巻線
昭和四十三年秋。
IR。
Izumimachi Reducer。
泉町精工初の自社ブランド減速機は順調だった。
営業部には毎日のように引き合いが入った。
工作機械。
搬送設備。
印刷機械。
農業機械。
用途はいくらでもあった。
営業部長、伊東隆則は満足していなかった。
減速機が売れるなら。
その先もある。
ある日。
営業部長室。
橋本登がやってきた。
「橋本さん。」
橋本登は煙草をくわえたまま振り向いた。
「おおっ、ミスター伊東、丈山まで私を呼び出して何の用だい?」
「次の仕事があります。」
「その顔を見ると面倒そうやな。」
「ギヤードモーターです。」
橋本の目が少しだけ動いた。
モーター。
減速機。
それを一体化した製品。
「なるほど。」
橋本は煙草の灰を落とした。
「完成品メーカーになる気か。」
「なります。」
「Youはほんと欲張りだな。」
「褒め言葉として受け取ります。」
橋本は鼻で笑った。
「高いぞ。」
「払います。」
「開発最高責任者 橋本登」
「もちろんです。」
「ならやる。」
橋本登機械設計事務所。
新しい仕事が始まった。
橋本は早速動いた。
クラウザー時代の伝手。
外注巻線メーカー。
モーター専門メーカー。
何度も足を運んだ。
巻線。
極数。
回転数。
起動特性。
発熱。
機械屋の橋本には未知の世界だった。
しかし橋本は真面目だった。
知らないことは聞く。
理解する。
そして図面に落とし込む。
数か月後。
設計図は完成した。
会議室。
橋本は図面を広げた。
「ここを見てくれ。」
隆則。
小橋。
立河。
全員が覗き込む。
「軸端歯車は平歯車対応。」
橋本が説明する。
「はすば歯車にも対応できる。」
次の図面。
「歯数変更も容易だ。」
さらに。
「用途ごとに歯車仕様を変更できる。」
橋本は得意気だった。
「モーターを共通化しながら客先仕様へ柔軟に対応できる。」
隆則が感心する。
「さすが橋本さんです。」
橋本は当然という顔だった。
だが。
小橋は腕を組んでいた。
立河が聞く。
「どうした。」
小橋は図面を見る。
「橋本は機械屋だ。」
「そうだな。」
「電気まで分かるわけねぇ。」
「トニー谷みたいな顔しやがって。」
立河が笑った。
小橋は受話器を取った。
「東條電機の花田さんか。」
小橋は頷き、話し始めた。
翌日。
東條電機の花田がやって来た。
作業服。
兵隊帽。
油だらけの手。
橋本は一目見て言った。
「あの汚いスモールなヤツは誰だ?」
小橋。
「東條電機の花田さん。」
花田は橋本を見る。
「テレビで見たことのあるような変な顔だな。」
橋本。
「Youも変な顔だ。」
立河がトニー谷を思い出して吹き出した。
図面が渡された。
花田は黙って見る。
一枚。
二枚。
三枚。
静かだった。
やがて。
花田が図面を閉じた。
「つまらん。」
橋本の眉が動く。
「何がだ。」
「全部。」
花田は平然としている。
「普通。」
一枚めくる。
「ありきたり。」
さらにめくる。
「つまらん。」
橋本の顔が曇る。
「どこがだ。」
花田は巻線図を指差した。
「この線。」
「何だ。」
「高い。」
橋本。
「性能がいいからしゃーない。」
花田。
「高い。」
橋本。
「そうだな。」
花田。
「納期も長い。」
橋本。
「かもしれんな。」
花田。
「馬鹿たれ。」
橋本。
「失敬な。何故だ。」
花田は別の規格を指差した。
「こっち使え。」
橋本。
「性能が落ちる。」
花田。
「落ちん。」
橋本。
「落ちる。」
花田。
「巻き方変える。」
橋本が黙った。
花田は続ける。
「この太さならどこでも買える。」
「第三電気商会でも持っとる。」
「巻線屋も慣れとる。」
「安い。」
橋本。
「トルクは。」
花田。
「十分出る。」
橋本。
「何故だ。」
花田。
「巻き方変える。」
橋本。
「それだけか。」
花田。
「それだけだ。」
小橋がニヤリとした。
橋本。
「本当か。」
花田。
「第三電気商会のジジイに聞きゃ分かる。」
橋本。
「誰だ。」
花田。
「知るわけねぇわな。」
橋本。
「知らん。」
「コイルやモーター、トランス。巻線にかけちゃなかなかのクソジジイだ。」
橋本。
「私は機械屋だから畑が違うからな。」
花田。
「なら黙って聞け。」
立河が吹き出した。
それから二人の議論は夕方まで続いた。
巻線。
起動特性。
温度上昇。
コスト。
調達性。
修理性。
花田は高価な部品を一つも勧めなかった。
むしろ逆だった。
どこでも買える材料。
どこでも修理できる構造。
どこでも巻ける線。
それで性能を出そうとしていた。
設計思想的には橋本の理想に近い。
橋本は黙って聞いていた。
やがて。
長い沈黙の後。
「You。」
花田が振り返る。
「わしのことか?」
橋本。
「乞食みたいだけど。」
工場が静まった。
橋本。
「なかなかやるやん。」
数秒。
花田。
「わしが乞食?」
橋本。
「そう。」
花田。
「馬鹿たれ。」
「馬鹿たれ。」
さらに。
「馬鹿たれ馬鹿たれ。」
小橋と立河が腹を抱えて笑った。
数か月後。
那古野国際展示場。
中部機械展。
泉町精工ブース。
新製品。
IRギヤードモーター。
客が集まっていた。
「安いな。」
「低速で力がある。」
「思ったより静かだ。」
評判は上々だった。
橋本は上機嫌だった。
「この構造は私の設計です。」
客が感心する。
「ほう。」
橋本。
「この製品思想も私です。
「軸端歯車は平歯車、はすば歯車どちらにも対応できます。」
「歯数変更も容易です。」
客たちは頷く。
少し離れた場所。
小橋が呆れた顔をする。
「また始まった。」
立河が苦笑した。
「始まったな。」
小橋。
「手柄全部自分のだ。」
立河。
「電気に関しては花田さんの案だろ。」
「モーター部分を安くできたのも花田さんのおかげだし。」
小橋。
「相変わらずだ。」
橋本には聞こえていない。
展示会終了間際。
人もまばらになった。
ブースの片隅。
東條電機の花田がいた。
誰も気付かない。
展示機へ近付く。
静かにモーターへ手を置く。
ぶうううん。
モーターは滑らかに回っていた。
花田は頷いた。
「回っとる。」
しばらく見つめる。
「回っとる回っとる。」
満足そうだった。
その向こうでは。
橋本が客に囲まれていた。
花田は見向きもしない。
もう一度モーターを撫でる。
「ええな。」
小さく呟く。
そして誰にも声を掛けず。
そのまま展示場を後にした。




