29 背中を押す温もり
ご覧いただきありがとうございます!
評価、ブックマーク、感想、レビュー、リアクションは執筆の励みになりますので、少しでも面白いと思っていただけましたら気軽に残してもらえたら嬉しいです!
「グレイシオン、入るよ。具合はどうだね?」
聞き覚えのある声がしたかと思えば、第一王子の部屋に髭を生やした男が入ってきた。
その男はレシアーノを視界に入れると、おやっと表情を緩ませ声をかけてきた。
「レシアーノ嬢、久しぶりですな」
正装に身を包んだ男は、優雅にレシアーノへと近づく。
忘れるはずもない。その容姿も、あの噂も……。
「ガ、ガラルク様!?」
予想外な人と遭遇し、レシアーノは声が上擦ってしまう。
見事な上擦りっぷりに、この部屋にいる二人にクスクスと笑われる。
「はははっ…、そんなに驚かないでくれるかな」
「レシアーノはガラルク宰相を知っているの?ふっ……なんだか怯えてるみたいだけど、僕の体調をみにきただけだから気にしないで?」
優しく笑うガラルクと、レシアーノを気遣ってくれるグレイシオン。
何も知らない人がこの場にいれば、きっと和やかな雰囲気となっていたに違いない。
だけど、レシアーノの頭の中にはあの恐ろしい噂がちらついていた。
頭の中でリブラミアの音声であの言葉が流れる。
ガラルク宰相は『婚約した男を片っ端から寝取る』と噂が立っている、と。
その言葉が頭から離れないまま、レシアーノはふとグレイシオンが今発した言葉をもう一度思い返す。
(いま、ガラルク様の前でも『僕』って言った!?話し方も建前とは違うし……、どういうことなの?)
てっきりグレイシオンの建前はこの国では誰にも見せない姿なのだとばかり思い込んでいたレシアーノは、ガラルクには素で話していることに驚いていた。
「グレイシオン様、あの…。ガラルク様にはその話し方なのですか?」
聞かずにはいられなくなって、おずおずと問いかける。
すると、グレイシオンは眉一つ変えずにしれっと言った。
「うん。ガラルク宰相は本来の僕を知ってるからね。だからいつも二人のときはこの話し方だよ。今は三人だけど、レシアーノにもバレてしまったからそのまま話してる」
「そ、そうなのですね………」
随分、仲が良いのですね…とは言えずに、心の中へと仕舞い込む。
レシアーノの脳内を支配するあの噂のせいで、グレイシオンの一言一言が恐ろしい可能性へと近づいていく。
最悪なことに、グレイシオンには婚約者がいるらしいし、あの噂の条件が揃ってしまっているのだ。
だから、レシアーノはどうしても思わずにはいられない。
(グレイシオン様とガラルク様はデキているの…!?)
絶対にありえない。
第一王子ともあろうお方が宰相とできているなんて。
寝取られるなんてありえない。そう、思いたい。
思いたいけど………。
レシアーノは首をぶんぶんと力強く横に振り、全ての邪念を振り払おうとする。
その姿にグレイシオンはぽかんとした顔になり、ガラルクは何かを思い出した顔をして、レシアーノに視線を向けた。
「レシアーノ嬢、それよりもここに一人で居ても大丈夫なのかい?あまり長くいるとリブラミアが怒り出さないか?」
どうして今リブラミアの話を持ち出されたのか意味がわからなくて、レシアーノは小首を傾げた。
「リブラミア様は今日も巡回に行かれているはずですが…。それがどうかしましたか?」
「ああ…、そう言えば今日もそうだったか。帰ってきていないならいいが、あいつをあまり怒らせないほうがいいからね」
「怒らせる…?」
「君はリブラミアの仮婚約者なのだろう?他の男の部屋に行ってたなんてあいつが知ったら、怒り出しそうだと思っただけさ」
「あ……それはそうでーーー」
「レシアーノがリブラミアの仮婚約者!?……それは、同意の上なのか!?」
ガラルクとの会話中に、突然横から切羽詰まった声がして振り向けば、グレイシオンは真っ青な顔をしていた。
知らぬ間に兄弟に仮婚約者が出来ていたら驚くのは無理もないが、それにしては表情がやけに暗く真剣な顔をしている。
「グレイシオン…さま…?どうかしましたか?」
恐る恐る問いかけると、グレイシオンの瞳の中で渦巻く黒いものがレシアーノを見た。
「同意の上なのか…?愛し合っているのか…?」
やはり、兄弟を心配してレシアーノの真意を聞いているように見えないグレイシオンの態度に戸惑いを隠せない。
この場合、仮であれ婚約者の兄弟に問われたら『愛し合っている』と答えるのが、一番波風が立たない回答だと思う。
だけど、実際レシアーノがリブラミアを愛しているのかと聞かれると、正直なところでは『よくわからない』のが本音だった。
好きか嫌いかで言われれば好きなはずだけれど、婚約者として、将来の旦那様として、愛しているのかと問われると、今の関係性は特殊で簡単に『はい』とは頷けない。
複雑な心境を抱え回答を躊躇っていると、グレイシオンが眉を下げて寂しそうな顔をした。
「ごめんね………………………」
「…………………え?」
どうしてグレイシオンが謝り出したのか理解できず、レシアーノの喉から声にもならない音が出る。
グレイシオンの表情は変わらず寂しそうで、見られているレシアーノまで胸がズキズキと痛み出した。
「そんなこと……、聞くまでもないよね。弟を、リブラミアをよろしくね」
グレイシオンはそう言って、今にも壊れそうに顔を歪めて笑顔を作ろうとするから、レシアーノは罪悪感に胸を締め付けられた。
(どうして……?)
仮婚約者の兄に婚約を認められて、一番波風が立たない会話だったと思う。
会話だけだったらそうなのに、グレイシオンの表情がレシアーノの胸をざわざわと掻き乱す。
そのせいで、言うつもりはなかった本当の気持ちを、ぽつりぽつりと震える唇から溢していた。
「分からないのですっ……。愛しているのか…。愛していいのかが、分からないのです……。わたしの心の中には、ずっと……、ずっと忘れられない人がいます……。その人に会えたのなら、前に進めるかもしれません……。だけど、きっともう会えない………。だから、どうしたらいいのか分からないのですっ……」
第一王子の前で言うべきことではない。
そんなことは分かりきっているのに、言わずにはいられなかった。
震える唇から溢れた言葉は弱々しく震えていて、その言葉が己の鼓膜を刺激して、涙まで頬を伝っていた。
こんな姿を晒して何をしているんだろう。
レシアーノの理性は涙を止めて王子に早く謝れとそう叱ってくるのに、溢れ出た感情が涙を止めてくれなかった。
「忘れられない人に、レシアーノは出会えてよかった?」
優しい声が間近から聞こえて顔を上げると、いつの間にか目の前にいたグレイシオンが、温かい表情でレシアーノを見ていた。
グレイシオンはレシアーノの頬に触れると、怒るでもなく、呆れるでもなく、優しい手つきで涙を拭う。
「………っ………………」
「レシアーノにこんなに想われて、その人はきっと幸せだったと思うよ…」
震えた唇に遮られて言葉を返せずにいると、グレイシオンが涙を拭う手を止めずに一層優しい声でそう言った。
その途端になけなしの理性が砕け、ぼろぼろと瞳から涙が溢れ出した。
この涙を止めたいという気持ちと、この人にこの涙を受け止めてもらいたいと言う気持ちが、レシアーノの胸の中で渦巻く。
理性を失ったレシアーノは、普段では絶対にしないことを無意識にしていた。
グレイシオンにぎゅっと抱きつくと、わんわんと子供みたいに泣きじゃくる。
それから、やっと言えるようになった言葉を、馬鹿みたいに何度も口にしていた。
「出会えてよかった…!…出会えて……よかった……!」
「うん…………」
「出会えて……よかった………、出会えてよかった…」
「うん…………」
「出会えて……わたしは幸せでした…………」
「……うん。………その人もレシアーノに出会えて幸せだったと思うよ。今頃、笑ってるんじゃないかな…」
抱き返してくれたグレイシオンがぽんぽんと頭を撫でてくるから、レシアーノがそっと顔を上げると、そこには柔らかく微笑む王子様がいた。
どことなくロイに似ているその笑い方に、薄れゆく記憶の笑顔と重ねて胸が詰まる。
(ロイ……愛しているよ………)
今でもずっと愛している。
だけど、それでも前に進まなければいけない。
わたしには、こんなにも温かく包み込んでくれる人たちがいるのだから。
前に進む力をくれた優しい温もりに、レシアーノはそっと心の中で感謝して、もう一度ぎゅっと大きな体を抱きしめた。
そんなレシアーノの死角に立っていた一人の男が、静かに二人の様子をじっと見ていた。




