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ベテラン新人

平成七年、初夏。


係長に昇格して半年。


柳田仁は、自ら異動願を提出した。


総務部長・多々良重雄。


製造本部長・習志野。


二人は何度も慰留した。


「柳田。」


「もう少し頑張れ。」


「お前しかおらんから。」


しかし、柳田は静かに首を横へ振った。


「……無理です。」


「パートさんをあれだけ辞めさせて。」


「自分だけ、のうのうとここで働くわけにはいきません。」


「あの人たちの顔が、毎日浮かぶんです。」


決意は固かった。


習志野は大きくため息をついた。


「分かった。」


「運輸部へ異動を認める。」


こうして柳田は歯車事業部を去った。


後任の係長には都築敏夫。


さらに、新設された係長補佐には丹羽博久が就いた。


そして、柳田と入れ替わるように運輸部から一人の男が歯車事業部平歯車課へやって来た。


寺田幸生。


二代目送迎バス運転手として社員やパートを毎日送り迎えしてきた男だった。


作業服姿の寺田を見たトシは思わず笑った。


「寺ちゃん、似合わんなぁ。」


寺田も苦笑した。


「俺もそう思うわ。」


「けど、今日からよろしく頼む。」


1週間、寺田は作業の基本を覚えるため、ワーク脱着をする作業者として働いた。


次の朝。


「寺ちゃん。」


トシが声を掛ける。


「今日も脱着や。」


寺田は首を振った。


「脱着はもうええ。」


「段取りやらせてくれや、」


トシは苦笑いした。


「早い早い。」


「まず脱着覚えてから。」


寺田は納得しない。


「何でや。」


「段取りの方がおもろそうやないか。」


「脱着やと朝から晩まで、同じ事ばかりでつまらんわ。」


丹羽が笑う。


「寺ちゃん。」


「普通は脱着を覚えてから。」


「寸法見て。」


「機械覚えて。」


「最後が段取り。」


寺田は首を傾げた。


「そんな遠回りせんでもええやろ。」


「段取りは機械止まっとる時間との勝負なんや。」


「治具、ホブ、チェンジギヤ。」


「全部外段取りで揃っとる。」


「順番一つ間違えたら全部狂う。」


寺田の目が輝く。


「それや。」


「それがやりたい。」


トシは頭を抱えた。


「寺ちゃん、大丈夫かなあ……。」


翌日からトシと丹羽は代わる代わる段取りを寺田に教え始めた。


試行錯誤しながら、寺田は自信を持つようになっていく。


寺田は得意げだった。


「トシ。」


「今日はお前らの助けを借りずに俺ひとりで段取りしてやるわ。」


「寺ちゃん、大丈夫か?」


「任せとけ。」


外段取りで準備された治具、ホブ、チェンジギヤ。


寺田は手順書を見ながら交換していく。


ところが――。


チェンジギヤを一枚、逆の組み合わせで取り付けてしまった。


加工開始。


ギュイーン……


一本目が上がる。


寺田は首をかしげた。


「……何やこれ。」


歯形がどう見てもおかしい。


「がぁーっ!」


「歯にならんのかい!」


その声でトシと丹羽が飛んできた。


「寺ちゃん!」


丹羽は機械を見るなり叫んだ。


「チェンジギヤ逆や!」


「あっ……。」


寺田は頭をかいた。


「やっべ。」


周りをキョロキョロ見回す。


そっと不良品を作業着のポケットへ。


「証拠隠滅。」


「こらーっ!」


トシが叫ぶ。


その頃、検査場では――。


パートのおばちゃんが首をかしげていた。


「おかしいなぁ。」


「加工数と数が合わへん。」


別のおばちゃんも言う。


「不良箱にも入っとらんよ。」


「どこ行った?」


遠くで寺田が口笛を吹いている。


ポケットだけが、妙に膨らんでいた。


「寺ちゃん!」


「まだ持っとるやろ!」


工場中が笑いに包まれた。



三人で歯切盤の前に立っていた。


丹羽が小声でつぶやく。


「……これ、習志野部長にバレたらヤバいよな。」


トシも苦笑いする。


「めちゃくちゃ怒られるぞ。」


寺田は平然としていた。


「習志野か。」


「大丈夫、大丈夫。」


「何か言われたら俺が言い返したる。」


「丹羽、トシ、心配すんな。」


トシと丹羽は顔を見合わせ、ため息をついた。


寺田幸生。


習志野製造本部長と同い年でありながら、社歴はなんと三年も長い。


丹羽が苦笑した。


「寺ちゃん、ほんま習志野部長に怒られますよ。」


寺田は鼻で笑った。


「習志野の野郎。」


「入った頃は、同い年なのに俺のこと『寺田さん』って呼んどったんやぞ。」


トシが吹き出す。


「そうなんっすか?」


「ああ。」


「高校出て入ってきたばっかやったからな。」


「ペコペコしとったわ。」


「それが今じゃ『寺ちゃん』や。」


「高校出たてでペコペコしてたくせに。」


「今じゃ本部長様か。世の中変わるもんやな。」


トシが目を丸くした。


「マジっすか!?」


「ああ、俺が送迎バス運転手やってる間も、時々顔合わせたら気まずそうにしとったわ。」


三人は声を上げて笑った。


ベテランでありながら、製造の新人に挑戦する男——


寺田幸生の、歯車事業部での日々が始まった。


もっとも、この男が本当に現場へ溶け込むまで、そう時間はかからなかった。

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