28 紫苑の願い
レシアーノは今、緊張でがちがちに固まった体で扉の前に立っていた。
その横には長身で青髪の男も立っている。
「…………そんなに、緊張しなくても大丈夫だ」
「そ、そうなんですけど……!」
「………………扉を開けて、いいか?」
「ははは、はいっ!どうぞ!」
「………ふっ…、…………緊張しすぎだ。息を吐け」
第一王子の部屋の前で同じ会話を三回は繰り返していた。
呆れずに付き合ってくれているファーゼスに感謝しながらも、そろそろ扉を開けなければと心に決める。
ふーっと大きめの息を吐き、気合いを入れた。
「ファーゼス様、お願いします」
「ああ……、わかった」
レシアーノからの合図の後に、ファーゼスが扉をノックして、ゆっくりと部屋の扉を開ける。
「ファーゼスです。兄上………、失礼します」
「レ、レシアーノと申します!失礼いたします」
まるで面接が始まるかのように、がちがちに固まった状態で部屋に入る。
口にした名前も噛んでしまった。
グレイシオンは部屋の奥に置かれたベッドの上で、上半身だけを起こして座っていた。
ちらりと見えた部屋は、あの夢の中と同じだった。
「兄上……、体調が優れない時にすまない……」
ベッドの前に置かれた二つの椅子に座り、グレイシオンと向き合う。
「構わぬ。具合など気にしてたら何も進まぬ。それより、ファーゼスと……、そなたはレシアーノと言ったか?」
「は、はい!レシアーノです!」
あの不思議な夢を見てしまった手前、『はじめまして』とは言えずに無難な名前だけを返す。
淡々と話す声には距離が感じられ、夢の中での距離感とはまた違っていた。
「そうか…。話はファーゼスから簡単に聞いておる。余がこの国の外に出た時のことを知りたいのだろう?」
「はい、そうですっ…!」
早速本題に入りそうな流れに、邪念は消し去りグレイシオンの話に耳を傾ける。
「生憎だが、記憶に残っておらぬ。ただ…、魔物地帯の先に出た記憶は薄っすらとだが残っておる。そこが、人間の国だったかは定かでは無いが」
「そう、でしたか…パルム国ではないかもしれませんね」
「…………………魔物の危険地帯は、どのくらい…、魔物が出たのですか?」
「暗闇が続いていた記憶はあるが、よく覚えておらぬ」
「…………………そうか」
グレイシオン様は深い傷を負って国に帰って来たと聞いているし、強い恐怖心から記憶を失っていても何らおかしいことではない。
大きな手掛かりになりそうな話は聞けず、また別の方法を探さないといけないようだ。
「だが、そなたは帰ったほうがよい。帰る時は余も、同行しよう。客人は安全に送り届けねばな」
「あ、兄上!?………有り難いですが、その体では……」
「今でもこの国で一番の魔力があるのは余だ。案ずるな」
「で、ですが……ーー」
「大変失礼致します!!お話し中、申し訳ございません!ファーゼス王子殿下、来客が見えられてます」
第一王子の部屋の扉が開き、一人の使用人が慌てた様子で話の途中に入り込んできた。
表情からして大切な客人なのだろう。
「…………わかった。兄上すまない…、また戻って来ます」
ファーゼスは椅子から立ち上がり、グレイシオンへと頭を下げた。
「お前もここにいろ……、もし何かあったら、すぐ扉の者に言ってくれ…」
その後にレシアーノにも一言告げると、足早に部屋から出て行った。
「…………………………」
「…………………………」
(ファ、ファーゼス様ー!いきなりグレイシオン様と二人きりにしないで下さいっ!!)
気まずい無言の空気にファーゼスへと怒りをぶつける。
どうしようと焦りながら視線を下に向けると、手に持ったままになっていた花を思い出す。
「グ…、グレイシオン…様……」
「どうした…?」
「その、この花をグレイシオン様にお渡ししたくて、よろしければ…」
震える手で紫色の一輪の花を、グレイシオンへ差し出す。
「この花は?」
「紫苑という花です。グレイシオン様の名前に含まれている名前の花でしたので…」
「シオン………。そうか」
「は、はい!要らなければ捨てて構いませんっ…」
「いや…、いただこう」
そう言って手元から一輪の花をひょいっと受け取られた。
グレイシオンは手に取った紫苑の花を、不思議そうにクルクルと回しながら全体を眺めた。
「そなた、余のことはこれから『シオン』と呼べ」
そして、唐突にそう言われた。
「わたしが、シオン様……と、お呼びするのですか!?」
「『シオン』でよい」
「そそそ、それは流石に出来ません!せめて、シオン様でもよろしいでしょうかっ…?」
「まあ、それでよい。この花、余は気に入った」
「ありがとうございますっ…!」
紫苑の花を気に入ってもらえたのなら、勇気を出して渡してみて良かった。
喜びで自然と目尻が下がり、笑みが溢れる。
緩んだ顔のまま、窓の外に視線を移すと優しい陽の光が部屋へと差し込んでいた。
また庭園に行きたいなとぼんやりと外を眺めると、ガタンッと小さくベッドが軋む音がした。
「……ぐっ………あ!………はぁ……はぁ……」
突然苦しそうな声が聞こえてグレイシオンを見る。
目を離した瞬間に、ベッドに座るグレイシオンの顔が歪み、体が前屈みに丸くなっていた。
「グレイシオン様、大丈夫ですか!?」
「う………、だ…いじょうぶ…だ。案ずる…な……」
「で、でも……!」
「はぁ……はぁ……、シオンだ……、そう呼べ………」
「わかりましたから、無理して喋らないで下さい!直ぐに誰かを呼んで参ります!」
ガタンと椅子が悲鳴を上げるくらい勢い良く立ち上がり、扉に向き直った時、手を強く掴まれた。
「行かないでっ…!もう少し、僕のそばにいてっ…」
グレイシオンが座るベッドの方から知らない声がした。
正確には、グレイシオンの声だったけれど、話し方と声色が全く違う声がした。
その声に驚き条件反射で後ろを振り返る。
そこには寂しそうな顔をして、レシアーノの手を掴むグレイシオンがいた。
「…………………………えっ!?」
(ど、どういうこと……!?また変な夢…!?)
振り返ったら余計に意味が分からなくなり、レシアーノは身動きが取れなくなる。
「ごめんね…。驚かせるつもりは、なかったんだけど…。咄嗟に出てしまった。こっちが本当の僕なんだ」
「本当の僕……?」
「皆には次期国王として、さっきの言葉遣いと態度で振る舞っているんだけど、こっちが本来の僕なんだ」
「つまり……?」
「今の僕が本来のグレイシオンだ」
(……え〜〜!?こんな魔王みたいな人が僕って!?)
更に意味が分からなくなってきて、もう何を信じたらいいのか判断がつかなかった。
「本来の僕も知られてしまったし、紫苑の花を贈ってくれた君には力を貸すよ。だから、さっきのファーゼスとの話の続きだけど、君を人間の国に帰すの協力するよ」
困惑して固まっているレシアーノに構わず、グレイシオンは話を続ける。
「だから、僕からも一つお願いしてもいい?」
王子からの『お願い』という言葉にレシアーノは意識が戻り、グレイシオンの目をみる。
「わたしに第一王子様からお願い、ですか…?」
「そう、お願い。王宮にいる肉親には頼めないんだ」
「それはどういったお願いでしょうか……?」
王子が親しい人には頼めないお願いとは何?と一切検討がつかず、小首を傾げる。
「王宮でも魔物の危険地帯でも君を守るから……。だからもし、僕の魔力が暴走して誰にも止められなくなったら、その時は……。君が、僕を殺してほしい。君の声は覚えたから、どんなに暴れていても僕に隙ができると思うんだ」
(……!?グレイシオン様は急に何を言っているの!?)
「お願いだ…!魔力が暴走する度に怖くなるんだっ…。いつか、いつか、この国を壊してしまうんじゃないかって……。だからお願いだ、レシアーノ」
「そんな……お願い…………………」
(グレイシオン様…、貴方は…。言葉遣いが変わろうが、態度が変わろうが……。中身は優しくて独りぼっちな王子様なんですね…)
魔王みたいな強そうな容姿の王子様が、ベッドで小さく震えて蹲っている。
そんな姿を見てしまったら断れない。
「わかりました………。ですが…、そうならない方法を、…一緒に探しましょうっ…?」
「わかったよ……。ありがとう、レシアーノ」
掴まれていた手がそっと離され、グレイシオンの顔が上がると、眉を下げて微笑まれた。




