表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/93

継投

昭和三十八年十一月。


中日本新聞杯社会人軟式野球大会決勝。


泉町精工の相手は西郷製作所だった。


数年前までなら互換か、やや優位だった。


だが今は違う。


若い。


勢いがある。


そして強い。


試合前。


馬場元はベンチ前で相手を眺めていた。


酒井。


栄商業出身。


アンダースロー。


県内でも名の知れた投手だった。


捕手も栄商業。


馬場の後輩。


古豪栄商の再起を託された

有名なバッテリーだった。


だが県内でベスト4。


二人は高校時代に甲子園へは届かなかった。


酒井がブルペンで投げる。


低い位置から浮き上がるような速球。


鋭いカーブ。


捕手が怒鳴る。


「腕だけで投げるな!」


「分かっとる!」


酒井が怒鳴り返す。


「うるせぇ!」


だが二人とも笑っていた。


石川が隣へ来る。


「良いバッテリーですね」


馬場は頷いた。


「ああ」


しばらく見ていた。


そして呟く。


「昔を思い出すな」


「栄商時代ですか」


「ああ」


酒井と捕手はまだ若い。


だが互いを信じ切っている。


その姿が眩しかった。


去年まで馬場がマスクを被っていた。


だが石川の腰はもう治っている。


だから譲った。


捕手と4番の座を。



試合開始。


一回表。


二死。


四番石川。


酒井の初球。


外角高め。


石川が叩く。


鋭い打球。


右中間を破った。


二塁打。


観客席がどよめく。


西郷製作所ベンチがざわついた。


酒井が帽子を取る。


捕手が駆け寄る。


二人で何か話している。


馬場はそれを見ていた。


五番馬場。


初球。


カーブ。


腰が引けた。


ストライク。


二球目。


またカーブ。


空振り。


三球目。


速球。


ショートゴロ。


ベンチへ戻る。


花田が笑う。


「あんなへっぴり腰じゃ打てねぇわな」


馬場は黙って真新しいファーストミットに手を入れ守備に入った。


三回。


石川。


四球。


五回。


石川。


四球。


七回。


石川。


四球。


西郷製作所は勝負しなかった。


豊臣自動車で四番。


甲子園で本塁打を打った男。


勝負する必要が無かった。


だが馬場は打てない。


ショートゴロ。


セカンドゴロ。


ファーストフライ。


ベンチへ戻る。


悔しかった。


若い頃なら打てた。


そんな事を考える自分がもっと悔しかった。


石川が隣へ座った。


「馬場さん」


「なんだ」


「見過ぎです」


馬場が振り向く。


「何をだ」


「球です」


石川は言った。


「球を見てるから遅れます」


馬場は黙る。


石川が続ける。


「相手のピッチャーを見て下さい」


「酒井を?」


「はい」


「カーブの時だけ左肩が少し下がります」


馬場は眉をひそめた。


「見えたのか」


「見えました」


即答だった。


九回表。


同点。


二死一塁。


石川。


また四球。


観客席がざわつく。


石川は馬場を見ながら一塁へ歩く。


何も言わない。


だが伝わった。


酒井が振りかぶる。


馬場は球を見ていなかった。


酒井を見ていた。


肩。


肘。


重心。


そして。


左肩が僅かに落ちた。


来る。


カーブ。


腰は引かない。


振り抜く。


快音。


打球は右中間へ飛んだ。


抜けた。


石川が一塁から全力で走る。


二塁。


三塁。


ホーム。


決勝点。


馬場は三塁へ滑り込んだ。


立ち上がる。


若い栄商バッテリーを見る。


酒井は悔しそうだった。


捕手は唇を噛んでいた。


馬場は笑った。


数年前なら見下していたかもしれない。


だが今は違う。


良い選手だと思った。


そして。


負けたくないと思った。


九回裏。


一点差。


小橋がマウンドへ向かう。


だが隆が立ち上がった。


「小橋」


「はい」


「代われ」


小橋が振り返る。


「一塁へ行け」


ベンチがざわつく。


「馬場」


「なんですか?」


「マスク被れ」


馬場が目を丸くする。


「石川」


石川が振り向く。


「お前が投げろ」


一瞬。


全員が固まった。


花田が吹き出した。


「社長!」


「面白い事するじゃねぇか!」


「バカたれが」


ベンチが大笑いする。


隆は腕を組んだまま言った。


「やれ」


小橋が一塁へ向かう。


馬場がマスクを被る。


石川がマウンドへ上がる。


観客席がざわつく。


元豊臣自動車の四番。


甲子園で本塁打を打った男。


その男が投手。


馬場がミットを構える。


「思い切り来い」


石川が頷く。


第一球。


唸るような腕の振り。


ズドン。


石川の豪速球が唸り、


馬場のミットに乾いた音を立てて収まった。


場内が静まり返る。


打者が目を見開く。


花田が立ち上がる。


「いける!」


「これいけるぞ!」


ベンチが沸く。


馬場も笑った。


二者連続三振。


そして最後の打者。


酒井だった。


若きエース。


若きライバル。


馬場がミットを構える。


石川が頷く。


第一球。


ストライク。


第二球。


空振り。


追い込んだ。


酒井はバットを握り直した。


馬場が笑う。


「石川は良い投手でもあるな」


石川も笑った。


「はい」


第三球。


全力。


酒井がかろうじて当てた打球は


力なく小橋の足元に転がる。


小橋が拾い上げ一塁を踏む。


試合終了。


泉町精工優勝。


歓声が上がる。


酒井が帽子を取る。


馬場へ頭を下げる。


馬場も帽子を取った。


若い栄商バッテリー。


強かった。


本当に強かった。


だから勝てた事が嬉しかった。


その夜。


祝勝会。


花田は上機嫌だった。


「石川投手!」


「反則だ!」


大笑いが起きる。


その時。


隆が立ち上がった。


「聞け」


全員が静かになる。


「今日で野球部監督を辞める」


場内が静まり返った。


隆は続けた。


「小橋」


「はい」


「明日からお前が監督だ」


小橋は酒を吹いた。


「はぁ?」


花田が腹を抱える。


「出た!」


「また勝手に決めた!」


隆は無視した。


「馬場」


「助監督やれ」


「無理です」


即答だった。


場内爆笑。


隆は平然としている。


「駄目だ」


「お前しかおらん」


馬場は頭を掻いた。


誰も反対しない。


花田が笑う。


「観念しろ」


「お前が一番向いとる」


馬場は酒を飲み干した。


「やるしかねぇか」


歓声が上がる。


隆は静かに座った。


誰も気付かなかった。


だが一人だけ。


小橋だけは気付いていた。


隆は今日、


監督の座を降りた。


会社ではまだ社長だ。


だが野球部は渡した。


隆から小橋へ。


小橋から石川へ。


そしていつか。


また次へ。


継投だった。


マウンドだけではない。


技術も。


会社も。


人も。


誰かから誰かへ受け継がれていく。


それが泉町精工だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ