↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
122/124

最後の一手

平成二十三年、九月。


イズミマチ本社。


相談役室。


信成は、一本の電話を終えると、しばらく受話器を見つめていた。


タキヤの社長からの返事だった。


断られた。


だが、まだ諦めるつもりはなかった。


信成は秘書に言った。


「タキヤの社長に、時間を取ってもらえ」


「専務もですか?」


「二人ともだ」


翌日。


タキヤ本社。


応接室。


信成の向かいに、タキヤ社長と専務が座っていた。


「お久しぶりです」


挨拶を終えると、信成は単刀直入に切り出した。


「クラウザーがイズミマチを欲しがっています」


社長は表情を変えなかった。


「聞いております」


「なら、どうしますか?」


「どうする、とは?」


「タキヤも株を買えばいいのでは」


専務が信成を見る。


信成は続けた。


「クラウザーに持ってかれても良いのですか?」


社長は少し考えてから答えた。


「それと、株を買うことは別の話です」


「なぜだ?」


「我々は、マネーゲームに参加する気はありません」


信成の眉がわずかに動いた。


「マネーゲーム?」


「はい」


社長は静かに言った。


「イズミマチとは長い付き合いです。技術も、人も、よく知っています」


「なら分かるのでは?」


「分かっています」


「だったら……」


「だからこそ、です」


社長の言葉に、専務も頷いた。


「クラウザーが買うから、タキヤも買う。クラウザーが値段を上げれば、こちらも上げる。そんなことを始めたら、イズミマチの株価だけが吊り上がります」


信成は黙った。


「我々が欲しいのは、株ではありません」


社長が言った。


「イズミマチとの関係です」


「……」


「これまで通り、良い仕事をしてもらえれば、それでいい」


信成は二人を見た。


「クラウザーの傘下になっても?」


社長は少し間を置いた。


「それは、イズミマチが決めることです」


信成は椅子に背を預けた。


「そうですか」


その声には、失望が滲んでいた。


だが、タキヤの二人は動かなかった。


信成は立ち上がった。


「分かりました。今日はありがとうございます」


応接室を出る。


エレベーターに乗った信成は、一人になると目を閉じた。


タキヤは動かない。


ならば、別の手を使うしかない。


「……渡せるわけがない」


小さく呟いた。


伊藤家が始めた会社だ。


父や兄、自分、弟が繋いできた。


自分が筆頭株主として守ってきた会社だ。


それを、簡単に手放せるはずがなかった。


翌朝。


信成は村野證券へ電話を入れた。


「久しぶりだね」


電話の向こうから、懐かしい声が返ってくる。


イズミマチが上場した時からの担当者だった。


「本当にお久しぶりです」


「上場してから、ずっとだな」


「そうですね」


「実はな。クラウザーからTOBを仕掛けられている」


「承知しております」


「防衛策は取れないか」


担当者は慎重に答えた。


「新株発行をお考えですか?」


「第三者割当も含めて考えてくれ」


「引受先は?」


「そこを君たちに頼みたい」


電話の向こうが少し黙った。


「……正直に申し上げますと、この状況でクラウザーに対抗する目的だけで大量の新株を引き受ける先を見つけるのは、簡単ではありません」


「なぜだ」


「投資として説明できなければならないからです。現在の業績を考えると、引受先にも相当な説明が必要になります」


「それでも探してくれ」


「もちろん、検討します」


数日後。


村野證券から報告が入った。


新株の引受先は見つからなかった。


信成は電話口で黙っていた。


「……他に手はないのか?」


担当者が答える。


「一つ、あります」


「何だ」


「転換社債型新株予約権付社債。いわゆるCBです」


信成の目が鋭くなった。


「CBか」


「はい。新株発行とは違い、まずは社債として資金を調達できます。条件次第では引受先を見つけられる可能性があります」


「イズミマチの防衛になるのか?」


「資金を確保することで、クラウザーへの対抗策を取る余地はできます」


信成はしばらく考えた。


「案を作ってくれ」


「承知しました」


電話を切る。


信成は椅子から立ち上がった。


まだ終わっていない。


数日後。


イズミマチ取締役会。


村野證券から提出されたCB発行案が、机の上に並べられていた。


福井が説明する。


「CBによって資金を調達し、成長投資にも振り向ける。表向きの目的は、そういう形になっています」


北沢が資料に目を落とす。


「だが、実際にはクラウザーへの対抗策だ」


「はい」


「発行額は?」


「かなり大きいです」


北沢はしばらく資料を見つめた。


やがて、静かに閉じる。


「私は反対だ」


福井も続いた。


「自分もです」


習志野が腕を組む。


「今のイズミマチに、この負担を背負わせるのは危険です」


「クラウザーを退けたとして、その後どうしますか?」


北沢が言った。


「借金を抱え、将来の株式価値まで希薄化させる。今の我々に、そこまでして戦う余裕はない」


誰も反論しなかった。


採決。


否決。


信成が最後に頼った防衛策は、取締役会で退けられた。


その報告を受けた窪幸一郎は、福井と康則を前にしていた。


ダブルタワービル。


クラウザーホールディングス、会長室。


「CBか」


福井が頷く。


「信成さんが、村野證券との昔からのパイプを使ったようです」


窪は静かに笑った。


「そこまでやったか」


康則が言う。


「会長、そこまで想定していたのか?」


「CB発行まで、一応想定していた」


窪は資料を閉じた。


「だが、北沢たち経営陣の判断は正しい」


「やっぱり?」


「ああ」


窪は椅子に深く腰を掛けた。


「CBで資金を調達したところで、未来の自分たちの首を絞めにいくようなものだ」


福井が頷く。


「取締役陣も、そこを重く見ました」


「当然だ」


窪は窓の外を見た。


那古野の街に、夜の明かりが広がっている。


「クラウザーを追い払ったところで、その後に残るのは負担だ」


一拍。


「今のイズミマチに、それを背負わせる理由はない」


窪はそう言って、ふっと口元を緩めた。


「しかし……信成さんも、見事だな」


康則が窪を見る。


「見事?」


「ああ」


窪は振り返った。


「タキヤを嗾ける。それが駄目なら新株発行を考える。それも難しいとなれば、村野證券との古いパイプを辿ってCBまで持ち出す」


一拍。


「相談役になっても、筆頭株主として最後までイズミマチを守ろうとしている」


福井は黙って聞いていた。


窪の目が鋭くなる。


「この執念には、最大限の敬意を表したい」


「……」


「見事だ」


窪はもう一度、静かに言った。


「世が世なら……」


康則を見る。


「場所が場所なら、俺でさえやられていたかもしれない」


康則が苦笑する。


「そこまでか」


「ああ」


窪は即答した。


「だから、面白い」


窪は机の上のイズミマチの資料に手を置いた。


「信成さんは最後まで戦った」


静かな声だった。


「なら、こっちも最後まで勝ち切る」


そして、短く付け加えた。


「次は、仕上げだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。