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順番

昭和五十三年十一月。


朝。


丈山工場。


送迎バス乗り場。


数年前まで二十七人乗りだった送迎バスは、社員とパートの増加に伴い、五十人乗りの大型バスへ変わっていた。


毎朝。


パートのおばちゃん達が長い列を作る。


誰もが黙って順番を守っていた。


そこへ。


開発本部長、橋本登が現れた。


列を見る。


そして。


何の迷いもなく先頭へ歩いた。


橋本は当然のように乗り込もうとした。


「ちょっと待ってください」


低い声だった。


橋本が振り返る。


運輸部、寺田幸生だった。


「何だ」


「順番です」


橋本は笑った。


「ああ」


「急いどるからね」


「最後尾へお願いします」


橋本は笑顔のまま首を傾げた。


「You。」


「私が誰だか分からないみたいだね。」


寺田は黙っていた。


橋本は胸を張る。


「泉町精工開発本部長。」


「橋本登、フフッ。」


「Youはフラット社員……失礼、平社員か。」


周囲のおばちゃん達が顔を見合わせる。


橋本は続けた。


「私は本部長。」


「Youは平社員。」


「分かるよね。」


「ケケケッ。」


橋本は運転手へ手を振った。


「はいはい。」


「運ちゃん。」


「早く席へ戻って。」


「丈山駅へ行っちゃってよ。」


寺田が一歩前へ出る。


「橋本さん。」


「最後尾です。」


橋本の笑顔が消えた。


「You。」


「話が分からない人だね。」


「運転席へ戻れって言ってるんだ。」


寺田は動かなかった。


「列の最後に戻るのは橋本さんです。」


「何?」


「みんな並んでます。」


「順番です。」


橋本の眉が吊り上がる。


「私に命令するのか。」


寺田も一歩前へ出た。


「します。」


橋本は睨みつける。


寺田は引かない。


周囲が静まり返った。


寺田の拳がゆっくり握られる。


その瞬間だった。


橋本の頭に、ある光景がよみがえった。


クラウザー。


工場。


生産課長だった金澤孝吉。


大きな拳。


床へ転がる自分。


笑う現場の社員達。


胸が苦しくなった。


顔から血の気が引いた。


橋本は一歩下がる。


さらに一歩。


何も言わず。


最後尾へ並んだ。


寺田は何も言わなかった。


その時だった。


パチ。


誰かが拍手した。


一人。


また一人。


やがて。


並んでいた数十人のパートのおばちゃん達が拍手を始めた。


「寺ちゃん、よう言った!」


「えらい!」


「その通り!」


「さすが寺ちゃん!」


寺田は照れ臭そうに頭をかいた。


「いや……」


「順番ですから。」


その様子を。


たまたま工場内を歩いていた営業部課長伊東征広が見ていた。


事情を聞く。


並んでいたおばちゃんが説明した。


征広は寺田の前まで歩いた。


「寺田さん、でしたね。」


寺田が驚く。


「はい。」


征広は右手を差し出した。


「今のは寺田さんが正しかった。」


「ありがとうございました。」


寺田は慌てた。


「いやいや。」


「当たり前のことをしただけです。」


征広は笑った。


「その当たり前が、一番難しいんです。」


二人は握手した。


最後尾では。


橋本が唇を噛んでいた。



翌日朝。


開発本部。


橋本は納得できなかった。


イライラしながら人事課へ向かった。


人事課長、多々良重雄。


「ヘイ、リトル多々良」


橋本は退職した多々良正をミスター多々良


多々良重雄をリトル多々良と呼んだ。


「はい。」


「運輸部の寺田とかいうフラット社員を指導したまえ。」


重雄は顔を上げた。


「何かありましたか。」


橋本は腕を組む。


「開発本部長に対する態度ではない。」


重雄は静かに話を聞いた。


「分かりました。」


橋本は満足そうに帰って行った。




午後。


重雄は運輸部へ向かった。


部長の馬場元に事情を説明する。


馬場は最後まで黙って聞いていた。


煙草に火をつける。


一服。


そして一言。


「寺田は順番を守らせただけだろ。」


「はい。」


「なら何も悪くない。」


重雄は笑った。


「私もそう思います。」


馬場は立ち上がる。


「寺田。」


「はい。」


「よくやった。」


寺田は目を丸くした。


「何がです。」


「バスの件だ。」


「役職なんか関係ねぇよ。」


「順番は順番だ。」


「だから泉町精工はここまで来れた。」


寺田は照れ笑いした。


「当たり前のことですよ。」


馬場は頷く。


「その当たり前を守れる奴が、一番信用できる。」


重雄も頷いた。


「同感です。」


その日。


橋本は最後まで納得しなかった。


だが。


泉町精工には。


役職よりも重いものがあった。


それは。


誰もが守ってきた。


順番だった。

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