二人はレシアーノの部屋へと戻っていた。
ファーゼスと二人きりでいる時に沈黙が流れるのは珍しいことではない。
それなのに、今回の沈黙は何だかいつもと違ってレシアーノは落ち着かなかった。
第一王子と抱き合っているところを見られたり、泣き顔を見られたり、気まずい点は上げればいくつもある。
だけどそれ以上に、ファーゼスの距離感がいつもより遠く感じていた。
いつもならばソファーに二人で座る際は、真横に座ってすぐに髪を触り始めたり、抱きしめられたりと、何だかんだ距離が近いのがファーゼスだった。
しかし今は二人の間に人一人座れる距離があり、ファーゼスはじっと何かを考えているようだった。
その証拠としてちらりと盗み見た横顔は、眉間に深い皺が寄っていた。
落ち着かない空気にレシアーノはソファーから立ち上がると、窓の前まで歩き外を眺める。
外の世界は赤く染まり始めていて、もうそんな時間になったのかと、ぼーっと夕日を眺めて心を落ち着かせた。
何の音もしなかった部屋に、一人の足音が近づいてくるのが聞こえた。
振り返らなくてもわかる人物に、視線を窓から外さずに赤く染まる外を視界に入れてじっと待つ。
すると、後ろから逞しい腕がレシアーノの体に絡みつき、ぎゅっと強く抱き込まれた。
レシアーノの肩口に乗っかってきた頭がぐりぐりと擦り寄ってきて、寂しそうな声が耳元に届く。
「……………俺は…、頼りないか…?」
小さくぽつりと聞こえた。
そんなことはない。
ファーゼス様のことは頼りにしていると、そう言いたくて振り返ろうとすると、力強い腕に動きを封じられた。
「………兄上が頼りになるのは…わかる……。だが………」
何かを言うのを躊躇っている様子のファーゼスに、レシアーノはそっとファーゼスの腕に触れた。
ぴくりと小さく反応を見せたが抵抗する様子はなく、レシアーノはそのまま手を動かしファーゼスの頭を撫でる。
それもファーゼスは抵抗することはなく、静かに頭を撫でられていた。
「……俺が一番でなくてもいいと、言った…。だが……」
レシアーノに撫でられているファーゼスの頭が、また肩口にぐりぐりと擦り寄ってくる。
「………お前の涙は……一番に、拭ってやりたかった……」
消え入りそうな声でそう言われると、擦り寄ってきた頭が肩口に乗ったまま止まった。
ファーゼスの優しさでレシアーノの胸がじんわりと熱くなり、止まったはずの涙がまた瞳を潤ませ始めた。
また泣いてはいけないとぐっと涙を堪えて、誤魔化すようにファーゼスの頭を撫で続ける。
「ファーゼス様ありがとうございますっ……。そのお気持ちだけで十分です……」
「………俺はよくない。…………次は、…俺にしろ」
レシアーノは心からの感謝を述べたつもりが、ファーゼスからは不満そうな声が返ってきた。
それでも、ファーゼスの手がレシアーノの髪を触り出した手つきが優しいから怒ってはいなそうだ。
「レシアーノさん、もう少しで夕食になるみたいですよ」
取り込み中だとは知らないギルミックが、ノックもせずに扉を開けて部屋へと入ってきた。
「ファーゼスしかいないのですか、レシアーノさん知りませんか?」
ファーゼスとは身長差があり、すっぽり体が隠されてしまっていたレシアーノは、どうやらギルミックには見えなかったみたいだ。
慌ててファーゼスの腕の中から出ようとすると、力強い腕に止められた。
「ここにいるぞ……」
ファーゼスがそれだけ言うと、ギルミックは状況を理解した様子で、眉一つ変えずに言う。
「取り込み中でしたか。まだ時間ありますし、それなら俺は少しここで寝てますので、続けて下さい」
それだけ言い残すと、ギルミックはソファーに横になりゴロゴロとし始めた。
「………………………」
「………………………」
そんなことを言われても気になってしまう二人の間には、気まずい空気が流れる。
黙り込んでいたファーゼスがもぞもぞと動き、レシアーノから腕を解いた。
「………………取り敢えず、座るか…?」
「は……はい……」
ファーゼスから控えめに問われ、レシアーノも控えめに頷いた。




