表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
63/80

全国大会

平成元年、秋。


大阪。


社会人軟式野球全国大会。


全国三十二チームが集う、日本一決定戦。


泉町精工は創部以来初めて、この舞台へ立っていた。


抽選会。


司会者が読み上げる。


「第一試合。」


「大阪代表・カトーユーカドー。」


「愛知代表・泉町精工。」


場内がどよめく。


「いきなり優勝候補か。」


「カトーユーカドーは三連覇したこともある。」


「昨年もベスト四。」


「泉町精工、くじ運が悪すぎる。」


一方、泉町ベンチ。


加地淳だけは笑っていた。


「芝さん。」


「帝国ハムの東崎さんのサインまだ〜⁉️」


芝が睨む。


「シーズン中だし、簡単には会えんだろが」


加地は肩をすくめる。


「一応、高校大学の先輩なんだろうけどさ、本当は喋ったこと無いんじゃねぇの? 東崎も芝?誰それ?って感じなんじゃない?」


「馬鹿野郎!」


ベンチは笑いに包まれた。


緊張が消える。


試合開始。


一回裏。


先頭・加地。


初球。


セーフティーバント。


一塁線へ絶妙に転がる。


一塁手が前へ飛び出した。


捕手が拾って一塁へ送る。


しかし二塁手のベースカバーが間に合わない。


セーフ。


続く滝元。


二球目。


加地がスタート。


盗塁成功。


滝元は送りバントを決める。


加地は悠々三塁。


一死三塁。


三番・鶴田。


二塁ゴロ。


その間に加地がホームイン。


一点先制。


実況。


「泉町精工!」


「わずか三人で一点を奪いました!」


芝はその一点を守るだけだった。


六回まで被安打一。


実況席へメモが届く。


「今、情報が入りました!」


「この芝投手、現在帝国ハムで『トレンディエース』と呼ばれる東崎投手の高校・大学の二学年後輩!」


「学生時代は『左の東崎』と呼ばれていたそうです!」


七回。


加地が再び魅せる。


バントの構え。


内野が一斉に前進する。


その瞬間。


バットを軽く引き、ちょこんと当てた。


打球は前進した内野の頭を越え、センター前で失速。


センターが前へ突っ込む。


だが加地は一塁を蹴り、そのまま二塁へ。


二塁打。


滝元、鶴田が倒れ二死。


四番・都築敏夫。


二遊間を破るタイムリー。


二対〇。


九回。


芝は最後まで崩れなかった。


被安打一。


完封勝利。


試合終了。


実況。


「大阪代表カトーユーカドーを相手に、一安打完封!」


「初出場・泉町精工、堂々の初戦突破です!」



二回戦。


相手は九州代表・オンダ自販熊本。


オンダ系販売会社。


九州大会優勝。


全国大会常連の強豪だった。


石川満監督は芝を温存した。


先発は十九歳。


高卒ルーキー・瀬戸。


実況。


「今日は芝ではありません。」


「泉町精工、瀬戸が先発です!」


一回裏。


加地が内野安打。


続く滝元もセーフティーバント成功。


無死一、二塁。


ダブルスチール。


球場がどよめく。


四番・都築敏夫。


高めのストレートを一閃。


左中間スタンドへ一直線。


スリーランホームラン。


三対〇。


二回裏。


瀬戸は犠牲フライで一点を失う。


三対一。


しかし、それ以上は許さない。


シンカーと伸びのあるストレート。


打たせて取り続けた。


七回。


またしても加地。


遊撃への深いゴロ。


内野安打。


すかさず二盗。


さらに三盗。


一死三塁。


滝元。


スクイズ成功。


四対一。


九回。


瀬戸は最後の打者を外角ストレートで見逃し三振。


試合終了。


泉町精工 四対一 オンダ自販熊本。


実況が締めくくる。


「芝だけではありません!」


「十九歳・瀬戸も全国トップクラスです!」


「そして加地淳。」


「二試合で相手守備陣を完全に翻弄しています!」


オンダ自販熊本ベンチ。


監督はスコアブックを閉じ、大きく息を吐いた。


目線の先には、笑いながら仲間と引き揚げる加地淳の姿。


苦笑いを浮かべ、小さく呟く。


「……なんてやつだ。」


隣のヘッドコーチが首を傾げる。


「監督?」


監督は加地から目を離さない。


「一体……。」


「あいつを、どうやってアウトにするんだ……。」


しばらく沈黙が流れる。


そして、ゆっくりと笑った。


「打つ。」


「走る。」


「揺さぶる。」


「九回まで、一度もうちの野球をさせてもらえなかった。」


帽子を取り、泉町精工ベンチへ向かって深く一礼した。


その姿を見ていた新聞記者は、すぐに手帳へ書き込んだ。


『韋駄天・加地。全国の強豪監督をうならせる。』


二回戦を終えた時点で、全国の新聞はすでに泉町精工を優勝候補の一角として扱い始めていた。


三回戦。


勢いは、もう誰にも止められなかった。


相手は北関東の雄、常陸宮部銀行。


上位常連の名門であり、「銀行野球」と呼ばれる堅実な守備と緻密な攻撃を武器に勝ち上がってきた強豪だった。


しかし、この日の泉町精工は隙を見せなかった。


先発・芝が八回を無失点。


九回は瀬戸が締める盤石の継投。


打っては加地が二安打二盗塁。


滝元が堅実に送り、都築が勝負強い一打で試合を決める。


泉町精工 二対〇 常陸宮部銀行。


危なげなく準決勝へ駒を進めた。


翌日の新聞は、こう報じた。


『韋駄天・加地、止まらず。』


『芝・瀬戸の二枚看板、全国を席巻。』


そして準決勝。


相手は中国地区最多出場を誇る古豪、大泉谷病院。


全国優勝経験もある伝統チームだった。


初回から投手戦となる。


瀬戸は臆することなく内角を突き、七回まで無失点。


打線は五回、加地の内野安打をきっかけに一死二塁の好機を作ると、都築の右前適時打で待望の一点を先制した。


八回からは芝がマウンドへ。


「左の東崎」と呼ばれた男は、名門打線を寄せつけなかった。


九回二死。


最後の打者を外角低めいっぱいのストレートで見逃し三振。


泉町精工 一対〇 大泉谷病院。


初出場の町工場が、ついに全国決勝の舞台へ駒を進めた。


大会を通じて加地淳は驚異的な活躍を続けていた。


ここまで、


打率一〇割。


十一盗塁。


一度もアウトになることなく、相手チームを翻弄し続けていた。


全国紙は一面で報じる。


『韋駄天・加地、日本一まであと一勝。』


一方、決勝で待ち受ける相手もまた、怪物だった。


そして、企業野球界の伝説――


決勝の相手は四国代表・土佐山田運輸。


全国優勝二回。


その二度とも大会MVPを獲得した男がいた。


四番・投手 瀬長五郎。


通称――背流しゴロー。


小柄ながら全身筋肉の塊のような体格。


打者に一度背中を向け、大きく身体をひねってから投げ込む独特のフォーム。


軟式で130㎞台後半の唸るようなストレート。


鋭く落ちるフォーク。


四国予選から全国大会決勝まで、自責点ゼロ。


社会人軟式野球界の生きる伝説だった。


一回裏。


先頭・加地淳。


ここまで出塁率一〇〇パーセント。


誰一人、加地をアウトにできなかった。


瀬長がゆっくり背中を向ける。


球場がざわつく。


反転。


白球が突然現れた。


加地は反射的にセーフティーバントを試みる。


しかし。


タイミングがわずかに遅れた。


打球は高々と舞い上がる。


瀬長が静かに捕球。


アウト。


実況が叫ぶ。


「加地淳!」


「全国大会初めてのアウトです!」


加地はベンチへ戻っても首を傾げていた。


「なんだ、今の……。」


「球が急に出てきたぞ。」


三回。


タイミングを外されショートゴロ。


五回。


今度はフォークに空振り三振。


三打席。


すべてアウト。


バットを地面に叩きつけ、審判に注意を受ける。


全国大会で初めて、加地の表情から笑顔が消えた。


ベンチへ戻る。


ヘルメットを脱ぐと、珍しく黙り込んだ。


都築敏夫が隣へ腰掛ける。


「どうした。」


加地は苦笑いした。


「見えねぇ。」


「フォームばっか気になって。」


「あんなピッチャー初めてっす。」


都築はタオルで汗を拭きながら笑った。


「俺は見てないぞ。」


「え?」


「背中も腕も。」


「球しか見てない。」


加地は黙った。


都築は立ち上がる。


「野球は球を打つ競技だ。」


「フォームを打つ競技じゃない。」


加地は思わず吹き出した。


「なるほど。」


「球だけか。」


七回表。


二死走者なし。


加地は打席へ向かう。


もう瀬長の背中は見ない。


視線は最初から最後まで白球だけ。


瀬長が反転する。


ストレート。


加地の身体が自然に反応した。


カキーン!


鋭い打球が左中間を真っ二つ。


実況が絶叫する。


「抜けた!」


「加地!」


「ついに背流しゴローを攻略!」


加地は一塁を蹴る。


迷わず二塁へ。


ヘッドスライディング。


セーフ。


拳を握る。


泉町ベンチが総立ちになった。


都築が笑う。


「それでいい。」


続く滝元。


迷わず送りバント。


一死三塁。


三番・鶴田。


四球。


一死一、三塁。


打席には四番・都築。


石川満がベンチで右手を軽く動かした。


スクイズ。


初球。


都築は絶妙に一塁線へ転がす。


加地が迷わずスタート。


瀬長が飛び出す。


ホーム送球。


わずかに遅い。


球審が両手を広げた。


「セーフ!」


実況席。


「スクイズ成功!」


「泉町精工先制!」


「そして!」


「背流しゴロー、今大会初失点!」


石川は静かに帽子のつばへ手をやった。


一点。


欲しかった一点だった。


その裏。


二死走者なし。


打席には四番・瀬長五郎。


芝は深く息を吐いた。


選んだ球は、得意の縦に割れるカーブ。


瀬長は体勢を崩しながら強引にすくい上げる。


カキィーーン!


打球は左中間へ一直線。


誰もが長打を確信した。


センター・加地が走る。


まだ届かない。


もう一歩。


最後は身体を横へ投げ出した。


バシッ!


土煙が舞う。


静まり返る球場。


加地がグラブを高々と掲げた。


捕っている。


大歓声。


実況は声を枯らした。


「捕ったぁーーーっ!」


「加地淳!」


「大会最高のファインプレーです!」


瀬長は思わず笑った。


「……参った。」


「今のを捕られたら、しゃあない。」


九回裏。


二死。


最後の打者。


芝のストレートが外角いっぱいへ決まる。


「ストライク!」


「バッターアウト!」


「ゲームセット!」


泉町精工 一対〇 土佐山田運輸。


石川満はゆっくり帽子を脱いだ。


ホームランではない。


大量点でもない。


スクイズで奪った一点。


全員で守り抜いた一点。


それが泉町精工の野球だった。


表彰式。


大会MVP。


加地淳。


ベストナイン。


捕手・都築敏夫。


二塁手・滝元正志。


外野手・加地淳。


投手は土佐山田運輸・瀬長五郎だった。


加地が笑う。


「トシさんはホームラン打ったし、打点も稼いどるから分かるわ。」


滝元を見る。


「でも滝元さん?」


「俺とのダブルスチールが二、三回決まったからっすか?」


「セカンド、他にまともなやつおらんかったんじゃねぇの?」


滝元は苦笑いした。


「うるせぇよ。」


「芝や瀬戸が取れねぇのに、俺が取っちゃっていいんかなって後ろめたさはある。」


少し照れ笑いを浮かべる。


「まあ……頂けるなら頂いとく。」



表彰式終了後。


瀬長が加地へ歩み寄る。


「日本一、おめでとう。」


二人は固く握手を交わした。


加地は瀬長の顔をまじまじと見つめる。


「……あんた。」


「北京原人みたいな顔やな。」


一瞬、周囲が凍りつく。


芝が慌てて言う。


「おい、加地。」


「瀬長さんに失礼やど。」


加地は芝を見てニヤリと笑った。


「芝さん。」


「ベストナインにもなれなかったくせに説教せんでくださいよ。」


周囲は大爆笑。


瀬長も腹を抱えて笑った。


「ガハハハ!」


「お前、おもろいな!」


「またいつか勝負しようや!」


加地も笑って頷く。


「負けませんよ。」



スタンドでは、小橋伸夫が静かに呟いた。


「……習志野。」


「石川君らしいな。」


習志野毅も深く頷く。


「そうですね。」


「ホームランじゃない。」


「スクイズで日本一。」


「泉町精工らしい勝ち方でした。」


少し離れた場所で、隆則は父・隆の遺影を抱き締めていた。


涙を拭い、小さく語りかける。


「親父……。」


「日本一になったぞ。」


グラウンドには、日本一の歓喜がいつまでも響き渡っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ