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引退試合

六月の陽射しは、



もう夏だった。


豊臣自動車のグラウンドには、


独特の緊張感があった。


企業野球。


応援団も無い。


吹奏楽も無い。


だが。


プレーの一つ一つだけが異様に鋭い。


バックネット裏で、


小橋伸夫は煙草を咥えていた。


隣には、


三愛商業時代の後輩がいる。


「あいつも終わりですわ」


「腰、完全にやっとります」


グラウンドでは、


豊臣自動車の選手たちが守備についていた。


四番。


捕手。


石川満。


三愛商業を、


小橋たち以来となる甲子園へ連れて行った男だった。


小橋の同期には、


後に大学からプロ入りする滝野もいた。


その頃以来、


三愛商は長く甲子園から遠ざかっていた。


だから石川たちの代は、


地元では有名だった。


特に石川は、


甲子園のスタンド上段へ


本塁打を叩き込んでいる。


「あれは飛びましたわ」


隣の男が懐かしそうに笑う。


「怪物でした」


だが今。


その石川は、


腰へ手を当てながらゆっくりしゃがみ込んでいた。


もう満足に走れない。


それでも最後まで、


捕手をやるという。


小橋は黙ったまま、


グラウンドを見ていた。


試合が始まる。


豊臣の投手が荒れていた。


先頭打者へ四球。


送りバント。


一死二塁。


だが。


石川がゆっくりマウンドへ歩いていく。


投手へ何か短く言う。


背中を軽く叩く。


戻る。


次の打者は、


内野ゴロ。


その次は、


見逃し三振だった。


小橋が低く呟く。


「……捕手だな」


隣の男が笑う。


「石川がおると、


投手が崩れんのです」


二回裏。


石川の第一打席。


外角低め。


空振り三振。


スタンドから、


小さなどよめきが漏れる。


全盛期なら、


持っていっていた球だった。


石川は苦笑いしながら、


ゆっくりベンチへ戻る。


だが誰も責めない。


むしろ自然に、


選手たちが石川の周りへ集まっていく。


五回。


石川の第二打席。


鋭い打球だった。


三遊間。


だが。


足が動かない。


一塁アウト。


小橋は煙草を灰皿へ押し潰した。


「腰、ひでぇな」


「はい」


「今年でもう限界です」


それでも。


石川は最後まで、


捕手として座り続けた。


八回。


二死満塁。


豊臣の投手は、


完全に浮ついていた。


だが石川は慌てない。


ゆっくりマウンドへ行く。


短く何かを言う。


戻る。


次の球。


低めいっぱい。


見逃し三振。


球場が沸いた。


小橋は少し笑った。


「……まだ死んどらんな」


試合終了。


豊臣自動車の負けだった。


だが。


拍手は、


全部石川へ向いていた。


石川は帽子を取り、


グラウンドへ深く一礼する。


腰へ手を当てながら。


小橋は立ち上がった。


「行くぞ」


試合後。


グラウンド脇。


石川は汗を拭きながら、


道具を片付けていた。


そこへ小橋が近づく。


「石川君だな」


石川が顔を上げる。


そして驚いた。


「あっ……小橋さん」


「三愛商の」


小橋が頷く。


「おう」


「最後って聞いてな」


石川は照れ臭そうに笑った。


「腰やっちゃいまして」


「見りゃ分かる」


小橋は煙草へ火をつけた。


「今、現場では何やっとる」


石川は少し考えてから答えた。


「自動車の歯車作り……って言うんですかね」


「ボブ盤か?」


「ボブ盤?」


石川が首を傾げる。


「いや、ベベルギアです」


小橋の目が止まった。


「……何、ベベルギア?」


「スパイラルか?」


石川が少し驚く。


「よくご存知で」


小橋は、


ゆっくり微笑んだ。


これは、


なんて巡り合わせなんだ。


そう思った。



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