グリムゾン
昭和三十七年五月。
泉町精工の工場に、見たこともない巨大な機械が運び込まれてきた。
工員たちは仕事の手を止めた。
トラックの荷台に鎮座する黒い塊を見上げる。
「なんだありゃ」
「アメリカ製らしいぞ」
「飛行機でも作るのか」
誰かが言った。
小橋伸夫は腕を組みながら苦笑した。
「飛行機じゃねえ」
「歯車だ」
誰も信じなかった。
あんな大きな機械で歯車を作るとは思えなかった。
タキヤ工業向けディスクグラインダー用スパイラルベベルギア。
月産一万個。
泉町精工始まって以来の大勝負だった。
工場の裏では据付工事が始まる。
鉄板を叩く音が事務所まで響いていた。
その日の午後。
事務所に関久志が来ていた。
商社の担当者である。
机の上には図面と資料が山積みになっていた。
「こちらがグリムゾンの仕様です」
関が説明を始める。
立河三郎は図面を見ながら首を傾げた。
「で」
「段取り替えはどうする」
関の手が止まった。
「段取り替え、ですか」
「そうだ」
「歯車が変わったらどうする」
関は資料をめくった。
そして少し困った顔をした。
「仕様変更になります」
事務所が静かになった。
小橋が顔を上げる。
「仕様変更?」
「はい」
「本国へ申請します」
「必要な部品を取り寄せて、技術者を派遣します」
「もちろん有償になります」
立河が鼻を鳴らした。
「なんだそれは」
「町工場向きじゃねえな」
多々良正も眼鏡を外した。
「技術者ってどこから来る」
「アメリカです」
今度は誰も喋らなかった。
関も気まずそうだった。
小橋は頭を掻いた。
「聞いてねえぞ」
「申し訳ありません」
「豊臣自動車様でも専用機として使用されておりましたので」
立河が腕を組む。
「専用機か」
「贅沢な話だな」
その言葉に誰も反論しなかった。
事務所の隅で信成だけが黙って資料を見ていた。
珍しいことだった。
普段なら何か言う男だった。
だが今回は何も言わない。
小橋が聞いた。
「信ちゃん」
信成は顔を上げる。
「はい」
「どう思う」
しばらく沈黙した。
信成は資料を閉じた。
「分かりません」
立河が顔を上げた。
小橋も思わず信成を見た。
信成が分からないと言うのを初めて聞いた気がした。
その時だった。
小橋がふと思い出したように石川満を見る
「そういや石川」
「はい」
「お前、豊臣でこれやっとったんだろ」
「はい」
小橋は少し安心した。
豊臣自動車。
日本一の自動車会社だ。
そこでグリムゾンを扱っていた男がいる。
それだけで心強かった。
「なら安心だな」
石川は黙った。
「なんだ」
「遠慮するな」
「経験者がいるなら心強い」
石川は少し考えた。
そして言った。
「小橋さん」
「ん?」
「僕」
「脱着担当でした」
誰も意味が分からなかった。
「脱着?」
「はい」
「品物の取り付けと取り外しです」
事務所が静かになる。
小橋の笑顔が消えた。
「工具交換は」
「やったことありません」
「歯当たりは」
「見たことはあります」
「調整は」
「やったことありません」
「段取りは」
「知りません」
沈黙。
関まで黙ってしまった。
立河が石川を見る。
石川は嘘をついていない。
真面目な顔だった。
信成も黙ったままだった。
窓の外では据付工事が続いている。
金属を叩く音が遠く聞こえた。
タキヤ工業。
月産一万個。
泉町精工最大の設備投資。
そして。
唯一の経験者は脱着しか知らない。
誰も喋らない。
小橋は窓の外を見た。
夕陽の中にグリムゾンが四つ並んで立っていた。
まるで知らない男たちが工場の真ん中に居座っているようだった。
小橋はゆっくり椅子にもたれた。
そして天井を見上げた。
「どうすりゃいいんだ……」
その言葉は、事務所に重く、静かに落ちていった。




