12:00 第二章 【母】後編
8:00
また朝が来た。
勇気は眠っていない。
いや。
眠れなかった。
母の叫び声が耳から離れない。
爆発の光景も。
焦げた臭いも。
全部残っている。
夢じゃない。
何度も死んでいるからこそ分かる。
あれは現実だった。
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9:00
通り魔が来る。
勇気は無言で包丁を握る。
男が玄関を開ける。
躊躇はない。
一突き。
男は倒れる。
勇気の顔には何も浮かんでいなかった。
怒りも。
恐怖も。
悲しみも。
全部使い果たしていた。
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11:40
二人はマンションの廊下にいた。
今度は部屋に入れない。
母が来る前に待つ。
それが作戦だった。
「これなら」
美咲が言う。
「お母さんも部屋に入らない」
勇気は頷く。
言葉が少ない。
ずっと母のことを考えていた。
幼い頃。
運動会。
熱を出した夜。
弁当。
反抗期。
大学進学。
全部。
今さら思い出している。
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11:58
エレベーターが開く。
母が出てくる。
スーパーの袋を持っている。
「勇気!」
母は笑った。
「何してんの?」
その笑顔に勇気は胸が痛くなる。
何も知らない。
これから自分が死ぬことも。
息子が何度も自分を殺そうとしていることも。
何も知らない。
「学校は?」
母が聞く。
「サボった」
勇気は答える。
「また?」
母は呆れたように笑う。
美咲が慌てて言う。
「風邪気味で!」
「あらそうなの?」
母は心配そうな顔になる。
それだけで勇気は泣きそうになった。
「じゃあお粥でも作るわ」
母が言う。
勇気は固まる。
ダメだ。
部屋に近づくな。
そう言いたい。
でも言えない。
理由がない。
言えるわけがない。
母はふと笑った。
「勇気は昔から責任感が強いからねぇ」
「え?」
「小さい頃からそうだったじゃない」
母は懐かしそうに言う。
「自分が我慢してでも誰かを守ろうとするの」
勇気の喉が詰まる。
母は何も知らないまま続けた。
「美咲ちゃんのこともちゃんと守ってあげなさいよ」
美咲が照れたように笑う。
勇気だけが笑えなかった。
「あんたらのためならね」
母はスーパー袋を持ち直しながら言った。
「お母さん、いつでも死ぬ覚悟くらいあるんだから」
冗談めかした口調だった。
「ちょっ、お母さん」
美咲が苦笑する。
「縁起でもないですよ」
「だって本当だもの」
母は笑う。
「子どものためなら命なんて惜しくないわよ」
勇気は俯いた。
胸が締め付けられる。
やめてくれ。
そんなこと言わないでくれ。
これ以上。
俺を苦しめないでくれ。
母はドアノブに手をかけた。
その瞬間。
部屋の奥で。
パチッ
小さな音がした。
コンセント。
火花。
次の瞬間。
轟音。
世界が吹き飛ぶ。
廊下が揺れる。
炎。
爆風。
ガラス。
悲鳴。
勇気は母の身体が吹き飛ぶのを見た。
今度は。
目の前で。
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8:00
勇気は起き上がらなかった。
天井を見つめている。
目が死んでいた。
「勇気」
美咲が呼ぶ。
返事がない。
「勇気」
もう一度呼ぶ。
すると。
勇気は笑った。
乾いた笑い。
「無理だろ」
美咲は嫌な予感がした。
「何が?」
「助けるの」
勇気は笑う。
「助からねぇよ」
そして続ける。
「俺らは母親を殺すしかないんだ」
その言葉を口にした瞬間。
勇気自身が一番傷ついた。
息子が。
母親を殺す。
それを選択肢として受け入れてしまった。
それがどれだけ恐ろしいことか。
勇気自身が分かっていた。
美咲は首を振る。
「違う」
「違わねぇよ」
「まだ考えよう」
「何回だ?」
勇気は言う。
「何回死んだ?」
「何回母親死んだ?」
「もう見たくねぇんだよ」
沈黙。
時計の音だけが響く。
しばらくして。
美咲が小さく言う。
「だったら」
勇気が顔を上げる。
「お母さんを部屋に置いて」
「私たちは買い物に行こう」
勇気の顔が歪む。
「それは」
「事故になる」
「・・・」
「私たちが直接殺すんじゃない」
勇気は立ち上がる。
そして怒鳴る。
「それは同じだろ!!」
部屋が震えるほどの声だった。
「死ぬって分かってんだぞ!?」
「それを置いていくんだぞ!?」
「殺すのと何が違うんだよ!!」
美咲も泣いていた。
分かっている。
全部。
分かっている。
でも。
もう他に方法がない。
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11:58
インターホンが鳴る。
ピンポーン。
母が来た。
勇気はドアを開けた。
母はいつも通り笑っている。
「よぉ」
勇気は無理やり笑った。
「ちょっと買い物行ってくる」
「え?」
母が首を傾げる。
「すぐ帰るから」
「そう?」
「うん」
母は靴を脱ぎながら笑った。
「美咲ちゃんを一人にするんじゃないわよ?」
「・・・」
「勇気は昔から無茶するんだから」
その言葉が胸に刺さる。
昨日。
いや。
何十回もの昨日。
母が言った言葉が蘇る。
『美咲ちゃんを守ってやんなよ』
『あんたらのためなら命なんて惜しくない』
勇気は母を部屋へ招き入れた。
その時。
胸の奥で何かが壊れた。
決意だった。
そして同時に。
一生消えない罪悪感だった。
エレベーターに乗る。
美咲が隣にいる。
誰も喋らない。
一階。
マンションを出る。
十歩。
二十歩。
三十歩。
そして。
背後で爆発音が鳴った。
ドォォォォォン!!!
窓ガラスが空を舞う。
炎が吹き上がる。
人々が悲鳴を上げる。
勇気は立ち止まった。
振り返れない。
振り返ったら。
全部終わる気がした。
涙だけが流れる。
止まらない。
「ごめん」
勇気は呟く。
「ごめん」
そして。
振り返らないまま歩き出した。
15:00まで。
あと3時間。
次の死が待っている。




