表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/81

責任

昭和四十八年五月。


営業部。


営業係長、伊東征広は机で伝票を確認していた。


営業部長の伊東隆則が声を掛ける。


「征広」


「はい」


「北沢を付ける」


征広が顔を上げた。


「北沢君ですか」


「そうだ」


隆則は書類を閉じた。


「二年目だ」


「そろそろ客を覚えさせろ」


征広は頷いた。


「分かりました」


隆則は少し笑った。


「お前も係長だ」


「人を育てることを覚えないとな」


征広は苦笑した。


「私がですか」


「お前以外に誰がおる」


返事はできなかった。



その日の午後。


北沢弘が営業部へやって来た。


「よろしくお願いします」


元気のいい声だった。


征広も立ち上がる。


「よろしくお願いします」


それまで話したことはあった。


挨拶もした。


飲み会も同じ席になった。


だが。


一緒に仕事をしたことはなかった。




営業車。


征広が運転する。


北沢は助手席。


少し緊張していた。


「北沢君」


「はい」


「営業は初めてですか」


「同行はあります」


「一人は」


「ありません」


征広は頷いた。


「そうですか」



一日中得意先を回った。


征広は驚いていた。


北沢は誰とでも話せた。


購買課長。


工場長補佐。


現場主任。


事務員。


誰に対しても自然だった。


そして。


相手が笑う。



帰り道。


征広が言った。


「北沢君」


「はい」


「君は人に好かれるタイプだね」


北沢は照れ臭そうに笑った。


「そうですか」


「間違いない」


征広は本心だった。


「営業向きです」


北沢は嬉しそうだった。




だが。


征広は続けた。


「ただ一つ」


「はい」


「何かあったら必ず私に連絡してください」


北沢は頷く。


「分かりました」


征広はもう一度言った。


「必ずです」




数週間後。


問題は突然起きた。




YAMANA発動機。


泉町精工の重要顧客だった。


その日。


征広は若崎重工へ出張していた。


営業部には北沢だけがいた。


電話が鳴る。


「北沢さん」


YAMANA購買部だった。


「申し訳ありません」


声が焦っている。


「発注数を間違えました」


北沢が首を傾げる。


「間違えた?」


「百個の予定でしたが」


嫌な予感がした。


「千個で発注していました」


北沢が固まる。


「・・・はい?」


「九百個キャンセルでお願いします」


北沢は考えた。


だが。


発注書の日付が2日前だった。


「大丈夫ですよ」


直感でそう答えてしまった。



電話を切った後。


念のため製造部へ確認に行った。


そして。


顔色が変わった。



材料発注済み。


歯車材。


シャフト材。


鍛造材。



全部手配済みだった。



北沢の背中を冷たい汗が流れた。


だが。


征広には連絡しなかった。


自分で何とかしよう。


そう思った。



YAMANAへ行く。


頼む。


断られる。



他の案件へ流せないか調べる。


無理だった。



数日が過ぎた。



そして。


隠し切れなくなった。



製造部。


立河三郎が怒鳴った。


「馬鹿野郎!」


事務所中が静まり返る。


「何で今頃言う!」


北沢は縮こまる。


「申し訳ありません」


「申し訳ありませんで済むか!」


立河の拳が机に落ちた。


「材料全部発注済みだぞ!」


「九百個分だぞ!」


「誰が払うんだ!」


北沢は何も言えなかった。



そこへ。


征広が入って来た。


事務所が静かになる。



征広は状況を聞いた。


最後まで黙って聞いた。



そして。


北沢を見た。


「北沢君」


「はい・・・」


「私が何と言いましたか」


北沢は俯く。


「何かあったら連絡しろと」


「そうです」


静かな声だった。


「なぜしなかったんです」


北沢は絞り出すように言った。


「自分で解決したかったんです」


「・・・」


「係長に迷惑を掛けたくなくて」


征広はため息をついた。



「北沢君」


「はい」


「それは責任感ではありません」


北沢が顔を上げた。


「独りよがりです」


事務所が静まる。


「営業は一人で仕事をしている訳ではありません」


「助けを求めるのも仕事です」


「会社を動かすのも仕事です」



北沢は唇を噛んだ。



「申し訳ありません」


征広は頷いた。


そして立河を見る。



「立河課長」


「何だ」



「まだ間に合いますか」


立河は腕を組んだ。


「分からん」


「だが時間はない」


征広は少し考えた。



若崎重工。


タキヤ。


搬送設備メーカー。



引き合い案件が頭に浮かぶ。


「まだ死んでません」



立河が征広を見る。


「征ちゃん何言ってんだ」


「売ります」


翌日から総動員だった。



営業部。


製造部。


開発部。




全員が動いた。


橋本は図面を見ながら言った。


「多少、寸法変更すりゃ流用できるのいっぱいあるでしょ」


信成も頷く。


「仕様変更でいける」


征広は客先を走り回った。



若崎重工。


タキヤ。


そして新規案件。



必死だった。



北沢も同行した。


頭を下げ続けた。



一週間後。


九百個分の大半に引き取り先が決まった。


立河が腕を組む。


「まあ」


「死なんで済んだな」


それだけだった。



北沢は深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」



夕方。


営業車。


征広が運転していた。


北沢は俯いていた。


しばらく沈黙。



やがて征広が口を開いた。


「北沢君」


「はい」


「私の兄をご存知ですね」


「営業部長ですから」


征広は少し笑った。



「私が入社した頃」


「よく怒られました」



北沢が驚く。


「兄に言われたんです」


『三十までは恥をかいてこい』


『三十を過ぎたらそういう訳にはいかんぞ』



車内が静かになる。



「私は今年二十八です」


「あと二年あります」



征広は苦笑した。



「北沢君は二十三でしたね」


「はい」


「あと七年あります」


北沢は黙って聞いていた。



「もちろん」


征広の表情が少し厳しくなる。


「恥ばかりかいていてはいけません」


「今回の件も二度目は駄目です」


「はい」


「ですが」


征広は窓の外を見る。


「こういう経験を積みながら」


「私も」


「北沢君も」


「成長していけばいいと私は思っています」


沈黙。


征広は少し笑った。


「甘いかな」


北沢は首を横に振った。


目に涙が浮かんでいた。



「いいえ」


「ありがとうございます」


征広は頷いた。



信号が青になる。


営業車がゆっくり走り出した。


征広は前を見つめていた。


係長になった。


だが。


まだ未熟だ。


人を育てることも。


会社を背負うことも。


これからだった。


春の夕陽が車内を赤く照らしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ