狼煙
営業本部会議室。
征広専務。
営業本部長・北沢弘。
2人だけの打ち合わせだった。
征広が口を開く。
「営業から何かありますか。」
北沢は一枚の世界地図を机に広げた。
「あります。」
赤ペンで台湾と中国・大連を指す。
「台湾滝谷股份有限公司。(タキヤ台湾法人)」
「蔵宇座工業(大連)有限公司。(クラウザー中国(大連)法人)」
征広は頷いた。
「海外生産か。」
北沢は首を振る。
「違います。」
「私が見ているのは工場じゃありません。」
「販売網です。」
征広の表情が変わる。
北沢は続けた。
「海外で生産している以上、必ず現地の販売ルートがあります。」
「タキヤは木工機械と電動工具。」
「クラウザーはミシンと工作機械。」
「これらを買う客は。」
「工場、多くはメーカーです。」
「その客層の中に。」
「減速機やギヤードモーターを必要とする会社は必ずあります。」
征広は腕を組んだ。
「つまり。」
「新しい販路を一から作るのではなく」
「既にある販路を使わせてもらう。」
「その通りです。」
北沢は笑った。
「しかも。」
「Powered by IZUMIMACHI 」
「田村機械製作所やダイハチ電機のおかげでこの名前は海外では多少知られています。」
「ゼロから営業するより、はるかに戦いやすい。」
征広は静かに頷いた。
「なるほど。」
「面白い。」
しかし北沢はすぐに表情を引き締めた。
「ただ、一つ問題があります。」
「販路だけでは売れません。」
「台湾製より少し高いが信頼性はある。」
「三友より少し安いが知名度が劣る。」
「これではお客様は泉町を選びません。」
部屋が静まり返る。
「泉町を選ぶ決定打。」
「それが必要です。」
征広は立ち上がった。
「ならば、橋本さんのところへ行こう。」
「技術で差別化し、その決定打を作る。」
「橋本さんならクラウザーや工作機械のニーズがわかるだろうしな。」
減速機事業部開発室。
征広と北沢は橋本登の部屋を訪ねていた。
部屋の壁一面には図面。
試作品。
分解された減速機。
橋本は二人の顔を見るなり笑った。
「営業と専務が一緒とは珍しいな。」
征広は椅子に腰を下ろした。
「橋本さん。」
「これからのニーズを教えてください。」
「三友にも。」
「競合他社にもまだ無いもの。」
「泉町精工を選ぶ決定打になる商品を作りたい。」
橋本は黙ったまま二人を見つめた。
やがて立ち上がる。
部屋の奥のロッカーを開け、一冊の分厚い図面を取り出した。
角は擦り切れ、何度も開いた跡が残っている。
机の上へ静かに置いた。
「実はな。」
「これ、かなり前に描いた図面なんや。」
征広が表紙を見る。
『中空ギアードモーター』
さらにもう一冊。
『中空ギアードモーター付減速機』
北沢が思わず声を漏らした。
「もう図面出来てるんですか。」
橋本は苦笑した。
「ああ。」
「信成社長にも見せた。」
「そしたら。」
『今は開発予算が無い。』
『橋本さん、諦めてくれ。』
「そう言われてな。」
「そのままストップやわ。」
征広は何も言わない。
橋本は少し寂しそうに笑った。
「見る目が無くなった言うたら失礼やな。」
「あの人、本来そんな人やない。」
「昔は新しいもん見たら目ぇ輝かせとった。」
「面白い。」
「やってみよう。」
「そういう人やった。」
少し間を置く。
「それが今は。」
「魂が抜けたみたいや。」
「コストカット。」
「経費削減。」
「社員守るため。」
「気持ちは分かる。」
「でもな。」
橋本は図面を叩いた。
「新製品が無かったら。」
「社員どころか。」
「会社も守れん。」
静まり返る開発室。
征広はゆっくり口を開いた。
「橋本さん。」
「私は本気です。」
「会社を変えたい。変えなきゃいけない。」
橋本は征広の目を見つめた。
「……本気か。」
「ミスター征広。」
「本気なら聞いてくれ。」
図面を大きく広げる。
「これは性能だけやない。」
「加工方法まで考えて設計してある。」
断面図を指差す。
「中空のギア付きシャフト。」
「この中を冷却水や洗浄水、水溶性切削油が通る。」
「錆びたら終わりや。」
征広が頷く。
「普通ならステンレスですね。」
「その通り。」
「それが正攻法やわね。」
橋本は笑う。
「でもステンレスは加工屋泣かせや。」
「旋削は粘る。」
「ホブの持ちは悪い。」
「歯研も手間が掛かる。」
「コストも高い。」
橋本は一本指を立てた。
「だから私は使わん。」
「クロムモリブデン鋼。」
「クロモリや。」
「さらに浸炭焼入れ。」
「切削性はステンレスより遥かにええ。」
「必要な強度も十分出る。」
北沢が首をかしげた。
「でも橋本さん。」
「クロモリだと錆びますよ。」
橋本は待ってましたと笑う。
「そこがキモや。」
断面図の内径を指差した。
「内径だけテフロンコーティング。」
「流体が触るんは中だけ。」
「外はクロモリ。」
「中はテフロン。」
「加工性。」
「強度。」
「耐食性。」
「全部取りにいく。」
北沢は思わず図面を見入った。
「……なるほど。」
橋本はニヤリと笑う。
「どうや。」
「三友が思いつくか。」
「思いついても。」
「ここまで加工のこと考えて設計できるか。」
征広は図面を閉じた。
「橋本さん。」
「開発予算はいくら要ります。」
橋本は迷わず答えた。
「二億。」
少し考え、笑った。
「……いや。」
「一億五千万。」
「一億五千万で仕上げてみせる。」
征広は即答した。
「私の決裁で進めます。」
橋本は目を丸くした。
「社長は。」
「私から話します。」
「反対されても始めます。」
橋本はしばらく征広を見つめていた。
「ミスター征広。」
「私ゃ、あと一年ちょっとで定年や。」
「最後に、こんな面白い仕事ができるとは思わなんだ。」
征広は立ち上がった。
「橋本さん。」
「泉町精工の未来を。」
「お願いします。」
橋本はゆっくり右手を差し出した。
「任せろ。」
「世界に通用する減速機。世界が欲しがる減速機。」
「最後に一つ、作ったる。」
二人は固く握手を交わした。
泉町精工の反撃の狼煙は、静かに、しかし確かに上がった。




