餅は餅屋
平成十三年、春。
月曜日。
泉町精工本社。
午前九時。
営業会議が始まった。
兵藤修司は、いつもより少し緊張した面持ちで席についていた。
机の上には、一冊の手帳。
先週一週間。
関西、中国地区の客先を回って聞いたことが、細かな文字で書き込まれている。
やがて、兵藤の番が来た。
「兵藤くん」
「はい」
兵藤は立ち上がった。
黒縁の眼鏡を押し上げる。
「先週、西の方を回ってまして……」
少し言葉がつれる。
「ちょっと、気になる話がありました」
「何だ?」
兵藤は手帳を開いた。
「高川電機のギヤサーボです」
会議室の空気が、わずかに変わった。
「滋賀の搬送機メーカーで、時々、過負荷エラーが出ると」
ページをめくる。
「大阪のシャッターメーカーでは、モーター周りの音がうるさい」
さらにページをめくる。
「岡山では、精度について不満がありました」
そして、最後のページ。
「広島では……」
兵藤は一度、言葉を止めた。
「泉町さんがサーボ作ってくれたらなぁ、という話が出ました」
何人かが顔を見合わせた。
兵藤は慌てて付け加える。
「正式な引き合いではありません。あくまで、現場の声です」
営業部長が聞いた。
「兵藤くん。君はどう思う?」
兵藤は手帳を見つめた。
「……作れるものなら、作ってみてもいいんじゃないかと」
小さな声だった。
だが、その言葉は会議室に届いた。
営業会議が終わった。
伊東信裕が兵藤を呼び止めた。
「兵藤さん」
「はい」
「もう少し詳しく聞かせてもらえますか」
兵藤は四社で聞いた話を説明した。
滋賀。
大阪。
岡山。
広島。
不満の内容は、それぞれ違う。
だが、共通しているのは高川電機のギヤサーボだった。
信裕は腕を組んだ。
「……四社ですか」
「はい」
「一週間で?」
「はい」
兵藤は頷いた。
「偶然かもしれません。ただ……」
少し考えてから続ける。
「同じメーカーの製品について、違う会社から似たような声が出るというのは、営業としては気になります」
信裕は黙っていた。
やがて手帳を閉じる。
「これは営業だけで判断する話じゃないですね」
「……はい」
「北沢さんに相談してみます」
午後。
専務・北沢弘の執務室。
信裕は兵藤の手帳を見せた。
「先週一週間で、四社から同じメーカーについて声が出ています」
北沢はページをめくった。
「過負荷、騒音、精度……」
「はい」
「それで、泉町にサーボを作ってほしいと」
「広島では、そういう話が出ました」
北沢はしばらく考えた。
「……これは営業だけで判断する話じゃないな」
「私もそう思います」
北沢は受話器を取った。
「社長を呼んでくれ」
一度、電話を切る。
「それから、征広と習志野」
そして少し考え、
「三尾も呼んでくれ」
夕方。
本社・大会議室。
社長・伊東征広。
専務・北沢弘。
常務・習志野毅。
技術開発本部長・三尾勝義
営業本部長・伊東信裕。
そして兵藤修司。
関係部署の人間まで集まっていた。
普段の営業会議とは、明らかに違う。
専務の北沢が口を開いた。
「兵藤くん。もう一度、最初から話してくれ」
「はい」
兵藤は立ち上がった。
滋賀。
大阪。
岡山。
広島。
それぞれの客先で聞いた言葉を、できるだけ正確に伝えていく。
過負荷。
騒音。
精度。
そして、
「泉町さんがサーボを作ってくれたら」
最後まで聞いた北沢が、兵藤を見る。
「君自身は、どう思う?」
兵藤は少し考えた。
「……現場では、もう少しいいものが欲しいんだと思います」
「なるほど」
征広が資料に目を落とした。
「しかし、サーボそのものを作るとなると、簡単ではありません。」
誰も口を挟まない。
「モーターだけではないです。アンプもある。エンコーダーもある。制御もある」
征広は顔を上げた。
「今から全部やる必要はないでしょう。」
北沢が頷く。
「餅は餅屋、か」
「そういうことです。」
征広は続けた。
「高川電機はサーボの餅屋です。」
そして、テーブルの上の資料を指で叩く。
「なら、うちはうちの餅を売ればいい」
習志野が口を開いた。
「ギア、つまりサーボのギアシャフトですね。」
「そう」
征広は即答した。
「泉町には減速機がある。歯車がある。ギアシャフトも作れる」
信裕が頷いた。
「なら、高川電機にギアシャフトを売る」
征広は頷く。
「それがいい」
兵藤は黙って聞いていた。
自分が拾った、何気ない現場の声。
それが、いつの間にか会社全体を巻き込む話になっている。
そのとき、習志野が三尾を見る。
「三尾君」
「はい」
「高川電機のギヤサーボを手に入れてくれ。」
三尾が顔を上げた。
「現物を?」
「そうだ」
習志野は即答した。
「ギアシャフトを売り込むなら、相手の製品を知らんことには話にならん」
「分かりました」
「分解して調べよう」
「はい」
三尾は頷いた。
数日後。
泉町精工・技術開発部。
作業台の上に、高川電機のギヤサーボが置かれていた。
三尾は黙々と分解していく。
カバーを外す。
モーターを外す。
フランジを外す。
そして、ギアシャフトが姿を現した。
三尾は手に取った。
歯面を見る。
加工状態を見る。
歯車測定器で測る。
数字を確認する。
「……」
もう一度、測る。
三尾が呟いた。
「……これ、いいな」
習志野が横から覗き込む。
「悪いのか?」
三尾は首を横に振った。
「逆です」
さらに測定する。
「ギア部分は、問題ありません」
「問題ない?」
「はい」
三尾は歯面を指でなぞった。
「歯形もいい。振れも少ない。歯筋もいい、加工もきれいです」
習志野もギアシャフトを見る。
「高川のギアが原因じゃない?」
「少なくとも、これは違います」
三尾は首を傾げた。
「これだけ出来がいいのに……」
そして、他の部分へ目を移した。
軸受。
ハウジング。
フランジ。
一つずつ測定していく。
やがて。
三尾の手が止まった。
フランジの、ハウジングとの接触面。
その内径。
三次元測定器を当てる。
「……〇・〇八」
習志野が見る。
「垂直度か?」
「はい」
三尾は頷いた。
「フランジのハウジングとの接触面と、内径との垂直度です」
習志野は、数値を見た。
「フランジ不良だな?」
「いや……」
三尾は測定結果をもう一度確認した。
「図面公差が緩すぎるみたいです」
「公差?」
「仕様書、検査成績書を取り寄せましょう」
◇
翌日。
高川電機の製品仕様書が技術部に届いた。
三尾は該当箇所を探した。
フランジ。
ハウジング接触面。
内径。
そして公差欄。
「あった」
三尾が指差す。
「垂直度公差……〇・一です」
習志野は仕様書を見る。
「〇・一……」
「実測が〇・〇八ですから、規格内です」
習志野は頷いた。
「そういうことか」
三尾は測定データを見る。
「不良じゃありません」
「だが……」
習志野がフランジを手に取る。
「これじゃ使い物にならん」
三尾が頷く。
「ギアシャフトが、これだけ精度がいいのに」
「受け側の公差が甘すぎる」
「はい」
三尾は説明した。
「ここの垂直度が〇・〇八まで許されている。組み付けたときに、軸が完全には立ちません」
「歯面の当たりが変わる」
「はい」
「音が出る」
「はい」
「精度も落ちる」
「場合によっては、余計な負荷がかかって過負荷にもつながります」
習志野は頷いた。
「現場の声とつながったな」
「はい」
三尾は仕様書を見る。
「ギアシャフトそのものは、かなり良い」
習志野は頷く。
「なら、うちがやるべきなのはギアシャフトだけじゃない」
三尾が顔を上げる。
「フランジも、ですか?」
「そうだ」
習志野は即答した。
「ギアシャフトとフランジ。セットで考えろ」
三尾はしばらくフランジを見つめた。
そして。
パソコンの電源を入れた。
CADが立ち上がった。
三尾はマウスを動かしながら、フランジの図面を描き始めた。
接触面を基準にする。
内径を指定する。
公差を入力する。
「〇・〇二……」
習志野が横から画面を覗き込んだ。
「そこまで締めるか」
「締めます」
三尾は即答した。
「ギアシャフトが、これだけの精度を持っているんです」
マウスを動かす。
「受け側も合わせないと意味がありません」
さらに寸法を変更する。
習志野は画面を見ながら尋ねた。
「加工はどうする?」
「……」
三尾の手が止まる。
数秒考える。
そして。
「常務」
「ん?」
「うちのハイポイドのフランジの治具」
習志野が三尾を見る。
「これなら使えますよね?」
三尾はCAD画面を指差した。
「形状を少し変えれば、あれを使えると思います」
習志野は画面を見た。
一瞬だった。
「ああ」
頷く。
「あれなら使える」
「いけますか?」
「あの治具なら、〇・〇一程度で収まる」
三尾の目が光った。
「やっぱり」
習志野は続ける。
「ハイポイドのフランジで散々苦労したからな」
「基準の取り方が肝ですよね」
「そうだ」
習志野は頷いた。
「治具で基準をきちんと作って、一工程で加工する。あれなら出せる」
三尾はすぐにCADへ戻った。
「じゃあ、この形なら……」
既存の治具の寸法と重ね合わせる。
マウスが動く。
カチッ。
「いけます」
「加工課に確認しろ」
「はい」
三尾はキーボードを叩いた。
「〇・〇一で狙います」
習志野は黙って、三尾を見ていた。
製品精度だけではない。
必要な精度を見抜く。
その精度を出すための治具を選ぶ。
さらに、その治具を使って、どう加工すれば安定して量産できるかまで考える。
それを、ほとんど一瞬でつないでいる。
習志野の脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。
橋本登。
長年、泉町の技術を支えた男。
設計だけではない。
どうすれば現場で作れるか。
どうすれば量産できるか。
そこまで考えて図面を引く男だった。
習志野は、三尾の横顔を見た。
そして心の中で呟く。
――ここまで製品精度だけじゃなく、加工までの最適解を瞬時に見抜くとは。
――さすが、あの橋本登が認めた男だ。
三尾は、そんな習志野の視線にも気づかない。
マウスを動かす。
カチッ。
画面上の寸法が、また一つ変わる。
「……これでいける」
習志野は、静かに頷いた。
作業台の上には、高川電機のギヤサーボ。
優れたギアシャフト。
そして、規格内ではあるが、緩すぎるフランジ。
兵藤が拾った現場の声は、ここまで来て初めて、
「何を作ればいいのか」
という具体的な答えに変わった。
次は、それを高川電機に持っていく番だった。




