勝ち筋
昭和六十二年、秋。
那古野証券取引所第二部上場を果たした泉町精工は、勢いに乗っていた。
歯車。
減速機。
そしてギアモータ。
売上は伸び続けている。
しかし――。
役員会議室には重い空気が流れていた。
営業本部の壁には、日本地図と主要取引先の一覧が貼られている。
その中央には、大きく赤字で書かれていた。
三友重機械工業。
減速機業界最大手。
自動車製造ライン向けでは、圧倒的なシェアを誇っていた。
営業担当常務・伊東征広が立ち上がる。
「社長。」
「専務。」
「次の目標を申し上げます。」
隆則が頷く。
「言ってみろ。」
征広は地図へ歩いた。
赤丸を二つ付ける。
田村機械製作所。
ダイハチ電機。
会議室がざわついた。
小橋伸夫が思わず口を開く。
「おい……。」
「そこは三友の牙城だぞ。」
専務・信成も腕を組む。
「常務。」
「本気か。」
「三友は市場の八割を押さえている。」
「真正面から戦って勝てる相手ではない。」
征広は静かに首を振った。
「専務。」
「私は勝てない戦はいたしません。」
全員が征広を見る。
「勝ち筋があります。」
その一言で空気が変わった。
征広は田村機械を指した。
「三友に勝つ必要はありません。」
「田村機械製作所。」
「ダイハチ電機。」
「この二社を押さえます。」
小橋が首を傾げる。
「それだけで市場が動くのか。」
征広は迷わず答えた。
「動きます。」
「自動車製造ラインは横のつながりが非常に強い。」
「常に安定が求められる世界だからこそ、実績を重要視します。」
「田村機械の設備が採用すれば、他社も追随する。」
「ダイハチが標準仕様にすれば、それが業界標準になります。」
「数年後には、自動車製造ラインの半分以上へ、当社の減速機が使われるようになります。」
静まり返る会議室。
信成は資料へ目を落とした。
営業の発想だった。
自分には思い付かない。
もし自分なら。
現場の加工能力。
納期。
品質。
歩留まり。
そんな事ばかり考えてしまう。
だから営業は向かない。
仕事を取ってくる前に、
出来るかどうかを考えてしまう。
征広は違う。
市場の流れを読んでいる。
信成は静かに言った。
「担当は。」
征広は即答した。
「営業課長・北沢です。」
社長の伊東隆則が驚く。
「北沢か。」
信成も顔を上げた。
「常務。」
「北沢はタキヤ、クラウザーから絶大な信頼を得ていると聞いている。」
「外して大丈夫なのか。」
征広は穏やかに笑った。
「はい。」
「社長や私が担当してた頃より、北沢のおかげでタキヤ、クラウザーとは、もう十分すぎるほど太いパイプができました。」
「北沢抜きでも回ると判断しております。」
そして田村機械を指差した。
「ですが。」
「田村機械は違います。」
「これから当社の未来を左右するお客様です。」
「会社で一番、人に好かれる営業を送り込みます。」
「北沢しかおりません。」
北沢は席を立った。
「ありがとうございます。」
「必ず突破口を開いてきます。」
隆則が満足そうに笑う。
「よし。」
「やってみろ。」
「失敗したら私が責任を取る。」
会議は終わった。
数日後。
京都。
田村機械製作所。
受付で名前を書く北沢へ、購買課長が笑いながら言った。
「泉町精工さんか。」
「最近、上場して景気がいいらしいじゃない。」
「儲かって、儲かって仕方ないんだろ。」
嫌味だった。
だが北沢は笑顔を崩さない。
「おかげさまで。」
「まだまだ勉強中です。」
その一言に、相手も少し笑った。
応接室。
減速機の見積書を広げる。
資材課長が眉をひそめた。
「三友さんより安いな。」
北沢は静かに頷いた。
「価格だけではありません。」
「品質保証体制。」
「短納期対応。」
「現場での立ち会い。」
「故障時の即日対応。」
「全部、当社で責任を持ちます。」
購買課長が腕を組んだ。
「そこまで言うなら、一回試してみるか。」
北沢は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
会社を出ると、小さく拳を握った。
第一歩だった。
まだ受注ではない。
だが扉は開いた。
その夜。
営業日報を読んだ征広は、小さく笑った。
「さすがだ。」
信成が尋ねる。
「どうだった。」
征広は日報を差し出した。
「専務。」
「北沢が田村機械の試験採用までこぎ着けました。」
信成はゆっくり頷いた。
「……早いな。」
征広は窓の外を見た。
「まだ始まったばかりです。」
「三友には勝てません。」
「ですが。」
「市場は動かせます。」
秋の夕陽が、本社の窓を赤く染めていた。
泉町精工は、大手に正面から挑むのではない。
勝てる場所を見つけ、
そこから未来を切り開こうとしていた。




