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もうひとつのグラウンド

平成十六年。


丈山ジュニアズのグラウンド。


泉町精工野球部の監督を退いた石川満は、少年野球チーム・丈山ジュニアズの総監督を務めていた。


その頃、佐久間も石川の要請で、丈山ジュニアズのコーチを務めていた。


佐久間の長男、淳也が入部したこともあり、石川から「手伝え」と声を掛けられたのがきっかけだった。


春の午後。


グラウンドでは小学五年生たちが練習していた。


その中に、一人だけ明らかに身体の大きな少年がいる。


佐藤龍太郎。


身長も体格も、同年代の子供たちとは違っていた。


「龍太郎、打ってみろ!」


石川の声が飛ぶ。


「はい!」


龍太郎が打席に入る。


投手が投げた。


カキーン!


鋭い打球が、右中間の奥へ飛んでいく。


「すげぇ!」


子供たちから歓声が上がる。


龍太郎は悠々と走る。


石川は腕を組んだ。


「……飛ぶなあ」


佐久間も苦笑する。


「小五の打球じゃないっすね」


次の打者は、佐久間の息子・淳也。


龍太郎とは対照的に、小柄な身体。


だが――。


カン!


打球は三遊間へ転がった。


淳也が走る。


速い。


「セーフ!」


佐久間が思わず笑う。


「よし!」


淳也は一塁ベースを踏むと、龍太郎を見る。


龍太郎も笑っている。


二人は同じチーム。


だが、学校は違う。


練習が終われば、それぞれ別の学校へ帰っていく。


石川は二人を眺めていた。


龍太郎は、明らかにずば抜けている。


身体。


肩。


打球。


どれも同年代とは違う。


一方の淳也には、父親譲りの足がある。


だが――。


現時点では、龍太郎には全く敵わない。


その日の紅白戦。


龍太郎が打席に入った。


カキーン!


またしても大きな打球。


淳也が外野を駆ける。


追う。


追う。


それでも届かない。


ボールはフェンス際まで転がった。


「ホーム!」


龍太郎が走り抜ける。


淳也は立ち止まり、悔しそうに唇を噛んだ。


「……くそっ」


石川は、その姿を見ていた。


試合が終わる。


淳也はグラウンドの隅で、一人俯いていた。


目に涙が浮かんでいる。


佐久間が近づく。


「淳也」


「……」


「悔しいか?」


淳也は頷いた。


「うん」


「龍太郎に?」


「うん……」


涙を拭う。


「俺、全然かなわない」


佐久間は何も言わなかった。


そこへ石川がやって来た。


「淳也」


「はい……」


「泣くなとは言わん」


淳也が顔を上げる。


「悔しいなら、泣け」


「その代わり」


石川は龍太郎を見る。


「明日から練習せえ」


淳也は涙を拭いた。


「……はい!」


石川は笑った。


「それでええ」


     


練習が終わった夕方。


佐久間は石川とグラウンドに残っていた。


「しかし、龍太郎は凄いですね」


「うん」


「淳也があそこまで悔しがるの、初めて見ましたよ」


石川は笑った。


「いいライバルになる」


「でも、龍太郎の方がだいぶ上ですよ」


「今はな」


石川は少年たちを見ながら言った。


「五年生やぞ」


「これからどうなるかなんて分からん」


佐久間も頷いた。


「そうですね」


少し間があった。


佐久間が聞く。


「石川さん」


「ん?」


「会社の野球部、練習見に行ってます?」


石川が笑う。


「お前は?」


「練習はあんまり行ってませんね」


「試合は淳也連れて見に行ってます」


「芝さんも全然来ないし」


佐久間が笑う。


「監督は行かないんですか?」


石川は苦笑した。


「俺が行ったら、柳田やトシが気を使うだろう」


「柳田さんはそうかもしれませんが」


佐久間がニヤッとする。


「カシ(柏原)の話だと、トシさん、ベンチに座って半分くらい寝てるらしいっすよ」


「ヘッドコーチなのに」


石川が吹き出した。


「トシらしいな」


そして、少し考える。


「習志野に電話してみるか」


「何て言うんです?」


「勤務時間に練習してるのに寝てるって」


「やめてくださいよ」


二人の笑い声がグラウンドに響いた。


     


それからしばらくして。


石川は龍太郎の母親と話をする機会があった。


龍太郎には、すでに野球の才能がある。


当然、将来の進学先も話題になった。


石川には、私学四強とのパイプもある。


そして小府高校とのパイプもあった。


小府高校監督・野馬。


石川とは以前からの付き合いで、丈山ジュニアズと小府高校の間には昔から繋がりがあった。


小府高校は県立。


愛知県の県立高校としては、私学四強とも互角に戦える数少ない強豪校だった。


石川が龍太郎に聞く。


「龍太郎」


「はい」


「高校、どこへ行きたい?」


龍太郎は迷わなかった。


「小府高校行きたいです!」


「小府か」


「はい」


「私学から声が掛かるかもしれんぞ」


「知ってます」


「強いところもある」


「はい」


「それでも小府か?」


龍太郎は少し考えた。


「私立って、お金かかりますよね?」


石川は黙った。


「特待になったら、安くなるかもしれん」


「でも、絶対じゃないんですよね?」


「……まあな」


「半分だけ安くなることもあるし」


「入学金とか、電車のお金もいるし」


龍太郎は俯いた。


「うち、母ちゃん一人だから」


石川は何も言わなかった。


「母ちゃんに、無理させたくない」


そして顔を上げる。


「小府なら県立だから」


「野球も強いんでしょ?」


「ああ。強い」


「じゃあ、小府で甲子園行きたいです」


石川は思わず笑った。


「簡単に言うなあ」


龍太郎は真顔だった。


「俺、プロ野球選手になりますから」


石川の笑みが消える。


「プロになったら」


龍太郎は続けた。


「母ちゃんに家を建ててあげる」


石川は、しばらく龍太郎を見つめた。


まだ小学五年生。


それでも、その目は本気だった。


石川は龍太郎の頭に手を置いた。


「そうか」


「じゃあ、小府で甲子園目指すか」


「うん!」


     


その日の帰り。


淳也と佐久間は二人で歩いていた。


「父ちゃん」


「ん?」


「俺も小府行く」


佐久間は笑った。


「龍太郎と一緒にか?」


「うん」


「でも、あいつ凄いぞ」


「知ってる」


淳也は少し悔しそうな顔をした。


「だから勝ちたい」


佐久間は息子を見る。


「そうか」


「俺、プロ野球選手になりたい」


「お前もか」


「うん」


「じゃあ、頑張らんとな」


「うん」


二人は歩き続けた。


     


そして――。


八年後。


平成二十四年。


東愛知と西愛知に分かれた記念大会。


小府高校は東愛知代表として甲子園へ出場した。


その中心にいたのが、二人の少年だった。


佐藤龍太郎。


そして、佐久間淳也。


小学五年生の頃。


龍太郎に全くかなわず、悔し涙を流した淳也は、父親譲りの俊足を武器に外野手として成長していた。


そしてドラフト。


「東部レオンズ、四巡目」


「佐藤龍太郎、小府高校」


龍太郎の名前が呼ばれた。


プロへの道が開いた。


一方、淳也の名前は呼ばれなかった。


それでも、淳也は野球を諦めなかった。


四国アイルランドリーグへ進む。


三年間。


走って。


守って。


打って。


そして――。


平成二十七年。


育成ドラフト。


「北海道帝国ハム、育成三位」


「佐久間淳也、四国アイルランドリーグ」


淳也は、ようやくプロ野球の門を叩いた。


龍太郎とは違う道だった。


だが。


小学五年生のあの日。


涙を流しながら、


「龍太郎に勝ちたい」


と言った少年は、決して諦めなかった。


石川満が総監督を務める丈山ジュニアズ。


そこで出会った二人の少年は――。


やがて同じ小府高校で甲子園へ行き、それぞれ違う道からプロ野球選手になった。


石川の教え子達は甲子園まで数多く行ったが、プロ野球選手になったのは2人が初めてだった。その後も二人のことを忘れることはなかった。

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