15:00 第三章 【信人】前編
14:03
二人は公園にいた。
母を置いてきた。
いや。
見捨ててきた。
勇気はそう思っていた。
ベンチに腰掛けたまま動かない。
何も考えたくなかった。
何も見たくなかった。
何も聞きたくなかった。
それなのに。
頭の中では母の顔だけが何度も浮かぶ。
病室で笑っていた顔。
朝、送り出してくれた背中。
最後に見た血まみれの姿。
認めたくなかった。
受け入れたくなかった。
母が死んだなんて。
そんなはずがない。
きっと今も家にいる。
帰れば「おかえり」と言う。
そう思わなければ壊れそうだった。
胸の奥がぐちゃぐちゃに荒れていた。
悲しのか。
苦しいのか。
怒っているのか。
自分でも分からない。
ただ。
世界の全部を壊してしまいたいほど。
どうしようもなく狂いそうだった。
美咲も隣に座っている。
言葉はない。
もう慰める言葉も尽きていた。
その時だった。
スマートフォンが震える。
画面を見る。
信人
その名前を見た瞬間。
勇気の心臓が嫌な音を立てた。
「もしもし」
電話に出る。
すぐに聞き慣れた声が飛んできた。
「おい!!」
信人だった。
「何してんだよお前!」
いつもの調子。
いつもの声。
それだけで涙が出そうになる。
「講義始まってんぞ!?」
「もう単位やばいんだろ!?」
「何寝ぼけてんだよ!」
勇気は空を見上げた。
青空だった。
こんな日に。
母は死んだ。
「勇気?」
信人の声が聞こえる。
「聞いてる?」
勇気は小さく言った。
「悪い」
「ん?」
「俺もう大学辞める」
電話の向こうが静かになる。
「は?」
信人の声色が変わる。
冗談じゃない。
そう理解したのだろう。
「何言ってんだよ」
「本気だ」
「理由は?」
「言えない」
「言えないじゃ分かんねぇだろ」
勇気は目を閉じる。
言えるわけがない。
何十人も殺したなんて。
母を見捨てたなんて。
自分でも理解できてないことを。
「公園にいる」
勇気は言った。
「近所の公園」
そして。
電話を切った。
「来るね」
美咲が言う。
勇気は頷いた。
来る。
あいつは絶対に来る。
昔からそうだ。
困っている友達を放っておけない。
それが信人という人間だった。
⸻
14:45
ベンチで目を閉じていた勇気は。
大声で起こされた。
「おい!!」
目を開く。
信人が立っていた。
息を切らしている。
汗だくだ。
大学から走ってきたのだろう。
元々体が弱く、心臓に持病があるのにもかかわらず
この男は友達のために必死に走ってきたのだ。
「何やってんだよ」
信人は怒っていた。
「大学辞めるってなんだよ」
「何があった」
「言えよ」
勇気は何も言えない。
信人は幼稚園からの親友だった。
小学校も。
中学校も。
高校も。
大学も。
ずっと一緒だった。
母親より長くいた時間もある。
だから。
勇気は分かってしまった。
時計を見る。
14:58
来る。
次の死が。
信人だ。
勇気の呼吸が乱れる。
美咲がそれに気づく。
「勇気」
勇気は立ち上がる。
カバンを開く。
包丁を取り出す。
信人が固まる。
「おい」
勇気は震えていた。
涙も流れていた。
「信人」
信人は笑おうとする。
冗談だと思っている。
「お前何やって」
「死んでくれ」
空気が止まる。
「・・・は?」
「俺たちのために」
信人の顔から血の気が引く。
勇気は一歩前へ出る。
「死んでくれ」
信人は後退る。
「お前」
「何言ってんだよ」
その瞬間。
美咲が勇気を後ろから抱き締めた。
「やめて!!」
勇気の腕を掴む。
包丁を押さえる。
「勇気!!」
「離せ!!」
「ダメ!!」
「離せって言ってんだろ!!」
公園に叫び声が響く。
信人は何が起きているのか理解できない。
ただ。
親友が自分を殺そうとしている。
それだけは分かった。
「勇気・・・」
信人の声が震える。
「なんでだよ、俺ら親友だろ?」
「そんな嫌なこと、言ったか?謝るよ」
勇気の身体が止まる。
なんでだろう。
俺も分からない。
でもお前を殺さなきゃ。
また母が死ぬ。
また最初からだ。
頭がおかしくなりそうだった。
「なんでなんだよ・・・」
信人が泣いていた。
その姿を見た瞬間。
勇気の中で何かが切れた。
包丁を自分へ向ける。
美咲が叫ぶ。
「勇気!!!」
「こんなの」
勇気は笑った。
「無理だろ」
そして。
自分の腹へ包丁を突き立てた。
血が噴き出す。
美咲の悲鳴。
信人の叫び。
空が見える。
綺麗な青空だった。
そして。
世界は暗くなった。
⸻
8:00
また朝だった。
勇気は声も出なかった。
また通り魔が来る。
また母が死ぬ。
そして。
また信人を殺さなければならない。
「もう嫌だ」
勇気は呟く。
「こんなに辛いなら」
「俺が死んだ方がマシだ」
「なんで死ねねぇんだよ」
その声を聞きながら。
美咲は静かに涙を流していた。
そして。
決意する。
次は。
自分が手を汚そうと。




