罠
タキヤ本社。
応接室。
信成の向かいに座っている男は、竹内昌昭。
かつて、信成が泉町精工の製造部長だった頃、タキヤの購買を担当していた。
今では本社工場長である。
「そんな大きな金額。私の一存では決済できませんよ」
竹内は資料を見ながら言った。
「それに、うちもリードマンショックから減少傾向で、ようやく下げ止まったばかりなんですから」
「分かっている」
信成は動じない。
「こういう状態だからこそ、竹内君……いや、竹内さん。なんとか専務や社長に取り行ってくれないか?」
竹内は黙った。
「……話しはしてみます」
「頼むよ」
「イズミマチさんとは付き合い長いですし。大切なパートナーだと心得てますから」
「よろしく頼むよ」
信成は立ち上がった。
「タキヤなら、分かってくれる」
そう言って、応接室を出ていった。
扉が閉まる。
竹内は、しばらく動かなかった。
頭に浮かんだのは、昔のことだった。
まだ若かった頃。
泉町精工から納入された部品に、不良か良品か判断の難しいものがあった。
竹内は信成に確認した。
すると信成は図面を指差した。
「図面の表記が悪い」
そして、強引に良品へと押し切った。
竹内には納得できなかった。
だが、信成は一歩も引かなかった。
あの時からだった。
竹内が伊東信成を嫌うようになったのは。
――自分の理屈を通すためなら、相手を押し切る。
竹内にとって、信成とはそういう男だった。
竹内は資料を持って立ち上がった。
専務室へ向かった。
そして社長室へ。
二人に、イズミマチからの申し出を説明した。
必要な金額。
設備投資。
価格の引き下げ。
信成の再建案。
すべて話した。
最後に竹内は言った。
「私は、やめておいた方がいいと思います」
専務が資料を閉じた。
「そうか」
「はい」
竹内は頷いた。
「金額が大きすぎます。それに……伊東さんのやり方は、私は昔から信用していません」
専務は少し考えた。
「しかし、イズミマチとの関係性からして、全く話を聞かないわけにはいきません」
「……」
「長い付き合いだからな」
社長も頷いた。
「そうだな。竹内だけであしらって済む問題じゃないな」
そして、静かに言った。
「話は聞くだけ聞こう」
「はい」
「その上で、丁重にお断りしよう」
竹内は頭を下げた。
数日後。
タキヤ本社。
社長室。
信成は、社長と専務の前に座っていた。
竹内も同席している。
社長が口を開いた。
「伊東さん。率直に申し上げます」
「はい」
「今回のお話ですが、金額があまりにも大きい」
「承知しています」
「現在のタキヤの状況を考えても、簡単にお引き受けできる話ではありません」
信成は黙って聞いていた。
そして、静かに言った。
「分かりました」
あまりにもあっさりした返事だった。
社長が少し眉を動かす。
信成は続けた。
「では、一つだけ条件を出しましょう」
「条件?」
「私の持ち株です」
信成は二人を見た。
「私が持っているイズミマチの株、十八パーセント」
竹内の表情が変わった。
「それを……全部、タキヤさんに預けます」
沈黙。
専務が顔を上げる。
「十八パーセント……」
「はい」
信成は淡々としている。
「私の持ち株は、全てです」
社長は椅子に深く座り直した。
タキヤはすでにイズミマチの株を五パーセント保有している。
そこに信成の十八パーセント。
合わせれば――
二十三パーセント。
イズミマチの四分の一に迫る。
「……伊東さん」
社長の声が変わった。
「現在の株価では、その十八パーセントを合わせても、ご希望の金額には届かないでしょう」
「そうでしょうな」
信成は即答した。
「だが、リードマンショック前なら話は違う」
専務が黙って計算する。
現在の株価。
十八パーセント。
そして、ショック前の株価。
「……」
専務の表情が変わった。
現在価値では不足する。
だが、ショック前の水準なら――三倍近い。
社長も、その意味を理解した。
さっきまでの空気が変わった。
竹内だけが、信成をじっと見ている。
「私が欲しいのは、イズミマチを立て直すための時間だ」
信成が言った。
「タキヤさんに損をさせるつもりはない」
社長は黙ったまま、十八パーセントという数字を見つめていた。
そして初めて思った。
これは単なる融資の申し出ではない。
イズミマチの経営そのものに関わる話だ。
「……伊東さん」
社長が顔を上げた。
「もう少し、詳しく聞かせてください」
竹内は息を呑んだ。
ついさっきまで、
「丁重にお断りしよう」
と言っていた。
その話が――
変わった。




