駆け引き
試験室。
しばらく沈黙が続いた。
橋本登は満足そうに自分の書いた
「Design by N.Hashimoto」
を見ていた。
信成は図面を見つめていた。
悔しいが橋本の知識は本物だった。
減速機を作るなら必要な人間。
それだけは分かる。
隆則が口を開いた。
「橋本さん」
「ん?」
「少し待って下さい」
そう言って事務員を呼んだ。
「多々良部長を呼んで下さい」
橋本。
「誰?」
「総務部長です」
「経理?」
「違います」
「似たようなもんでしょ」
「違います」
数分後。
試験室の扉が開く。
多々良正が入ってきた。
橋本は一目見た。
「ほう」
多々良は周囲を見渡した。
試験機。
図面。
赤鉛筆。
そして橋本。
状況を大体察した。
「何か問題ですか?」
隆則が苦笑する。
「問題というか・・・」
「要求です」
橋本が手を上げる。
「要求じゃない」
「当然の権利」
小橋。
「誰が決めた」
橋本。
「私」
多々良は眼鏡を外した。
「聞きましょう」
橋本は待ってましたとばかりに言う。
「完成した減速機」
「Design by N.Hashimoto」
「カタログにも」
「取扱説明書にも」
「広告にも」
「全部入れる」
多々良は黙った。
橋本も黙った。
小橋は笑いを堪えている。
立河は下を向いている。
信成は頭を抱えた。
長い沈黙。
やがて。
多々良が言った。
「Designではなく」
橋本。
「ん?」
「Designedだな」
試験室が静まり返る。
橋本。
「何が違う」
「Design byでは英語として不自然だ」
橋本は少し考える。
「なるほど」
そして多々良を見る。
橋本
「オー、ミスター多々良」
「なんで英語分かるんだ?」
多々良
「昔少し学んだのでな」
“Just a little. Long time ago.”
橋本
「・・・」
信成を見る。
「おい」
「信成boy」
信成
「なんですか」
橋本
「今なんて言った」
信成
「昔少し学んだだけです、です」
橋本
「なるほど」
小橋
「コイツ、英語全く分かってねえのかよ」
橋本
「技術英語は分かる」
小橋
「威張って言うことか」
隆則が吹き出した。
信成も思わず笑う。
橋本
「設計屋に必要なのは図面だ」
小橋
「海外行ったらどうする」
橋本
「通訳連れてく」
小橋
「駄目だこりゃ」
多々良まで少し口元を緩める。
「ミスター多々良」
「Youは頭良いね」
多々良。
「君ほどではない」
橋本。
「私の次やろうけど。へへへっ。」
初めてだった。
橋本が少しだけ他人を認めた。
その空気を見て。
隆則が橋本に話しかける。
「橋本さん」
「もしお名前を残すなら」
橋本。
「うん」
「取扱説明書とカタログに」
「『開発責任者 橋本登』って書くのはどうでしょう?」
橋本の顔が曇った。
「NO!!」
即答だった。
信成が吹き出す。
橋本。
「本体には何も無い。」
「これじゃ百年後に誰も気付かんへんやん」
隆則は残念そうにため息をついた。
「そうですか」
「もっともっとお力をお借りしたかったんですが」
橋本の目が細くなる。
隆則は続ける。
「開発責任者では不足なら」
「仕方ありません」
「今回はご縁が無かったという事で」
試験室が静まる。
橋本は試作機を見た。
再び見た。
そして言った。
「責任者じゃ弱い」
「はい?」
橋本は腕を組んだ。
少し考える。
そして言った。
「最高を付けろ」
「開発最高責任者」
沈黙。
橋本だけ真顔。
「それなら目立つ」
「橋本登がやったと分かる」
隆則は笑った。
信成も笑った。
多々良も笑いを堪えきれない。
小橋だけが天井を見上げていた。
その夜。
泉町精工。
社長室。
小橋はまだ怒っていた。
「開発最高責任者だぞ」
「ふざけとる」
隆則は苦笑する。
「まあまあ」
「面倒臭い人ですが」
「段々扱い方が分かってきました」
隆は楽しそうだった。
「いいんじゃないか」
全員が社長を見る。
隆は笑った。
「最高なんだろ?」
「なら最高でいい」
小橋は天を仰いだ。
「適当だなあ・・・」
その頃。
減速機試験室。
橋本と信成は試作品の図面を見ていた。
橋本が突然言った。
「信成boy」
「なんですか」
「これダメだったから遊び増やしたんやない?」
信成の顔が固まる。
図星だった。
誰にも言っていない。
試験結果を見て修正した箇所だった。
「なぜ分かったんですか」
橋本は鼻で笑った。
「クラウザーのタッピングマシン」
「ギアヘッド」
「同じ事やったんよね」
橋本は椅子を引き寄せた。
「タップって反転するだろ?」
「だから遊びがあると折れるのよ」
信成は身を乗り出した。
橋本はニヤリと笑う。
「You、どうやって遊びを減らしたか聞きたい?」
信成は苦笑した。
「聞きたいです」
橋本は嬉しそうだった。
「聞きたいよね?」
そして語り始める。
歯車。
軸。
熱処理。
バックラッシュ。
試験。
失敗。
改良。
失敗。
改良。
話は止まらない。
信成はノートを開いた。
兄の言う通りだ。
かなり面倒臭い。
だが。
扱い方は分かってきた。
質問する。
すると勝手に喋る。
その話は面白い。
橋本登。
面倒臭い。
とてつもなく面倒臭い。
だが。
隆則は橋本の扱い方を覚えた。
信成も橋本の扱い方を覚えた。
そして橋本もまた、
泉町精工という会社を少し気に入り始めていた。




