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試作品

事務所の机いっぱいに、

信成が持ち帰った図面が広がっていた。


スパイラルベベルギア。


見慣れた平歯車とも、

スクバベベルとも違う。


歯が捻れている。


流れている。


立河は腕を組んだまま、

図面を睨み続けていた。


「……気持ち悪ぃ歯車だな」


小橋が煙草を咥えたまま笑う。


「わしも最初そう思った」


信成は真顔だった。


「でも静かです」


「トルクも逃げん」


「ディスクグラインダーには絶対これです」


隆則が机を指で叩く。


「その前にだ」


「本当に削れるのか、こんなもん」


「削れます」


信成は即答した。


「グリムゾンなら」


その名前が出るたび、

事務所の空気が少し重くなる。


アメリカ製。


一台八百万。


四台必要。


合計三千二百万。


百人を超えたとはいえ、

泉町精工にとってはまだ巨大すぎる金額だった。


多々良正が帳簿を閉じる。


「信ちゃん」


静かな声だった。


「数が増えれば、必ず儲かるとは限らんよ」


信成は黙る。


「タキヤさんは大会社だ」


「当然、値段は叩いてくる」


「三千二百万というのはな」


「町工場が軽々しく背負う金じゃない」


隆則がすぐ続けた。


「親父」


「今でも十分食えてるんだ」


「百人超えたんだぞ」


「ここで転けたら終わりだ」


信成が兄を見る。


「だから今なんだわ」


「今やらな、一生平歯車屋で終わる」


「平歯車で何が悪い!」


隆則の声が響く。


「台風からやっと立て直したんだぞ!」


事務所が静まり返る。


伊勢湾台風。


あの泥水の匂いは、

まだ工場の誰も忘れていなかった。


立河が低く言った。


「……俺はまだ、削れる気がせん」


「見たことねぇ」


小橋も黙っていた。


現場の人間ほど、

未知の怖さが分かる。


その時だった。


工場の外で、

トラックのエンジン音が止まった。


事務員が顔を出す。


「社長」


「大村商会さん、みえました」


全員が振り向く。


現れたのは、

細身の背広姿の男だった。


「大村商会の関です」


その後ろには、

大きな木箱が積まれていた。


立河が眉をひそめる。


「なんだ、それ」


関は軽く頭を下げた。


「実際に見てもらった方が早いと思いまして」


若い工員たちが、

木箱を事務所へ運び込む。


開けられた箱の中から現れたのは、

歯当たり試験機だった。


「グリムゾン本国から、

営業用に譲ってもらったものです」


関が言う。


「日本ではまだほとんど見せとりません」


そして、

布に包まれた歯車を取り出した。


誠二が思わず顔を近づける。


「なんだこれ……」


土筆のようだった。


いや、

キノコの裏側のようにも見える。


歯が流れ、

ねじれ、

左右で形も違う。


とても歯車には見えなかった。


関が静かに言う。


「タキヤさんの依頼で、

本国が試作したスパイラルベベルです」


事務所の空気が変わる。


関は歯当たり試験機へ、

ギヤとピニオンを組み込んだ。


ゆっくり位置を合わせる。


そして、

ハンドルを回した。


その瞬間だった。


全員の顔色が変わる。


静かだった。


平歯車のような、

ガリガリした噛み合い音がない。


しかも。


横回転だった動力が、

滑らかに九十度曲がっている。


誠二が思わず声を漏らした。


「なんでだ……」


「なんでこんな形で、

こんな綺麗に回るんだ……」


誰も答えない。


立河が無言で試験機を覗き込む。


何度も。


何度も。


ゆっくり回す。


やがて低く言った。


「……スクバと全然違うな」


ストレートベベル特有の、

ゴリゴリした引っ掛かりが無い。


まるで鉄同士が、

吸い付いているようだった。


立河の目の色が変わり始めていた。


「……どうやって削るんだ、これ」


関が答える。


「グリムゾンです」


沈黙。


小橋が試験機を覗き込んだまま呟く。


「……怖ぇな」


歯面を指でなぞる。


「歯当たりのズレとか、どうやって直すんだろうな」


誰も答えない。


小橋は小さく笑った。


「……でも面白ぇ」


長い沈黙だった。


試験機だけが、

静かに回り続けている。


隆は黙ったまま、

その噛み合いを見つめていた。


やがて、

ゆっくり煙草を灰皿へ押し潰した。


「……買うぞ」


誰も動かない。


隆は続けた。


「町工場のまま終わる気はない」


そして信成を見る。


「信成」


「お前が見とる未来なのか夢なのかわからんがそいつに賭ける」


信成が小さく頷く。


隆則は言葉を失っていた。


多々良正が、

静かに帳簿を閉じて天井を仰ぎ

深呼吸した。


「……分かりました」


低い声だった。


「中日銀行」


「瀬戸田信金」


「他の融資の方も、

私が必ずなんとかします」


そして信成と小橋を見る。


「高い投資だ」


「信ちゃん」


「小橋くん」


「頼んだよ」


事務所は静まり返っていた。


もう、

後戻りはできなかった。


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