次の時代へ
平成十年、春。
小橋伸夫が亡くなってから、一年余りが過ぎていた。
泉町精工は、再び勢いを取り戻していた。
北沢弘が開拓したクラウザー大連。
タキヤ台湾。
その周辺に広がった海外の顧客から、減速機の注文が相次いでいた。
台湾。
韓国。
東南アジア。
海外輸出は、まるで堰を切ったように伸びていった。
そして、もう一つ。
タナックで正式採用された中空減速機。
クラウザーの新規事業にも採用されることになった。
ワイヤーカット放電加工機。
その駆動部に、泉町精工の中空減速機が組み込まれる。
征広が進めた三カ年計画は、当初の目標を大きく上回った。
売上高――
四百二十億円。
目標だった四百億円を、あっさりと超えた。
しかも、利益額はバブル期の売上高五百十億円を記録した時期を上回っていた。
信成が社長だった頃。
泉町精工は、売上高五百十億円という絶頂を経験した。
しかし今は違う。
売上高では及ばない。
それでも、利益を生み出す力は、あの頃より強くなっていた。
そして――。
泉町精工は、IRで発表した。
配当復活。
那古野証券取引所第二部で人気第一位の優良銘柄となった。
社内でも、取引先でも、証券市場でも。
いつしか、同じ声が聞かれるようになっていた。
「次の社長は、征広専務だろう。」
信成は、その声を聞いていた。
そして、自分自身も分かっていた。
もう、答えは出ている。
ある夜。
社長室。
窓の外には、工場の灯りが並んでいた。
信成は机の前に座っていた。
征広が向かいに座る。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
やがて信成が口を開く。
「征広。」
「はい。」
「俺も、そろそろ社長を降りようと思う。」
征広は黙って兄を見る。
「会社の内外から、お前を社長にという声が出てるのを知ってるか。」
「……。」
「俺も、その方が良いと思っとる。」
信成は少し笑った。
「仕方ないな。」
信成は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
「俺が社長になってからな。」
「ずっと追いかけてきたものがある。」
征広は黙って聞いていた。
「東証二部上場だ。」
「那古野じゃない。」
「東京証券取引所第二部。」
信成はゆっくり言った。
「親父が作った会社を、東京の市場に上げたかった。」
「それが、俺の念願だった。」
征広は頷く。
信成は振り返った。
「でもな。」
「今度は、お前に託す。」
征広は兄を見つめる。
「……了解致しました。」
力強い返事だった。
信成は笑った。
「頼んだぞ。」
「はい。」
二人はそれ以上、何も言わなかった。
その数日後。
取締役会。
征広の社長就任が正式に決まった。
信成は会長へ。
征広は社長へ。
長く泉町精工を支えてきた隆則も、会長職を退くことになった。
経営から完全に身を引き、これからは一人の株主として会社を見守る。
多々良重雄も、第一線から退き、相談役となった。
一方で、北沢弘、習志野毅、福井明人ら、平成の泉町精工を支えた人間たちが新たな経営の中核を担っていく。
会社は、少しずつ姿を変え始めていた。
社長室。
新しい社長となった征広は、窓の外を眺めていた。
工場が見える。
第一工場。
第二工場。
そこには、何十年もの時間が積み重なっている。
創業者・伊東隆。
兄・隆則。
兄・信成。
小橋伸夫。
習志野。
石川。
北沢。
そして、数え切れないほどの社員たち。
征広は静かに呟いた。
「……まだ、終わりじゃないな。」
机の上には、一枚の資料が置かれていた。
次なる目標。
東京証券取引所第二部上場。
征広は資料を閉じた。
そして、新しい社長として椅子に座った。
泉町精工は、次の時代へ向かって動き始めていた。
昭和から平成へ。
創業者から、その息子へ。
そして――
次の世代へ。
この会社には、まだ先がある。
まだ、見たことのない景色がある。
征広は前を向いた。




