責任
昭和四十八年五月。
営業部。
営業係長、伊東征広は机で伝票を確認していた。
営業部長の伊東隆則が声を掛ける。
「征広」
「はい」
「北沢を付ける」
征広が顔を上げた。
「北沢君ですか」
「そうだ」
隆則は書類を閉じた。
「二年目だ」
「そろそろ客を覚えさせろ」
征広は頷いた。
「分かりました」
隆則は少し笑った。
「お前も係長だ」
「人を育てることを覚えないとな」
征広は苦笑した。
「私がですか」
「お前以外に誰がおる」
返事はできなかった。
その日の午後。
北沢弘が営業部へやって来た。
「よろしくお願いします」
元気のいい声だった。
征広も立ち上がる。
「よろしくお願いします」
それまで話したことはあった。
挨拶もした。
飲み会も同じ席になった。
だが。
一緒に仕事をしたことはなかった。
営業車。
征広が運転する。
北沢は助手席。
少し緊張していた。
「北沢君」
「はい」
「営業は初めてですか」
「同行はあります」
「一人は」
「ありません」
征広は頷いた。
「そうですか」
一日中得意先を回った。
征広は驚いていた。
北沢は誰とでも話せた。
購買課長。
工場長補佐。
現場主任。
事務員。
誰に対しても自然だった。
そして。
相手が笑う。
帰り道。
征広が言った。
「北沢君」
「はい」
「君は人に好かれるタイプだね」
北沢は照れ臭そうに笑った。
「そうですか」
「間違いない」
征広は本心だった。
「営業向きです」
北沢は嬉しそうだった。
だが。
征広は続けた。
「ただ一つ」
「はい」
「何かあったら必ず私に連絡してください」
北沢は頷く。
「分かりました」
征広はもう一度言った。
「必ずです」
数週間後。
問題は突然起きた。
YAMANA発動機。
泉町精工の重要顧客だった。
その日。
征広は若崎重工へ出張していた。
営業部には北沢だけがいた。
電話が鳴る。
「北沢さん」
YAMANA購買部だった。
「申し訳ありません」
声が焦っている。
「発注数を間違えました」
北沢が首を傾げる。
「間違えた?」
「百個の予定でしたが」
嫌な予感がした。
「千個で発注していました」
北沢が固まる。
「・・・はい?」
「九百個キャンセルでお願いします」
北沢は考えた。
だが。
発注書の日付が2日前だった。
「大丈夫ですよ」
直感でそう答えてしまった。
電話を切った後。
念のため製造部へ確認に行った。
そして。
顔色が変わった。
材料発注済み。
歯車材。
シャフト材。
鍛造材。
全部手配済みだった。
北沢の背中を冷たい汗が流れた。
だが。
征広には連絡しなかった。
自分で何とかしよう。
そう思った。
YAMANAへ行く。
頼む。
断られる。
他の案件へ流せないか調べる。
無理だった。
数日が過ぎた。
そして。
隠し切れなくなった。
製造部。
立河三郎が怒鳴った。
「馬鹿野郎!」
事務所中が静まり返る。
「何で今頃言う!」
北沢は縮こまる。
「申し訳ありません」
「申し訳ありませんで済むか!」
立河の拳が机に落ちた。
「材料全部発注済みだぞ!」
「九百個分だぞ!」
「誰が払うんだ!」
北沢は何も言えなかった。
そこへ。
征広が入って来た。
事務所が静かになる。
征広は状況を聞いた。
最後まで黙って聞いた。
そして。
北沢を見た。
「北沢君」
「はい・・・」
「私が何と言いましたか」
北沢は俯く。
「何かあったら連絡しろと」
「そうです」
静かな声だった。
「なぜしなかったんです」
北沢は絞り出すように言った。
「自分で解決したかったんです」
「・・・」
「係長に迷惑を掛けたくなくて」
征広はため息をついた。
「北沢君」
「はい」
「それは責任感ではありません」
北沢が顔を上げた。
「独りよがりです」
事務所が静まる。
「営業は一人で仕事をしている訳ではありません」
「助けを求めるのも仕事です」
「会社を動かすのも仕事です」
北沢は唇を噛んだ。
「申し訳ありません」
征広は頷いた。
そして立河を見る。
「立河課長」
「何だ」
「まだ間に合いますか」
立河は腕を組んだ。
「分からん」
「だが時間はない」
征広は少し考えた。
若崎重工。
タキヤ。
搬送設備メーカー。
引き合い案件が頭に浮かぶ。
「まだ死んでません」
立河が征広を見る。
「征ちゃん何言ってんだ」
「売ります」
翌日から総動員だった。
営業部。
製造部。
開発部。
全員が動いた。
橋本は図面を見ながら言った。
「多少、寸法変更すりゃ流用できるのいっぱいあるでしょ」
信成も頷く。
「仕様変更でいける」
征広は客先を走り回った。
若崎重工。
タキヤ。
そして新規案件。
必死だった。
北沢も同行した。
頭を下げ続けた。
一週間後。
九百個分の大半に引き取り先が決まった。
立河が腕を組む。
「まあ」
「死なんで済んだな」
それだけだった。
北沢は深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
夕方。
営業車。
征広が運転していた。
北沢は俯いていた。
しばらく沈黙。
やがて征広が口を開いた。
「北沢君」
「はい」
「私の兄をご存知ですね」
「営業部長ですから」
征広は少し笑った。
「私が入社した頃」
「よく怒られました」
北沢が驚く。
「兄に言われたんです」
『三十までは恥をかいてこい』
『三十を過ぎたらそういう訳にはいかんぞ』
車内が静かになる。
「私は今年二十八です」
「あと二年あります」
征広は苦笑した。
「北沢君は二十三でしたね」
「はい」
「あと七年あります」
北沢は黙って聞いていた。
「もちろん」
征広の表情が少し厳しくなる。
「恥ばかりかいていてはいけません」
「今回の件も二度目は駄目です」
「はい」
「ですが」
征広は窓の外を見る。
「こういう経験を積みながら」
「私も」
「北沢君も」
「成長していけばいいと私は思っています」
沈黙。
征広は少し笑った。
「甘いかな」
北沢は首を横に振った。
目に涙が浮かんでいた。
「いいえ」
「ありがとうございます」
征広は頷いた。
信号が青になる。
営業車がゆっくり走り出した。
征広は前を見つめていた。
係長になった。
だが。
まだ未熟だ。
人を育てることも。
会社を背負うことも。
これからだった。
春の夕陽が車内を赤く照らしていた。




