泉会
昭和四十年十二月。
名古屋市中区。
泉会忘年会。
今年も例年通り、料亭「松風」で開かれた。
泉会。
それは伊東隆が発起人となり設立した泉町精工の協力会社親睦会だった。
泉町精工だけが儲かっても意味はない。
協力会社だけが儲かっても意味はない。
共存共栄。
その理念のもとに作られた会だった。
初代会長は内山工業の内山義雄。
創業期から泉町精工を支え続けた男である。
そして現在の会長は倉持産業の倉持和夫。
人望厚く、穏やかな男だった。
参加企業は二十数社。
内山工業。
倉持産業。
東那古野鉄工所。
元山機工。
鈴谷製作所。
中島鉄工。
山口工作所。
泉町熱処理。
そして泉町精工。
今年も例年通り全員が集まった。
だが。
今年は空気が違った。
宴会開始。
会長の倉持和夫が壇上へ立つ。
拍手。
倉持は頭を下げた。
「皆さん、本年もお疲れ様でした」
拍手。
「おかげさまで泉会も発足以来順調に発展しております」
再び拍手。
そこで倉持は少し言葉を切った。
そして笑った。
「もっとも」
会場も笑う。
「最近はなかなか厳しい立場ではありますが」
どっと笑いが起きた。
あちこちから
「そうだそうだ」
と声が上がる。
信成は無表情。
小橋は煙草を咥えたまま動かない。
倉持は続けた。
「品質要求は厳しくなる」
「納期要求も厳しくなる」
「そして単価は下がる」
あちこちで苦笑が漏れた。
信成だけ笑わない。
小橋も笑わない。
倉持は最後に締めた。
「しかし来年も皆で頑張りましょう」
拍手。
拍手。
拍手。
続いて伊東隆が壇上へ上がった。
会場の空気が少し変わる。
皆が自然と背筋を伸ばした。
隆は深々と頭を下げた。
「本日はありがとうございます」
静かだった。
「泉町精工は皆さんのおかげで今年も仕事ができました」
再び頭を下げる。
「私は昔から変わらない考えです」
会場を見回す。
「共存共栄です」
静かだった。
「泉町精工だけでは生きていけません」
「皆さんだけでも生きていけません」
「だから泉会があります」
倉持も内山も聞いていた。
「これからも力を貸してください」
拍手。
大きな拍手だった。
そして宴会が始まった。
最初の一時間は平和だった。
ビールが注がれる。
酒が運ばれる。
野球の話。
景気の話。
家族の話。
昔話。
笑い声。
まさに泉会だった。
だが。
酒が回り始めると変わった。
内山義雄が立ち上がった。
「しかしだ」
始まった。
倉持が苦笑した。
「出たな」
内山は信成を見た。
「信ちゃん」
信成が顔を上げる。
「なんでしょう」
「やり過ぎだ」
会場に気まずい笑いが溢れる
内山はグラスを置いた。
「この前のシャフトだ」
信成は黙っている。
「〇・〇七振れとるって全部返品された」
会場が静かになる。
「昔なら使っとった」
「熱処理後に修正して終わりだった」
「だが全部やり直しだ」
「職人三人で二日潰れた」
内山は興奮気味に続けた。
「単価下げろ」
「納期守れ」
「品質上げろ」
「また単価下げろ」
「また納期守れ」
「また品質上げろ」
「鬼だよ、鬼」
東那古野鉄工所の近藤進も立った。
「うちも同じです」
「図面より書類の方が多い」
「加工屋なのか事務屋なのか分からん」
拍手。
元山機工。
「毎回原価表出せと言う」
内山が口悪く、信成や小橋に聞こえるよう
「白ブタが」
と呟く
信成は黙っていた。
手にした盃が少しだけ震えた。
ただそれだけだった。
隆則は慌てて動いた。
「まぁまぁ内山さん」
酒を注ぐ。
「近藤さんも」
酒を注ぐ。
「倉持さんも」
酒を注ぐ。
営業部長らしい立ち回りだった。
だが止まらない。
内山が立った。
「信ちゃんだけならまだいい」
会場が静かになる。
「問題は小橋っちゃんだ」
小橋が顔を上げる。
「昔のお前は現場の男だった」
「旋盤屋の味方だった」
「職人の味方だった」
「今は帳簿の味方だ」
空気が変わった。
さすがに言い過ぎだった。
小橋は煙草を取り出した。
だが一本折れた。
本人も気付いていない。
倉持も言う。
「小橋さん」
「皆そう思ってます」
近藤も頷く。
元山も。
鈴谷も。
全員が頷いていた。
小橋は黙っていた。
信成も黙っている。
静寂。
その時だった。
伊東隆が立ち上がった。
誰も喋らない。
隆は酒を一口飲んだ。
「終わったか」
内山が苦笑する。
「社長・・・」
隆は頷いた。
「言いたいことは分かった」
静かだった。
「そして」
内山を見る。
「内山、お前は正しい」
倉持を見る。
「和夫も正しい」
近藤を見る。
「近藤君も正しい」
会場がざわつく。
だが隆は続けた。
「だがな」
小橋を見る。
「小橋も正しい」
信成を見る。
「信成も正しい」
誰も喋れなかった。
隆はゆっくりと言った。
「だから困っとるんだ」
静寂。
「昔はな」
「人情だけでやれた」
「義理だけでやれた」
「俺もそうやってきた」
内山が俯く。
「だが今は違う」
「泉町精工も大きくなった」
「皆の会社も大きくなった」
「もう昔のままじゃ生き残れん」
誰も反論しない。
隆は続ける。
「信成も」
「小橋も」
「皆を苦しめたくてやっとるわけじゃない」
「生き残るためだ」
「皆で生き残るためだ」
完全な静寂だった。
やがて。
内山がため息をついた。
「・・・分かっとる」
倉持も頷く。
「俺もです」
近藤も頭を掻く。
「酒が過ぎました」
会場から笑いが起きた。
空気が戻った。
そして宴会は終わった。
帰り際。
廊下。
誰もいない。
信成。
小橋。
二人だけ。
そこへ隆がやって来た。
しばらく三人で立つ。
隆が笑った。
「嫌われ役は辛いな」
信成は苦笑した。
「はい」
小橋も笑った。
「慣れませんな」
隆は頷く。
「……俺には、できんかった役だ」
それだけ言うと歩き出した。
信成と小橋は黙って見送った。
この頃。
泉会の会員たちは二人をこう呼んでいた。
白ブタ。
信伸コンビ。
決して好意的な呼び名ではない。
だが後年。
「泉町精工の協力会社」
その事実は、
大手メーカーから最高の信頼を得る証となる。
「泉会の品なら検査を省いても大丈夫だ」
そう言われるまでになった。
それは信成と小橋の容赦ない要求だけで生まれたものではない。
内山。
倉持。
近藤。
元山。
鈴谷。
文句を言いながらも、
歯を食いしばってついてきた泉会の男たちの意地と努力の結果だった。
泉会の看板は、
品質。
納期。
原価管理。
その全てを保証する信用の証となった。
彼らにとって、
それ以上の勲章はなかった。
そしてその最強の加工屋集団の礎を築いたのは、
誰よりも嫌われた二人だった。




