運輸
昭和四十五年秋。
泉町精工は変わり始めていた。
石川満。
習志野毅。
二人が中心となって始めた生産方式改革は予想以上の成果を上げていた。
生産量は増えた。
利益も増えた。
受注はさらに増えた。
工場では毎日のように機械が唸りを上げていた。
だが。
作るだけでは商売にならない。
運ばなければならない。
営業部運輸課課長、馬場元は机の上に積み上がる納品伝票を眺めながらため息をついた。
クラウザー。
タキヤ。
富士山電機。
若崎重工。
納品先は増える一方だった。
しかも最近は別の仕事まで増えていた。
社員の送迎。
人事課長、多々良重雄の提案で導入されたマイクロバスである。
丈山駅。
今村駅。
朝夕の送迎。
これによってパートのおばちゃん達の採用は一気に進んだ。
だが。
運転する人間がいない。
結局。
最初は馬場自身がハンドルを握った。
課長でありながら。
朝は駅へ行き。
昼は納品へ走り。
夕方は再び駅へ向かう。
若い頃とやっていることはあまり変わらなかった。
違うのは責任だけだった。
昔はオート三輪一台だった。
今は何台ものトラックと人員を抱えている。
さすがの馬場も限界だった。
ある日の営業会議。
「小橋部長、運転手が足りません」
馬場は言った。
小橋伸夫が腕を組む。
「採用はどうだ」
多々良重雄が首を振る。
「簡単には集まりません」
「なら育てるしかないな」
馬場が言う。
その翌週。
社内に一枚の張り紙が出された。
大型運転免許取得希望者募集。
取得費用会社負担。
営業部運輸課配属。
その張り紙を見た瞬間。
目を輝かせた男がいた。
寺田幸生だった。
二十二歳。
発送係。
毎日歯車の入った通い箱を抱え。
荷台へ積み込む仕事をしていた。
力はある。
仕事もする。
だが口が悪い。
上司にも思ったことをそのまま言う。
そのせいで出世とは無縁だった。
しかし本人は気にしていない。
今欲しいのは出世ではなかった。
金だった。
家だった。
車だった。
妻と子供二人を養う金が欲しかった。
だから張り紙を見た瞬間に決めた。
運輸課へ行こう。
面接の日。
馬場が聞いた。
「なんで応募した」
寺田は即答した。
「金です」
馬場は吹き出した。
「正直だな」
「22で2人の子の親か。たいしたもんだ。」
「だから、家欲しいんです」
「車もです」
「そうか」
変な理想論を語る若者より好感が持てた。
馬場は合格に丸を付けた。
数か月後。
寺田は大型免許を取得した。
そして正式に運輸課へ異動となった。
配属初日。
寺田は朝から張り切っていた。
ようやくトラックに乗れる。
クラウザー便か。
タキヤ便か。
どちらでもいい。
とにかく運転したかった。
ところが。
馬場が言った。
「明日から丈山駅な」
寺田は首を傾げた。
「丈山駅?」
「そうだ」
「納品ですか」
「違う」
「じゃあ何です」
馬場は窓の外を指差した。
そこには白いマイクロバスが停まっていた。
二十七人乗り。
寺田は固まった。
「俺ですか」
「お前だ」
「聞いてないっすよ」
「今聞いた」
事務所が笑いに包まれた。
寺田は頭を抱えた。
トラック野郎になるつもりだった。
まさか送迎運転手とは思わなかった。
しかし翌朝。
寺田はハンドルを握っていた。
助手席には馬場。
二代目送迎運転手の初日だった。
馬場は厳しかった。
「ミラー見ろ」
「はい」
「早めにブレーキ」
「はい」
「急ハンドルするな」
「はい」
何度も注意される。
だが寺田は素直に聞いた。
この人は本物だ。
そう感じていたからだ。
昼前。
4トントラックに乗り換え、タキヤ丈山工場での納品方法を教えてもらった帰りだった。
信号待ち。
後ろから大型ダンプが迫る。
クラクション。
何度も鳴らす。
寺田が顔をしかめた。
青信号。
発進。
ダンプが強引に追い抜く。
窓を開けて怒鳴る。
「チンタラ走るな!」
寺田も頭に血が上った。
「何だあいつ」
だが助手席の馬場は平然としていた。
「放っとけ」
しかしダンプは次の信号で止まると運転席から降りてきた。
運転席の窓を叩く。
「降りてこい!」
寺田が立ち上がる。
馬場の声が飛んだ。
「座っとれ」
低い声だった。
馬場はゆっくり降りた。
何も言わない。
ただ相手を見る。
真っ直ぐ。
逸らさず。
数秒。
いや。
寺田にはもっと長く感じた。
さっきまで威勢の良かったダンプ運転手の勢いが消えていく。
やがて。
「気を付けろよ」
捨て台詞だけ残して戻っていった。
4トントラックが再び走り出す。
寺田は呆然としていた。
「馬場さん」
「なんだ」
「凄いっすね」
「何がだ」
「ビビってましたよ」
馬場は笑った。
「別に」
「昔からだ」
「昔から?」
「栄商魂だ」
寺田は首を傾げた。
馬場は少しだけ昔話をした。
荒れていた栄商時代。
野球部。
不良。
喧嘩。
怖い先輩。
怖い大人。
たくさん見てきた。
「舐められたら終わりだ」
馬場は言った。
「でもな」
「はい」
「先に手は出すな」
「はい」
「相手が悪くなるまで待て」
寺田は吹き出した。
「怖えなあ」
馬場も笑った。
その日。
寺田は初めて知った。
馬場元という男の大きさを。
課長だからではない。
野球部だからでもない。
会社の古参だからでもない。
この人は。
逃げない。
だから周りもついてくる。
寺田は窓の外を見た。
工場へ向かう道。
その先にはまだ見たことのない景色が広がっている気がした。
マイクロバスは夕陽の中を走っていた。
助手席では馬場元が静かに前を見ていた。
寺田は思った。
この人から学べるものは多そうだ。
そうして。
泉町精工二代目送迎マイクロバス運転手、寺田の物語が始まった。




