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新しい餅

平成十三年、初夏。


高川電機本社。


午後一時。


応接室に、イズミマチから三人が訪れていた。


取締役営業本部長・伊東信裕。


営業・兵藤修司。


そして、技術の三尾。


向かいには、高川電機の営業担当者と技術担当者が座っている。


兵藤は、いつもより少し緊張していた。


ここへ来るのは、これが初めてではない。


だが、今日は違う。


先月なら、ただの客先だった。


それが今は、自分が拾った現場の声を、会社として提案しに来ている。


信裕が口を開いた。


「本日は、弊社から一つご提案がありまして」


高川の担当者が頷く。


「例のギアシャフトの件ですね」


「はい」


信裕が資料を開いた。


「ただ、ギアシャフトだけではありません」


三尾が一枚の図面を差し出した。


ギアシャフト。


そして、その周囲を受けるフランジ。


「ギアシャフトとフランジを、セットで供給させていただけないかと考えています」


高川の技術担当者が図面を覗き込んだ。


「フランジも?」


「はい」


三尾が答えた。


「まず、申し上げておきたいことがあります」


三尾は高川の担当者をまっすぐ見た。


「御社のギアシャフトは、非常に良い出来です」


担当者の表情が少し緩んだ。


「ありがとうございます」


「歯形、振れ、加工精度。測定した限り、問題ありません」


三尾は続ける。


「むしろ、かなり良いと思います」


「……測定した?」


担当者が聞き返した。


三尾は頷いた。


「はい」


一瞬、応接室の空気が変わった。


三尾は淡々と説明する。


「弊社で御社のギヤサーボを一台、購入させていただきました」


「それを……」


「技術的にベンチマークさせていただきました」


高川側の技術担当者が三尾を見る。


「分解したんですか?」


「はい」


三尾は悪びれない。


「ギヤサーボそのものを理解したかったので」


担当者は少し驚いたようだった。


だが、三尾は続ける。


「そして、ギアシャフトは非常に良かった」


その言葉に、担当者の表情が変わった。


「ありがとうございます」


「だからこそ、もったいないと思いました」


「……もったいない?」


三尾は、もう一枚の資料を出した。


フランジの測定データだった。


「ここです」


「フランジ?」


「ハウジングとの接触面と、内径の垂直度です」


担当者が数字を見る。


「〇・〇八……」


「はい」


「でも、うちの図面公差は〇・一です」


「はい。規格内です」


三尾は即答した。


「ですから、不良だとは申し上げていません」


担当者は黙った。


三尾は続ける。


「ただ、ギアシャフトがこれだけ精度よくできているなら、フランジ側も、もう少し詰めた方がいいと思いました」


三尾が図面を差し出す。


「そこで、弊社で設計しました」


高川の技術担当者が図面を見る。


「垂直度……〇・〇一程度?」


「狙い値です」


「どうやって出すんです?」


「弊社のハイポイド減速機で使用しているフランジ治具を転用します」


「既存の治具を?」


「一部改造します」


三尾は図面を指で追った。


「この基準面を治具で固定して、一工程で加工します」


「それで〇・〇一?」


「狙えます」


「量産でも?」


「そこまで考えています」


三尾は即答した。


「試作だけ精度を出しても意味がありませんから」


高川の技術担当者が、図面をじっと見つめる。


信裕が続けた。


「弊社からの提案は、御社のギヤサーボそのものを作ることではありません」


ギアシャフトとフランジ。


二枚の図面を並べる。


「御社にはサーボメーカーとして、サーボに集中していただく」


「弊社は、歯車とその周辺部品を担当する」


高川の営業担当者が尋ねた。


「つまり、ギアシャフトとフランジをセットで?」


「はい」


信裕が答えた。


「餅屋は餅屋です」


兵藤が、ふと顔を上げた。


高川の担当者が笑った。


「なるほど」


信裕も笑う。


「高川さんはサーボの餅屋。イズミマチは歯車の餅屋です」


三尾が頷いた。


「それぞれ得意なところをやればいいと思います」


高川の技術担当者は、しばらく図面を見ていた。


やがて顔を上げる。


「一度、試してみたいですね」


「ありがとうございます」


「何台くらいできます?」


三尾が答えた。


「十台、試作します」


「十台?」


「ギアシャフトとフランジをセットで」


兵藤が初めて口を開いた。


「現場のお客様から聞いた声が、本当に改善するのか。そこまで確認していただきたいと思っています」


高川の担当者が兵藤を見る。


「兵藤さん」


「はい」


「この話、最初に持ってきたのは兵藤さんでしたね」


「……はい」


「どこで聞かれたんです?」


兵藤は眼鏡を押し上げた。


「滋賀です」


そして続けた。


「その後、大阪、岡山、広島でも似た話がありまして……」


一社だけではなかった。


それぞれ違う会社。


違う現場。


違う使い方。


それでも、同じギヤサーボについて声が出ていた。


高川の担当者は兵藤の話を黙って聞いていた。


「分かりました」


やがて言った。


「十台、試作してみましょう。試作費用の見積もりは……」


信裕が即座に応える。


「試作費用は頂きません。」


「それでいいのであれば、ぜひ。」


三尾と信裕が目を合わせた後、三尾が高川の担当者に伝える。


「1ヶ月ほど頂ければご用意できますので……」


「よろしくお願いします。……」



     


三週間後。


イズミマチ・歯車課。


試作十台が完成した。


三尾は一本ずつ測定していく。


ギアシャフト。


フランジ。


組み合わせ。


測定結果を記録する。


「垂直度、〇・〇一二」


次を測る。


「〇・〇一〇」


さらに一台。


「〇・〇一一」


習志野が記録を見る。


「安定してるな」


「はい」


三尾は頷いた。


「治具が効いています」


「よし」


十台の試作品は、高川電機へ運ばれた。


     ◇


高川電機・技術部。


イズミマチの試作品がギヤサーボに組み込まれていく。


組立担当者が慎重に作業する。


そして、試運転。


ウィーン……。


静かな音が響いた。


高川の技術担当者が耳を澄ます。


従来品を動かす。


続いて、イズミマチの試作品。


音が違う。


明らかに静かだった。


「……静かですね」


三尾が頷く。


「はい」


振動を測定する。


位置決め精度を測る。


負荷をかける。


結果が出る。


高川の技術担当者が測定表を見つめる。


「振動も下がってる」


「フランジの基準が出ていますから」


「位置決めもいい」


三尾は黙って結果を確認していた。


高川の技術担当者が顔を上げる。


「これは……使えますね」


信裕が尋ねる。


「採用については?」


担当者は頷いた。


「この仕様で進めたいです」


兵藤の目が見開かれた。


「ありがとうございます」


高川の営業担当者が続ける。


「正式な量産について、次回打ち合わせをさせてください」


「承知しました」


三尾は静かに頭を下げた。


     


その日の夕方。


イズミマチ本社。


兵藤が営業部へ戻る。


「兵藤!」


同僚が声をかけた。


「高川、採用だってな」


「……はい」


「やったじゃないか」


兵藤は照れたように笑う。


「いや……三尾さんが作ったものですから」


「でも、最初に見つけたのは兵藤だろ」


兵藤は答えなかった。


そこへ福井が現れた。


「兵藤くん」


「はい」


「社長室へ」


「……私が?」


「そう」


福井は笑った。


「行ってきなさい」


     


社長室。


社長・伊東征広。


専務・北沢弘。


取締役営業本部長・伊東信裕。


取締役総務部長・福井明人。


兵藤が入ってくる。


「失礼します」


征広が顔を上げた。


「兵藤くん。座りなさい」


兵藤が椅子に座る。


征広が口を開いた。


「高川電機から正式採用の話が来た」


「はい」


「よくやったな」


兵藤は頭を下げる。


「ありがとうございます」


信裕が続けた。


「今回の話は、三尾くんの技術力だけで成立したものじゃない」


兵藤が顔を上げる。


「君が現場の声を拾った」


「それを営業会議に上げた」


「そこから三尾くんが技術で答えを出した」


北沢が頷く。


「そして、君自身が高川まで持っていった」


兵藤は黙って聞いていた。


征広が言った。


「兵藤くん」


「はい」


「君を係長にする」


兵藤の目が止まった。


「……私を、ですか?」


「そうだ」


兵藤は言葉を失った。


五等級。


昇進試験には合格していた。


それでも役職はつかなかった。


ルート営業として既存客を守る。


それを何年も続けてきた。


福井から、


「総務や人事の方が向いている」


と言われたこともある。


それでも兵藤は、


「営業でやっていきます」


と答えた。


その答えが、今日になって返ってきた。


征広が笑った。


「営業を続けるんだろ?」


「……はい」


「なら、今度は自分で仕事を作れ」


兵藤の目が潤んだ。


眼鏡を押し上げる。


「……はい」


少し言葉がつれる。


「やります」


福井が静かに頷いた。


「期待していますよ、兵藤係長」


その言葉に、兵藤は一瞬、固まった。


「……係長」


自分で呟いてみる。


その響きが、まだ耳に馴染まない。


征広が笑った。


「そうだ。今日からだ」


兵藤は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


     


社長室を出た。


廊下を歩く。


兵藤は窓の前で立ち止まった。


春の空が広がっている。


1ヶ月ほど前。


営業車の中で、一冊の手帳を開いていた。


「過負荷」


「音」


「精度」


「泉町さんが作ってくれたら」


あの小さな文字から始まった。


自分は、大したことをしたわけではない。


ただ、客先で聞いたことを会社に伝えただけだ。


けれど。


誰かが声を拾い、


誰かが考え、


誰かが作り、


誰かが売る。


そうやって、一つの仕事になっていく。


兵藤は眼鏡を押し上げた。


そして、小さく笑った。


営業とは、商品を売ることだけではない。


まだ形になっていない「欲しい」を見つけることなのかもしれない。


イズミマチは、高川電機との新しい関係を手に入れた。


そして――


歯車の餅屋だったイズミマチは、この日、


新しい餅を一つ、手に入れた。

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高川の技術者、面目丸潰れ。
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