白ブタ
昭和四十年九月。
泉町精工は好景気の真っただ中にいた。
稼働を始めた丈山工場のホブ盤は昼夜を問わず回り続ける。
歯車は作れば売れる。
営業が見積を出せば注文が入る。
丈山工場内に新設された泉町熱処理もフル操業だった。
工場は活気に満ちていた。
誰もが会社は儲かっていると思っていた。
ただ一人を除いて。
経理課長、多々良正だった。
月末。
事務所の机に帳簿を広げる。
売上は伸びている。
去年より伸びている。
一昨年より伸びている。
問題は利益だった。
増えている。
だが増え方がおかしい。
売上の伸びに追いついていない。
多々良は何度も計算し直した。
間違いはない。
煙草に火をつける。
そして呟いた。
「おかしいな……」
翌日。
信成が呼ばれた。
経理課長室。
多々良は帳簿を差し出した。
「見てくれ」
信成は黙ってページをめくる。
しばらくして顔を上げた。
「利益率ですね」
「そうだ」
「設備投資ですか」
「違う」
「人件費ですか」
「それでもない」
多々良は腕を組んだ。
「どこかで食われてる」
信成は再び帳簿を見る。
そして静かに言った。
「調べます」
そこからだった。
信成は製造部へ行った。
伝票を集める。
発注書を集める。
納品書を集める。
見積書を集める。
誰も何を始めたのか分からなかった。
夜。
皆が帰る。
信成だけ残る。
翌朝。
誰より早く出社する。
また夜。
また伝票。
一週間。
机の上には紙の山ができていた。
歯切り工程。
問題なし。
泉町熱処理。
問題なし。
材料。
問題なし。
だが外注が違った。
旋盤加工。
フライス加工。
穴加工。
キー溝加工。
会社ごとに単価が違う。
納期が違う。
品質が違う。
見積根拠も違う。
いや。
根拠など存在しない会社すらあった。
昔からの付き合い。
社長同士の信頼。
現場同士の義理。
それだけで回っている。
信成は資料を閉じた。
「これか」
泉町精工が大きくなったから見えた問題だった。
創業時なら問題にならない。
だが今は違う。
年間何十万個も歯車が動く。
利益を感覚で管理できる規模ではない。
その日の夜。
製造部長室。
小橋伸夫は生産日報を見ていた。
「小橋部長」
「なんだ」
信成は資料を差し出した。
「利益率の原因が分かりました」
小橋は黙って読む。
やがて煙草に火を付けた。
「原因は」
「外注です」
「外注か」
信成は資料を指差した。
「納期」
「品質」
「単価」
「全部バラバラです」
小橋は何も言わない。
「このままでは売上が増えるほど利益が減ります」
沈黙。
工場の機械音だけが聞こえる。
しばらくして小橋が言った。
「どうする」
信成は即答した。
「外注を徹底的に管理した方がいいと思います」
小橋は窓の外を見た。
丈山工場。
明かりが灯っている。
作業者たちが働いている。
そして振り返った。
「分かった」
信成が顔を上げる。
「外注課を作る」
「……」
「課長は任せた」
「私がですか」
「お前が言い出した」
信成は数秒考えた。
そして頷いた。
「やります」
小橋は煙草を灰皿へ押し付けた。
「明日の朝礼で発表する」
それで終わった。
会社の組織が五分で変わった。
翌朝。
朝礼。
製造部外注課新設。
課長は伊東信成。
工場がざわついた。
立河三郎だけは腕を組んだまま聞いていた。
朝礼後。
「信ちゃん」
信成が振り返る。
「何ですか」
立河は少し困った顔をした。
「ほどほどにしろよ」
信成は首を横に振った。
「できません」
「・・・」
「会社を守るためです」
立河は嫌な予感がした。
その日の午後。
外注課。
管理能力があると感じた社員たちが3名集められた。
信成は言った。
「これから我々は外注先から嫌われます」
皆が顔を見合わせる。
「納期」「品質」「原価」
「全部管理します」
静まり返る。
「覚悟してください」
誰も返事ができなかった。
そして翌週。
最初の訪問先が決まった。
内山工業。
創業当初からの協力会社。
伊東隆の代から付き合いがある。
外注課の3人ともが驚いた。
「課長」
「何ですか」
「最初が内山工業ですか」
「そうです」
「もっと他に問題のある会社が」
信成は首を振った。
「だからです」
「?」
「一番古い付き合いだからです」
誰も何も言えなくなった。
逃げない。
最初に最も切り込みにくい相手へ行く。
それが信成だった。
内山工業。
社長の内山義雄は大正生まれ。
伊東隆と共に会社を大きくしてきた男だった。
事務所へ入る。
内山が笑う。
「おう、信ちゃん」
「久しぶりだな」
「社長は元気か」
信成は軽く頭を下げた。
「元気です」
「そうかそうか」
内山は嬉しそうだった。
だが。
信成が鞄から資料を出した瞬間。
空気が変わった。
「今日はお願いがあります」
内山の笑顔が消える。
「何だろ」
「納期遅延四件」
「・・・」
「品質不良三件」
「・・・」
「単価管理の見直しです」
内山が煙草を置いた。
「改善をお願いします」
「忙しいんだ」
「他社も忙しいです」
「他社は知らん」
信成は資料を開く。
「このシャフトです」
「・・・」
「0.07外径が振れてます」
「使えるだろ」
「使えるかどうかではありません」
「後で研磨するんだから関係ない」
「振れが歯に移ります。図面通り作ってもらわないと。」
内山が立ち上がる。
「信ちゃん」
「はい」
「変わったな」
「・・・」
「隆さん、いや社長はそんなこと言わんかった」
信成は答えた。
「会社が変わりました」
「違う!」
机を叩く。
「変わったのは信ちゃんだろ!」
事務所が静まり返る。
「偉そうにしやがって!」
「・・・」
「旋盤を自分で回したことあるのか!」
「ありません」
「ほら見ろ!」
「だから数字を見ています」
内山が怒鳴った。
「また数字か!」
「数字が会社を守ります」
「人間が会社を守るんだ!」
信成も立ち上がった。
「人間だけでは守れません!」
初めて声を荒げた。
「品質不良は信用を失います!」
「納期遅延は客を失います!」
「利益が無ければ会社は潰れます!」
内山も負けない。
「俺たちがどれだけ泉町を助けたと思っとる!」
「伊勢湾台風の時も!」
「仕事が無い時も!」
「隆さんと一緒にやってきたんだぞ!」
「言いたくないが、うちらのおかげで泉町は成り立ってきたんだ。」
信成は真正面から見返した。
「つまり、昔助けたから今は許せと。」
沈黙。
内山の顔が真っ赤になる。
「何だと」
「昔話で品質不良は消えません」
「・・・」
「昔話で納期遅延は無くなりません」
「・・・」
「昔話で会社は守れません」
内山の拳が震える。
そして吐き捨てた。
「この白ブタが!」
事務所が凍り付いた。
「親父の七光りが!」
「現場も知らんくせに!」
「偉そうに!」
信成は黙っていた。
そして資料を鞄へ入れる。
「一週間後にまた来ます」
「帰れ!」
「改善計画書をお願いします」
「帰れ言っとるだろ!」
「失礼します」
信成は振り返らなかった。
内山の怒鳴り声が背中へ飛ぶ。
「二度と来るな!」
しかし信成は歩き続けた。
翌朝。
内山工業。
職人が事務所へ飛び込んでくる。
「社長!」
「なんだ」
「泉町の人が来てます!」
内山は顔をしかめた。
「また白ブタか」
窓を見る。
そして固まった。
そこには信成がいた。
だが一人ではない。
その横に立っていたのは、
いつも以上に厳しい顔をした小橋伸夫だった。
内山の顔色が変わる。
「……小橋っちゃん」
小橋は何も言わない。
信成も何も言わない。
二人は並んで工場へ向かって歩いていた。
内山は初めて理解した。
昨日来たのは信成ではない。
泉町精工だった。




