歯車
昭和二十六年。
泉町精工の工場へ、
奇妙な機械が運び込まれて来た。
樫野木鉄工所製縦型ボブ盤十台。
山井産業製横型小型ボブ盤十台。
巨大な木枠が開けられる度、
工員たちは手を止めて見に来た。
「なんだこれ。」
「旋盤じゃねぇな。」
「フライスでもない。」
皆、
少し警戒していた。
ミシン針と冷間鍛造でやって来た工場だった。
歯車など、
誰もまともに作った事がない。
機械据付の日。
現場中央で、
前田龍一が腕を組んでいた。
樫野木鉄工所の技師。
機械据付と教育担当だった。
痩せ型で、
無口。
だが機械の話になると、
妙に細かくなる男だった。
「これがボブ盤です。」
工員たちは黙る。
前田は、
ネジのような刃物を持ち上げた。
「これがホブ。」
次に、
材料側を指差す。
「こっちも回ります。」
「両方?」
若い工員が声を上げる。
「はい。」
「なんでだ?」
「そういう機械だからです。」
現場に笑いが起きた。
旋盤工からすると、
意味が分からない。
普通は材料を回して削る。
だがボブ盤は違った。
工具も回る。
材料も回る。
しかも同期する。
「そんなので歯ぁ切れるんか。」
誰かが呟く。
前田は小さく笑った。
「切れます。」
少し離れた場所で、
小橋伸夫が腕を組んでいた。
隣には立河三郎。
同期だった。
小橋は、
立河を「たっつあん」と呼んでいた。
「聞いたか、たっつあん。」
立河は鼻を鳴らす。
「胡散臭ぇ機械だ。」
現場にまた笑いが広がる。
立河は、
ミシン針時代からの古株だった。
冷間鍛造一筋。
巨大なプレス機を相手に、
何十万本という針材を叩いて来た男だった。
今回、
歯切り加工担当へ回された。
「鍛造と違って、
こいつは誤魔化し効かんぞ。」
小橋が言う。
「全部見えるからな。」
立河は機械を眺めながら言った。
「余計怖ぇ。」
その言葉には、
本音が混じっていた。
二千五十万。
社員五十名の会社には、
重過ぎる設備投資だった。
失敗すれば終わる。
現場も、
それは理解していた。
その日の夕方。
隆が工場へ降りて来た。
新品のボブ盤の前で立ち止まる。
しばらく黙って見上げていた。
戦後の町工場には、
場違いなほど立派な機械だった。
「これか。」
前田が頭を下げる。
「はい。」
その後ろから、
中学生の信成が降りて来た。
学校帰りだった。
隆が言う。
「見てみろ。」
信成はボブ盤へ近付く。
回転軸を触る。
ホブを見る。
機械全体を興味深そうに眺めていた。
「どうだ。」
「変な機械だね。」
現場に笑いが起きる。
隆も少し笑った。
「変な機械で、
これから飯食うんだ。」
数日後。
初めて歯切り加工が始まった。
ホブが回る。
材料が回る。
切削油が流れる。
金属粉が飛ぶ。
現場の空気が変わる。
「おぉ……。」
誰かが声を漏らした。
少しずつ、
円柱へ歯が現れていく。
まるで機械が、
金属へ骨を刻んでいるようだった。
加工終了後、
前田が製品を持ち上げる。
歯が並んでいる。
本当に歯車になっていた。
「出来とる……。」
若い工員が呟く。
立河が歯面を指で触った。
「たっつあん、
どうだ。」
「気持ち悪ぃな。」
そう言いながら、
少し嬉しそうだった。
前田が言う。
「噛み合わせてみましょう。」
と言いながら、前田が持参した歯当たり試験機へに、加工したばかりの歯車を取り付ける。
相手側の歯車との距離を合わせる。
皆、
黙って見ていた。
前田がゆっくり手で回す。
カチッ。歯と歯が当たる。
さらに回す。
すると、
相手側の歯車が滑らかに回り始めた。
「おぉっ!」
工場が一気に沸いた。
「回った!」
「ちゃんと噛んどる!」
「すげぇな!」
若い工員たちが身を乗り出す。
立河も思わず笑った。
「ほんとに歯車になりやがった。」
小橋が肩を叩く。
「だから言っただろ、
たっつあん。」
その後ろで、
隆も静かに見ていた。
何も言わない。
だが、
嬉しそうだった。
戦後の小さなミシン針工場が、
初めて“機械を動かす部品”を作った瞬間だった。
その頃、
工場には小島誠二もいた。
隆の甥。
まだ若かった。
真面目ではある。
だが、
妙に慌てる。
材料を逆へ置く。
工具を間違える。
油まみれの手で図面を触る。
「誠二ぃ!」
小橋が怒鳴る。
「はい!」
「図面汚すな!」
「すみません!」
現場が笑う。
誠二は頭を掻いた。
憎めない男だった。
だが、
歯車は甘くなかった。
問題は、
焼き入れ後だった。
外部へ出したシャフトが戻って来る。
組み合わせ確認をすると、
妙に重い。
歯当たりもおかしい。
スムーズに回らない。
「なんだこれ。」
立河が顔をしかめた。
小橋がシャフトを定盤へ置く。
転がす。
わずかに振れていた。
「……曲がっとる。」
現場が静まる。
最初は誰も、
意味が分からなかった。
焼き入れで、
こんなに変わるのか。
歯当たりを見る。
片当たりしている。
バックラッシュも消えていた。
「焼きで暴れたな。」
小橋が低く言う。
そこからが地獄だった。
プレスで押す。
測る。
また押す。
少し戻る。
また狂う。
立河が汗を拭う。
「こんなん、
感覚じゃねぇか。」
「感覚でやるしかねぇ。」
小橋も苛立っていた。
理論など、
まだ無かった。
現場で覚えるしかない。
誠二が横から言う。
「叩いた方が早くないですか。」
「折れるぞ。」
「でも……。」
「やってみろ。」
誠二は恐る恐る叩いた。
カンッ、
と乾いた音が響く。
皆が止まる。
折れてはいない。
だが、
余計振れた。
現場が苦笑いする。
「お前、
才能ねぇな。」
立河が言う。
誠二は真っ赤になった。
夜遅くまで、
工場の灯りは消えなかった。
ようやく、
曲がりを修正し、
出荷へ辿り着く。
皆、
少し安心していた。
だが数週間後。
クラウザー営業が工場へ来た。
顔色が悪かった。
応接室へ入るなり、
深く頭を下げる。
「すみません。」
小橋は嫌な顔をする。
「なんだ。」
営業は試作品を机へ置いた。
「タキヤからです。」
空気が変わる。
「音がうるさいと。」
部屋が静まった。
小橋は黙って歯車を手に取る。
寸法は合っている。
歯も切れている。
曲がりも直した。
だが、
駄目だった。
営業が続ける。
「高速回転で、
かなりうるさいそうです。」
立河が舌打ちする。
「回るだけじゃダメなのかよ……。」
小橋は何も言わなかった。
ただ、
机の上の歯車を見続けていた。
歯車は、
削れば終わりじゃない。
そんな事を、
泉町精工はようやく知り始めていた。




