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敵対的TOB

平成二十三年。


那古野駅前。


ダブルタワービル。


クラウザーホールディングスの会長室。


福井は、窪幸一郎と向き合っていた。


その隣には康則が座っている。


窪が口を開いた。


「福井さん、話は聞きました」


「……はい」


「イズミマチを助けたい」


福井は頷いた。


「私が望んでいるのは、それだけです」


窪はしばらく福井を見た。


「分かりました」


そして康則を見る。


「伊東」


「はい」


「どうする?」


康則は一瞬考えた。


「……もう一度、話し合う余地はないと思います」


「そうか」


窪は短く答えた。


「なら、仕掛けるしかないな」


康則が窪を見る。


「どうやってですか?」


「TOBだ」


福井が静かにつぶやく。


「株式公開買付け……」


「そうだ」


窪は淡々と続けた。


「イズミマチが望んでいない以上、敵対的TOBになる」


康則が尋ねる。


「何パーセントを?」


「四十一」


「四十一……」


「クラウザーが五。伊東が五。そこに四十一を加える」


窪は机の上に数字を書いた。


「五十一だ」


康則は頷いた。


「過半数ですね」


「そうだ」


福井が口を挟む。


「信成さんは十八パーセントです」


「分かっている」


「タキヤが五。FUJ銀行が五」


「二十八」


窪は即答した。


「だから四十一を取りに行く」


康則が資料を見る。


「かなりの株を集める必要がありますね」


「当然だ」


窪は椅子に背を預けた。


「中途半端にやっても意味がない」


福井は黙っていた。


窪は続ける。


「買付価格は市場価格に二十パーセント程度のプレミアムを乗せる」


康則が顔を上げる。


「二十パーセントですか」


「低すぎれば売らない。高すぎれば資金が膨らむ」


窪は数字を追った。


「市場価格が百なら百二十」


「はい」


「だが、TOBの発表で市場価格そのものが上がる可能性がある」


窪は淡々と言った。


「百二十まで上がれば、買付価格は百四十四程度になる」


康則は黙った。


福井も口を閉ざしている。


必要になる資金の大きさは、二人とも分かっていた。


窪が言った。


「資金は用意する」


「はい」


「証券会社、金融機関、法律関係。全部詰めろ」


「分かりました」


「伊東、お前が中心になって進めろ」


「はい」


「まだ外には漏らすな」


「分かりました」


窪は福井を見る。


「福井さん」


「はい」


「イズミマチの中は?」


福井は少し考えた。


「……動いていると思います」


「社員株主か」


「それもあります」


窪は頷いた。


「分かった」


それ以上は聞かなかった。


     *


TOB発表から二週間。


康則は毎日、証券会社からの報告を受けていた。


最初の数日は、予想以上に株が集まった。


「今日も三パーセント近くです」


「了解した」


だが、十日を過ぎた頃から、動きが鈍くなる。


「売りが止まり始めています」


「理由は?」


「社員持株会が、売却を見送り始めているようです」


康則は受話器を強く握った。


「……分かった。引き続き報告を」


電話を切ったあと、康則は窓の外を見た。


「このままでは、四十一に届かない」


焦りが、静かに胸を締めつける。


     


同じ頃。


丈山市。


イズミマチ本社。


信成は、机の上に置かれた株主名簿を見ていた。


秘書が報告する。


「社員持株会の株ですが、売却を見送る社員が増えています」


「そうか」


「それと……」


信成が顔を上げる。


「福井常務の様子が、少しおかしいという話もあります」


「福井が?」


「はい。最近、社員との接触が増えているようです」


信成は黙った。


株主総会での康則の言葉。


その時の福井の表情。


そして最近の動き。


「……福井の様子がおかしい」


信成は呟いた。


クラウザーが動く。


そう感じていた。


信成は株主名簿に目を落とす。


十八パーセント。


タキヤ五パーセント。


FUJ銀行五パーセント。


二十八パーセント。


ここを崩されるわけにはいかない。


「社員持株会を固めろ」


「はい」


「タキヤにも連絡を入れる。FUJ銀行にもな」


「承知しました」


信成は立ち上がった。


「こっちも動くぞ」


     


TOB発表から一ヶ月。


クラウザーが目標に掲げた四十一パーセントは、思うように集まらなかった。


売る株主。


売らない株主。


判断を決めかねる株主。


時間だけが過ぎていく。


康則は毎日、数字を確認していた。


「三十四パーセント……」


「三十五……」


「三十六……」


そこで、頭打ちになった。


四十一には、届かない。


一方、イズミマチ側も過半数を固めきれない。


クラウザー側は四十四パーセント。


イズミマチ側は二十八パーセント。


残る株主も、それぞれに判断を決めかねていた。


経営権を巡る争いは、膠着した。


誰も、決定打を持っていなかった。


     


ある夜。


康則はクラウザーホールディングス会長室に残っていた。


窪が、静かに言った。


「膠着だな」


「はい」


「このままでは、時間だけが過ぎる」


康則は資料を見つめた。


「何か、動かす手が必要です」


窪は窓の外を見ていた。


「ある」


康則が顔を上げる。


「……何ですか」


窪は振り返らなかった。


「まだ一つだけ、鍵が残っている」


「鍵……?」


「それを動かせば、流れは変わる」


康則は息を呑んだ。


「何を、動かすんですか」


窪は初めて、康則を見た。


目が、静かに光っている。


「教えよう」


そして、短く言った。


「明日、話そう」


康則は何も言えなかった。


ただ、その言葉の重さを、胸の奥で受け止めていた。


膠着した株式争奪戦。


その均衡を崩す鍵が、ひとつだけ残されていた。

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