気づき
平成七年、冬。
中国・大連。
朝から乾いた風が吹いていた。
北沢弘、伊東信裕、自ら通訳を買って出た伊東康則の三人は、大連経済技術開発区にある自動化設備メーカーを訪れていた。
工場内では、生産ラインが絶え間なく動き続けている。
日本製、ドイツ製、台湾製。
様々な機械が並び、その駆動部では減速機が低い駆動音を響かせながら休みなく回り続けていた。
北沢は現場責任者に尋ねた。
「実際にお使いになっていて、ご不満な点はありますか。」
責任者は減速機を指差し、中国語で答えた。
「维修的时候很麻烦,每次都要拆开。」
(メンテナンスが面倒です。整備のたびに分解しなければなりません。)
さらに続ける。
「停机时间太长,影响生产。」
(機械を止める時間が長くなり、生産に影響が出ます。)
「还有,线缆越来越多,很乱。」
(ケーブルも年々増えて、配線がごちゃごちゃしています。)
康則が手際よく訳していく。
北沢は一言も漏らすまいと、黙々と手帳へ書き込んだ。
「ありがとうございました。」
三人は工場を後にした。
車の中。
しばらく誰も口を開かなかった。
やがて北沢が助手席の信裕に声を掛けた。
「信裕くん。」
「君なら、どうする。」
突然の問いだった。
信裕は窓の外を眺めながら、しばらく考え込む。
「……整備のたびに分解する、と言っていましたよね。」
北沢は黙って頷く。
「配線が外を回る構造だからかもしれません。」
「もし、簡単に回せたら……。例えば、真ん中を通せるような構造にできたら……。」
「分解する箇所が減って、整備時間も短くなるんじゃないでしょうか。」
北沢は口元を緩めた。
「そうだね。」
「現場は困り事を教えてくれる。」
「答えを考えるのは、俺たちメーカーの仕事だから。」
信裕は少し照れたように笑った。
「父から、機械は現場で覚えろって、子どもの頃から言われていました。」
「休みの日も、よく工場へ連れて行かれました。」
「旋盤やホブ盤を見ながら育ったんです。」
運転席の康則が笑った。
「信裕くん、理系だったっけ?」
「いえ。」
「同立社大学の経済学部経営学科です。」
「機械は専門じゃありません。」
康則は感心したように頷いた。
「俺も経営学部だったけど、そんな発想は浮かばんな。」
少し間を置く。
「やっぱり信成叔父さんに似てるんだろうな。」
「機械屋の勘、みたいなもんかな。」
信裕は首を横に振った。
「父には、とても敵いません。」
北沢は静かに窓の外を見つめた。
(信成社長の突破力。)
(あの人の機械屋としての勘は、この子にも流れてるかもしれない。)
午後。
三人は蔵宇座工業(大連)有限公司を訪れた。
営業部長・久保寺俊夫が満面の笑みで迎えた。
「北沢さん!」
二人は固く握手を交わした。
十年来の付き合いだった。
商談を終えた帰り際。
久保寺が笑いながら康則を指差した。
「北沢さん、今回一番助かったのは康則さんですよ。」
北沢が微笑む。
「そうですか。」
「ええ。」
「ホテルも車も通訳も完璧です。」
「段取りが本当にうまい。」
「それに……。」
久保寺は苦笑した。
「時々いなくなるんですよ。」
その場がどっと笑いに包まれた。
康則が頭をかく。
「ちょっと街を歩いていただけですよ。」
久保寺は首を振った。
「違います。」
「市場へ行けば市場の人。」
「港へ行けば港の人。」
「屋台へ行けば屋台のおやじ。」
「五分歩けば、誰かに声を掛けられている。」
「気が付けば、みんな友達です。」
そこへクラウザー観光・大連事務所の所長も笑いながら加わった。
「さっき日本の倉田部長から電話がありましてね。」
康則が苦笑する。
「ああ、またですか。」
「『伊東はどこへ行った!』って。」
所長も笑う。
「でも最後は必ずこう言うんです。」
『仕事は誰よりもできる。だから余計に腹が立つ。』
康則は照れ笑いを浮かべた。
「怒られるうちが花ですよ。」
久保寺が思い出したように言った。
「そうだ。」
「橋本さんによろしくお伝えください。」
北沢が振り向く。
「うちの橋本を知っているんですか。」
「ええ。」
「クラウザー時代の先輩なんです。」
「中国へ来る前は、本当にお世話になりました。」
北沢は笑った。
「そうだったんですか。」
「世間は狭いですね。」
久保寺は康則を見ながら言った。
「北沢さん。」
「ああいう人は、どこの国へ行ってもやっていけますよ。」
北沢は小さく笑うだけだった。
帰国の日。
大連空港。
搭乗を待つ三人。
北沢は滑走路を見つめながら口を開いた。
「康則くん。」
「君は、人との距離の詰め方を知っている。」
「メーカーの営業でもない。」
「企業の経営者でもない。」
「それでも、日本人も中国人も、みんな君を信用している。」
康則は照れくさそうに笑った。
「買いかぶりですよ。」
「旅が好きなだけです。」
北沢も笑った。
「いや。」
「私も人たらしと言われることはある。」
「でも、君には敵わない。」
「本当に、大した男だと思うよ。」
康則は照れ隠しに頭をかいた。
やがて搭乗開始のアナウンスが流れる。
「じゃあ、先に行ってます。」
康則が改札へ向かって歩き出す。
信裕と北沢が少し遅れて続く。
康則の姿が改札の向こうへ消えた。
その背中を見送りながら、北沢はぽつりと呟いた。
「……底知れない人間力を持っている。」
信裕が振り向く。
「北沢さん?」
北沢はゆっくり首を振った。
「いや。」
「信成社長は技術で道を切り開く。」
「征広専務は商売で道を切り開く。」
少し間を置く。
「でも、康則くんは……。」
思わず素の言葉が漏れた。
「人で道を切り開いていきそうだ。」
信裕は何も言わなかった。
飛行機はゆっくりと滑走路へ向かう。
窓の外には、冬の大連の街並みが遠ざかっていく。
北沢は座席に深く腰を下ろした。静かに目を閉じた。
「現場は、答えを教えてくれる。」
「そして、人もまた、答えを教えてくれる。」
そう唱えながら、静かに目を閉じた。




