18:00 第四章 【謎の男】後編
男は押し入れを開ける。
そこにはロープが入っていた。
見覚えのあるロープ。
勇気の顔色が変わる。
あの動画だ。
最初に見た。
首吊り動画。
男はロープを持ち上げる。
「俺はここで首を吊る」
「そしてお前らはそれを見る」
勇気は立ち上がる。
「待てよ」
男は続ける。
「助けられるのに助けない」
「それも殺したことになる」
「この世界ではな」
勇気は理解する。
そして同時に気づく。
最初の動画。
あれは。
未来の自分たちが見た動画ではない。
今から自分たちが撮る動画なのだ。
男はロープを肩に担ぐ。
「さて」
「時間や」
時計を見る。
17:52
夕陽が部屋を赤く染めていた。
男は振り返る。
そして初めて。
父親らしい顔で笑った。
「最後の授業や」
勇気はロープを見つめた。
あの動画だ。
最初に見た動画。
ただのおっさんが首を吊るだけの動画だと思っていた。
だが違った。
あれは。
自分たちを救うための動画だった。
勇気は父を見る。
「なんでだよ」
男はロープをほどきながら言う。
「ん?」
「なんでそこまでするんだよ」
勇気の声は震えていた。
「俺たちのために」
「何千回も」
「何千回も死ぬ必要なんかねぇだろ」
男は少しだけ笑った。
「そうかもな」
「じゃあやめればよかったんか?」
勇気は言葉に詰まる。
男は天井を見上げた。
古い木目の天井。
何千回も見た景色なのだろう。
「最初の頃はな」
「俺も解放されようと思った」
ロープを触りながら続ける。
「お前らと同じや」
「誰かを殺して」
「前に進んで」
「生き返ろうと思った」
男は苦笑する。
「でも無理やった」
「俺には無理やった」
「誰かを殺してまで生きたいとは思えんかった」
勇気が聞く。
「じゃあなんで」
男は答える。
「お前がおったからや」
沈黙。
「・・・は?」
「お前や」
男は笑った。
「最初の周でな」
「お前らと同じようにここまで来た」
「そして動画撮った」
「その時思ったんや」
「この動画見たお前らはどうなるんやろって」
男は煙草に火をつける。
「次の周で会った」
「また次の周でも会った」
「またその次も」
煙を吐く。
「泣いとった」
「怒っとった」
「諦めとった」
「笑っとった」
「色んな勇気がおった」
男の目が少し潤む。
「でもな」
「みんな生きたがっとった」
勇気は黙って聞いている。
「最初は面倒やった」
「次は助けたろ」
「その次も」
「その次も」
「気付いたら千五百回や」
男は笑った。
「アホやろ?」
勇気は何も言えなかった。
男は続ける。
「父親らしいことなんか」
「一回もしてやれへんかった」
「離婚して」
「逃げて」
「会いにも行かんかった」
「最低や」
「せやけどな」
男は勇気を見る。
真っ直ぐ。
逃げずに。
「ここだけは」
「父親でいたかった」
勇気の目が揺れる。
「お前が生きるなら」
「俺は何回死んでもええ」
「そう思った」
美咲が涙を流していた。
男は苦笑する。
「泣くなや」
「俺まだ死んでへんぞ」
美咲は涙を拭う。
男は立ち上がる。
時計を見る。
17:58
もうすぐだ。
「時間やな」
男はロープを持つ。
勇気が叫ぶ。
「待てよ!」
男は振り返る。
「俺まだ何も言ってねぇぞ!」
男は笑う。
「言ったやろ」
「生きろって」
「それ以上何がいる」
「違う!」
勇気の声が震える。
「そんなのじゃねぇ!」
男は黙る。
勇気は拳を握った。
母を失った。
信人を失った。
そして今。
初めて会った父まで失おうとしている。
「俺・・・」
声が出ない。
何を言えばいいのか分からない。
父親なんて知らない。
憎んでいた。
恨んでいた。
でも。
今だけは違った。
勇気は涙を堪えながら言う。
「ありがとう」
男の身体が止まる。
勇気は続ける。
「ありがとう」
「父さん」
男は目を閉じた。
そして小さく笑う。
涙が一筋だけ流れる。
「へっ」
「もう千五百回以上聞いとるっつーの」
それでも。
その声は少しだけ震えていた。
時計の針が。
18:00を指した。
時計の秒針が進む。
カチ。
カチ。
カチ。
18:00。
男は静かに立ち上がった。
もう迷いはなかった。
それは何百回も繰り返した動作だからではない。
何百回繰り返しても慣れないものだからだ。
それでもやる。
それが自分の役目だから。
男はパソコンの前に座った。
古いデスクトップパソコン。
配信画面を開く。
見慣れたサイト。
あの日、勇気と美咲が見ていたダークサイトだ。
男はキーボードを叩く。
タイトル。
『死からの逃れ方』
入力する手が止まることはなかった。
配信開始。
カメラの赤いランプが点灯する。
男は映りを確認する。
背後にはロープ。
天井には固定された金具。
何もかもが動画で見た通りだった。
勇気は震えていた。
「本当にやるのかよ・・・」
男は笑う。
「今さらや」
そして机の引き出しから一枚の写真を取り出した。
古びた写真。
若い頃の自分。
母。
そして小さな勇気。
男はそれを数秒見つめる。
そして机に置いた。
「これだけは毎回置いとる」
勇気は聞く。
「なんで」
男は少し考えた。
「忘れんようにな」
「何のために死ぬのか」
静寂。
美咲は涙を流していた。
男はそれに気付いて笑う。
「ほんま泣き虫やな」
「最初会った時から変わらん」
美咲は驚く。
男は続ける。
「幼稚園の運動会」
「転んで大泣きしとったやろ」
「勇気がずっと横おった」
美咲は何も言えない。
男は覚えていた。
勇気のことも。
美咲のことも。
ずっと。
ずっと見ていたのだ。
千五百回。
何千時間。
何万時間も。
男はゆっくりロープを手に取った。
そして言う。
「なぁ勇気」
勇気が顔を上げる。
「なんだ」
男は笑う。
「母ちゃん似やな」
勇気は少しだけ笑った。
「よく言われる」
「そっか」
男は嬉しそうだった。
まるで。
その一言を聞きたかったみたいに。
男は首にロープをかける。
ギシッ。
古い椅子が音を立てる。
部屋の空気が変わる。
美咲は思わず一歩前に出る。
止めたい。
でも止められない。
これが試練だから。
男は二人を見る。
今までで一番優しい顔だった。
「重荷に感じるなよ」
勇気は唇を噛む。
男は続ける。
「俺がこうするんは運命や」
「お前らが生きるんも運命や」
「だから」
少しだけ声が震える。
「元気に生きろ」
勇気の目から涙が零れた。
男は見ていないふりをした。
勇気は言う。
「父さん」
男が顔を上げる。
「なんや」
勇気は涙を拭かない。
もう隠さない。
「俺」
「絶対生きる」
男は笑った。
「知っとる」
「お前はそういう奴や」
そして。
最後に。
本当に最後に。
父親として言った。
「生まれてきてくれてありがとう」
勇気の呼吸が止まる。
男はもう何も言わない。
静かに椅子を蹴った。
ガタンッ。
身体が落ちる。
ロープが張る。
ギシッ。
部屋に嫌な音が響く。
美咲は目を逸らさなかった。
勇気も。
逸らさなかった。
男は苦しそうに呼吸を求める。
身体が痙攣する。
足が震える。
生きようとしている。
本能が。
必死に。
それでも。
男は最後まで二人を見ていた。
強い目だった。
生きろ。
そう言っているようだった。
やがて。
動きが止まる。
静寂。
部屋には時計の音だけが響く。
カチ。
カチ。
カチ。
勇気は動けなかった。
涙だけが流れている。
美咲も泣いていた。
それでも。
時間は進む。
数分後。
パソコンの配信画面がまだ動いていることに気付く。
勇気は父を見た。
そして。
震える足でカメラの前に座る。
美咲も隣に座った。
二人の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
勇気は深呼吸する。
父が繋いだ命。
今度は自分たちが繋ぐ番だ。
勇気はカメラを見た。
まるで。
過去の自分を見つめるように。
そして口を開いた。
「これ見てるでしょ?俺!」
美咲も涙を拭きながら前を見る。
「私!」
「今ビビってんだろ!?」
勇気は叫ぶ。
「死に続けて!!」
その言葉は。
過去の自分へ向けた言葉であり。
未来を生きるための言葉でもあった。
勇気はカメラを見つめた。
レンズの向こうには。
過去の自分たちがいる。
まだ何も知らない自分たちが。
死を軽く見ていた自分たちが。
美咲が涙を拭く。
何度拭いても止まらない。
それでも前を向いた。
勇気が口を開く。
「まず今のお前らは」
「何が起きてるか分かってねぇと思う」
「俺たちもそうだった」
「なんで死んで」
「なんで戻って」
「なんでまた死ぬのか」
「何も分からなかった」
勇気は父の亡骸を見る。
まだ天井から吊られたままだ。
「でもな」
「諦めるな」
声が震える。
「絶対に諦めるな」
美咲が続ける。
「痛いし」
「苦しいし」
「怖いと思う」
「私も怖かった」
「何回も泣いた」
「何回も逃げたかった」
「でも」
美咲は笑った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
「生きたいって思える日が来るから」
勇気は頷く。
「死ぬな」
「絶対に」
「誰かのために生きろ」
「自分のために生きろ」
「それだけは忘れるな」
二人はしばらく沈黙した。
もう伝えることは伝えた。
父から受け取った言葉も。
自分たちが学んだことも。
全部。
勇気は手を伸ばす。
そして配信終了ボタンを押した。
画面が暗くなる。
部屋が静かになる。
父の亡骸だけが残る。
美咲は父を見つめる。
「行こうか」
勇気は頷く。
父の前に立つ。
そして深く頭を下げた。
言葉はなかった。
もう十分伝えたと思った。
ありがとうも。
ごめんも。
全部。
二人は部屋を出た。
ドアが閉まる。
ガチャリ。
その音が。
まるで一つの人生の終わりみたいに聞こえた。
外は夕暮れだった。
空は赤く染まっている。
アパートの階段を下りる。
誰もいない。
車の音も。
人の声も。
何も聞こえない。
世界が妙に静かだった。
勇気は空を見上げる。
「終わるかな」
美咲が隣を歩く。
「終わるよ」
勇気は笑う。
「根拠は?」
美咲も笑った。
「女の勘」
二人は並んで歩く。
目的地はない。
帰る家もない。
スマホの充電も切れている。
ニュースではきっと。
自分たちは指名手配犯かもしれない。
でもそんなことはどうでもよかった。
生きている。
ただそれだけで十分だった。
その時だった。
一台の黒い車が静かに停まる。
二人の前で。
後部座席の窓がゆっくり下がる。
スーツ姿の男が座っていた。
無表情。
年齢も分からない。
男は言う。
「勇気様」
「美咲様」
二人は立ち止まる。
男は続けた。
「最終試練会場へご案内いたします」
勇気は眉をひそめる。
「最終試練・・・?」
男は頷く。
「はい」
「最後の試練です」
美咲と勇気は顔を見合わせる。
終わっていなかった。
まだ。
最後が残っている。
男は車のドアを開ける。
「お乗りください」
夕陽が車体を赤く染めている。
勇気は深く息を吸った。
そして美咲を見る。
美咲は小さく頷く。
二人は車へ乗り込んだ。
知らない場所へ向かうために。
自分自身と向き合うために。
最後の試練へ向かうために。




