再訪
東京へ戻ってからも、多々良重雄の心は妙だった。
仕事が手につかないわけではない。
むしろ逆だった。
仕事はいつも通りこなせる。
課長の信頼も厚い。
部長の評価も悪くない。
同期の中で出世頭と言われるぐらいだった。
それなのに。
何かが引っ掛かっていた。
人事部の仕事は、人を動かすことだった。
採用。
異動。
昇進。
降格。
出向。
配置転換。
人が動けば会社が動く。
会社が動けば利益が出る。
間違いなく重要な仕事だった。
だが。
重雄は窓の外を見た。
東京駅。
行き交う人々。
巨大な帝商高井本社。
その光景が、なぜか少し遠く感じた。
信成の顔が浮かぶ。
花田の怒鳴り声が浮かぶ。
小橋の汗だくの姿が浮かぶ。
立河の無言の横顔が浮かぶ。
気が付くと土曜日休みを取り
金曜の夜行にのるために
東京駅へ向かっていた。
自分でも理由は説明できなかった。
土曜の早朝、那古野の実家へ帰ると母親が驚いていた。
母親に顔を見せた後
自然と足が向いた。
泉町精工だった。
工場の門をくぐる。
油の匂い。
鉄の匂い。
機械の振動。
前回来た時と同じだった。
だが信成はいなかった。
客先へ出ているらしい。
少し残念だった。
事務所を出る。
帰ろうかと思った。
その時だった。
工場の隅で見慣れた兵隊帽が目に入った。
花田だった。
相変わらず配電盤の前にしゃがんでいる。
何本もの配線が床を這っていた。
その横では樫野木鉄工所の前田龍一が図面を見ている。
そして若い男が工具箱を抱えて走り回っていた。
重雄は近付いた。
花田は気付いているはずだった。
だが顔も上げない。
重雄から声を掛けた。
「花田さん。」
しばらく返事がない。
やがて。
「なんだ。」
それだけだった。
重雄は苦笑した。
相変わらずだった。
若い男が横を走り抜ける。
「社長!」
「なんだ。」
「部品ありません!」
「バカたれ!」
若い男はまた走っていった。
重雄はその背中を見た。
「社員さんですか。」
花田は配線を見たまま答えた。
「若造だ。」
「名前は。」
花田は少し考えた。
そして言った。
「知らん。」
重雄は聞き返した。
「知らん?」
「知らん。」
重雄は思わず笑った。
その時だった。
横から前田が口を挟んだ。
「本当に知らないと思いますよ。」
重雄が振り向く。
前田は図面から目を離さない。
「一代目若造は逃げました。」
「二代目も。」
「今は三代目です。」
重雄は吹き出した。
花田は気にも留めない。
前田は続けた。
「続かないんですよ。」
「そんなにですか。」
「そんなにです。」
前田は珍しく笑った。
「花田さんについていけない。」
「厳しいんですね。」
「厳しいというか。」
前田は言葉を探した。
そして言った。
「異常です。」
花田が振り向く。
「聞こえとるぞ。」
「聞こえるように言いました。」
花田は鼻を鳴らした。
前田は続ける。
「泉町さんから紹介されたんです。」
「紹介?」
「うちの機械を自動化したいから手伝ってくれって。」
重雄は周囲の装置を見る。
チェーン。
エアシリンダ。
シュート。
まだ完成していない。
「それだけじゃありません。」
前田は言った。
「花田さん、グリムゾンも自動化始めてます。」
重雄は驚いた。
「アメリカのグリムゾン社の機械を?」
「ええ。」
「今のままだと泉町さんの受注量に生産が追い付かなくなる。」
「だから自動化したい。」
重雄は装置を見る。
信成が言っていた。
中卒の若い子がどんどん入ってくる。
だが教える側が足りない。
その話を思い出した。
前田は続けた。
「グリムゾン本社の人は来ないんです。」
「肝心な部分は電気図面もありません。」
「最初は無理だと思いました。」
「でも花田さんは。」
『出来る。』
「それだけです。」
重雄は苦笑した。
確かに花田らしい。
前田は花田を見た。
少しだけ尊敬の色が混じっていた。
「すごいですよ。」
「そうですか。」
「ええ。」
前田は真顔だった。
「頭の中どうなってるんだろうと思う時があります。」
重雄は黙って聞いていた。
「若崎重工。」
「富士山電気。」
「日本を代表する会社の電気設計の課長クラスが。」
「ここへ電話かけてくるんです。」
「花田さんいますかって。」
重雄は目を丸くした。
「本当ですか。」
「本当です。」
「相談するためです。」
「教えてもらうためです。」
重雄は兵隊帽の男を見る。
床に座り込んで配線を触っている。
社員二人。
三代目の若造。
町工場の変人。
どこから見てもそうだった。
だが前田は断言した。
「あり得ないでしょう。」
「ええ。」
「でもあり得るんです。」
「それが花田さんです。」
その時だった。
若造がまた飛び込んできた。
「社長!」
「なんだ!」
「また飛びました!」
「だから言っただろうが!」
「すみません!」
「バカたれ!」
若造が逃げる。
花田が追う。
前田は図面に戻る。
重雄は笑った。
不思議だった。
帝商高井では絶対に見ない光景だった。
夕方になった。
重雄は帰ることにした。
工場の出口へ向かう。
ふと振り返る。
花田がまだ配線を触っていた。
重雄は足を止めた。
そして聞いた。
「花田さん。」
「なんだ。」
「毎日そんな事ばかり考えてるんですか。」
花田は顔を上げない。
「何をだ。」
「仕組みです。」
花田は少しだけ考えた。
「そうだな。」
「電気の仕組みだ。」
「モーター回して。」
「シリンダー動かして。」
「次を動かして。」
「また次を動かす。」
重雄は黙って聞く。
花田は続ける。
「仕組みが出来りゃ。」
「後は勝手に動く。」
それだけだった。
重雄は思わず言った。
「私も似たような事やってます。」
花田が初めて顔を上げた。
「ほう。」
「人事ですから。」
「人を配置して。」
「採用して。」
「異動させて。」
「会社を動かします。」
花田は頷いた。
「あんたも仕組み屋か。」
重雄は少し嬉しかった。
帝商高井では誰もそう言わない。
人事担当者。
総務屋。
管理部門。
そう呼ばれる。
仕組み屋と言われたのは初めてだった。
花田はドライバーを回した。
そして言った。
「立派な仕事だ。」
重雄は黙る。
花田は続ける。
「でもな。」
「はい。」
「仕組みってのは。」
「はい。」
「使う奴の顔見ながら作るともっと面白い。」
重雄は何も言えなかった。
花田は重雄を見た。
「あんた。」
「はい。」
「誰の顔見て仕事しとる。」
重雄は答えられなかった。
人事部。
履歴書。
評価表。
辞令。
社員番号。
顔は知っている。
だが本当に見ていただろうか。
花田は興味を失ったように配線へ戻った。
そして最後に言った。
「仕組み屋ならな。」
「はい。」
「自分が面白いと思う仕組み作れ。」
重雄は立ち尽くした。
花田は続けた。
「人が決めた仕組み直しとるだけじゃ。」
「つまらんだろ。」
工場の音だけが響いた。
若造が走る。
前田が図面を描く。
花田が配線を組む。
皆、自分の仕組みを作っていた。
その瞬間だった。
重雄の中で何かが決まった。
帝商高井は素晴らしい会社だ。
だが。
自分が作った会社ではない。
自分が作った仕組みでもない。
信成は違う。
小橋も違う。
花田も違う。
泉町精工には、自分で会社を作ろうとしている人間がいた。
重雄は深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
花田は顔も上げない。
「おう。」
それだけだった。
だがその夜。
東京へ戻った重雄は机に向かった。
転属願ではなかった。
退職願だった。
ペン先は迷わなかった。




