抜擢
昭和四十五年春。
泉町精工。
丈山工場。
生産方式改革から半年。
数字はさらに伸びていた。
習志野班だけではない。
小橋伸夫は成果を確認すると即座に横展開を命じた。
ボブ盤職場。
歯切り職場。
一部の旋盤工程。
石川・習志野方式は次々に採用された。
結果。
生産量は伸びた。
利益も伸びた。
納期も短くなった。
だが。
新たな問題が発生していた。
人が足りない。
圧倒的に足りない。
月例会議。
小橋。
信成。
立河。
多々良重雄。
石川。
習志野。
全員が揃っていた。
小橋。
「数字はいい」
「だが人がおらん」
立河が腕を組む。
「だから言ったろ」
「機械は増やせる」
「人は簡単には増やせん」
誰も反論しない。
事実だった。
新聞広告。
職業安定所
紹介。
全部やっている。
それでも集まらない。
多々良重雄が静かに口を開いた。
「原因は分かっています」
信成が顔を上げる。
「なんだ」
重雄は地図を広げた。
丈山工場から丈山駅。
片道5キロ。
今村駅。
片道8キロ。
「駅の周りには住宅地があり人はいます」
「隣の駅の周りにも働きたい人もいます」
「ですが、ここまで来られません」
会議室が静まる。
「徒歩では厳しい」
「自転車でも坂があり、かなり厳しい」
信成が地図を見る。
確かにそうだった。
丈山工場は不便だった。
機械を置くには良い。
だが人を集めるには悪い。
重雄。
「送迎バスを出しましょう」
立河が顔をしかめる。
「工員のためにか」
「はい」
「この辺りでそんな会社あるか」
「ありません」
重雄は即答した。
「だからやるんです」
信成が笑う。
小橋も笑った。
そして。
「買え」
やはり即決だった。
立河が呆れる。
「また即決か」
「たっつあん、重雄が調べた。」
小橋は言った。
「なら理由がある」
重雄は少しだけ嬉しそうだった。
その日の夕方。
信成は総務部へ向かった。
重雄は机で求人票を書いていた。
山のような書類。
応募者名簿。
給与表。
採用計画。
信成が覗き込む。
「忙しそうだな」
「忙しいですよ」
「習志野より忙しいか」
「かもしれない。」
二人とも笑った。
信成は椅子に座る。
しばらく書類を見る。
そして言った。
「この前も言ったが、さすがだな、シゲ」
重雄が顔を上げる。
「何がです」
「俺は機械を見る」
「小橋さんは工場を見る」
「石川は仕事を見る」
「習志野は仕組みを見る」
信成は窓の外を見た。
「でもお前は人を見とる」
重雄は少し照れた。
「仕事ですから」
「それができる奴が少ないんだ」
信成は笑った。
「やっぱりお前は人事だな」
その一言が妙に嬉しかった。
1ヶ月後。
マイクロバスが走り始めた。
丈山駅。
今村駅。
毎朝。
おばちゃん達を乗せる。
若い工員を乗せる。
工場へ運ぶ。
応募者は増えた。
採用も増えた。
習志野方式はさらに広がった。
泉町精工は止まらなかった。
そして春。
役員会議。
議題は人事。
石川満リーダー。
係長昇格。
満場一致だった。
問題は習志野毅。
二十二歳。
若すぎる。
立河が言う。
「石川係長」
「習志野リーダー」
「それでいいじゃないか」
誰も不自然とは思わなかった。
むしろ普通だった。
しかし。
重雄が首を振る。
「駄目です」
会議室が静まる。
立河が睨む。
「なんでだ」
重雄は資料を置いた。
生産量。
利益率。
稼働率。
改善効果。
全ての数字が並んでいる。
「これは石川さんだけの成果ではありません」
「習志野君だけの成果でもありません」
立河。
「分かっとる」
「だからリーダーだと言っとる」
重雄は首を振った。
「違います」
「二人は一つです」
信成が吹き出した。
「また始まったな」
しかし重雄は真面目だった。
「石川さんが係長」
「習志野君がリーダー」
「そうすると会社は石川さんだけを評価したと思います」
「それは違います」
小橋は黙って聞いている。
重雄。
「石川さんがいたから成功した」
「習志野君がいたから成功した」
「どちらが欠けても失敗でした」
沈黙。
小橋が口を開く。
「俺は賛成だ」
立河が天井を見上げる。
「また俺が悪者か」
会議室に笑いが起きる。
しばらくして。
立河はため息をついた。
「気に食わん」
全員笑う。
「だが」
立河は資料を閉じた。
「異論はない」
こうして決まった。
石川満。
三十一歳。
係長。
習志野毅。
二十二歳。
係長。
同時昇進。
異例の抜擢だった。
しかし。
異論を唱える者はいなかった。
その資格を数字で証明していたからである。
そして。
その人事案をまとめ上げたのは。
人事課長。
多々良重雄だった。
窓の外では。
新しい送迎バスが工場へ入ってくる。
石川が歩く。
習志野が歩く。
泉町精工は新しい時代へ向かっていた。




