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85 渓谷の精霊

私たちはこの場所を『魔の渓谷』と呼ぶことにした。

誰にも知られていなかった場所。岩山は『デザード連山』と名をつけた。

クラウゼルト領砂漠西端、デザード連山一帯にて、魔の渓谷が発見されたとプロイスタン王に報告をあげる。

王は、発見者の名前をつけなかったのかと驚かれたが、皆が分かりやすい方がいいだろうという結論に至ったのだ。


これから聖獣との交渉に入る。もし上手くいかなければ、ここには入れないだろうし。

複数の聖獣相手に戦うのは難しそうだ。

なるべくなら穏やかな関係を保っていきたいと、エイリックは言う。


いよいよ渓谷へ入る時が来た。

私とエイリックそしてオルドリックの三人と聖獣たちだ。

ウィプスに照らしてもらい、魔物がいない広い空き地を探す。大きな木の傍が良いということになり、転移でその場所に降り立った。

近くで見るとかなり太い木だった。高さはそれほどではないが、大人数人でやっと囲えるほど太い。

木は針葉樹のようだ。

ここは砂漠の中でも気温が寒く感じる。帝国よりも北に位置するためか。それともここの地特有のものかは分からない。

「ここを拠点にして、まずは東の方を探索するか」

「でも、魔が湧き出す場所は西の窪地が怪しいわ。聖獣に聞いてもいいけどまずはそこを探した方がいいかもしれないわ」

オルドリックは、二手に分かれようと言った。

私と朱雀、ウィプスが組むことになり。ポンタはエイリックとオルドリックと組んでもらう。ポンタの転移でいつでも逃げられるからだ。

私も転移が使えるし、朱雀は強いのでこの組分けになった。

西を目指し歩き出し、しばらくすると魔物が現れだした。魔物の臭い――酸っぱいようなツーンと鼻に刺さる臭いだ。

私たちを遠巻きに囲んでいるが襲っては来ない。

「もしかして、朱雀がいるから?」

《んだ、魔物は強いものに敏感だ》

「ポンタはどうかしら。魔物にとって、強いの?」

エイリック達の事が心配になってきた。

《大丈夫だ。影さ隠れていぐベ、ポンタなら》

「そうだったわ。ポンタならそうするはず」

不安は拭えないけど、今更戻る事も出来ない。

数時間歩き、時には目の前に立ち塞がる巨大なヘラジカの魔物の群れを避けて転移しながら目当ての窪地に着いた。

谷の幅いっぱいに広がる窪地には、魔があった。

百メートルほどの奥行きがある魔の溜まり池。黒い泥ではない。茶色く濁った油のような魔。ここの魔は穢れが少ないと朱雀は言う。

《やっぱり、精霊もいるが……ずんぶ古い精霊だじゃ》

ここの魔は、陸奥の魔の池や、ニクスの湖に浮かぶ魔とは違い、魔だけで出来上がった池だった。

深さは分からないが、長い年月をかけて地下から湧き出したものだった。

要するに大量の魔が、ここに眠っているのだ。

朱雀は、『魔はわざときれいにはしていないのだろう』と教えてくれる。

陸奥のミズチも、必要な分だけ精製して私に分けてくれていたのだ。

精製すれば、魔はすぐに酸化し始めて、時間が経つと効果がなくなるというのは知られている。

もしここにポンタがいてくれたら、ここの魔を持って行けただろうけど、まずは精霊との交渉が先だ。

「精霊……出てこないわね」

池の前でしばらく待ったが、何も出てこない。

《われ、魔が欲しい!》

しびれを切らしたウィプスが、池に飛び込んで魔を飲み込んだ。

すると、池の中からにょきりと太いものが伸び出してきた。ぐねぐねと動く蔦がウィプスを捕まえ、ぐるぐる巻きにして池の中に引きずり込んでしまった。

「朱雀!」

《黙って見でろ。ウィプスは死なねぇはんで――来るぞ!》

直後に池の中から巨大な花がゆらりと現れて、花の茎をかしげて私を見ている。

身体が硬直して動けない。これは私が恐怖に囚われてしまったからだろう。

黄色い花びらには、所々茶色い魔がこびりついていて、あまり綺麗だとは言えない花だ。だけど、とにかく大きい。蘭のような形の一輪だった。

私が恐怖で固まっているうちに、朱雀が花と会話し始める。

《*** *********》

《襲ってこねがったはんで、殺さねがった》

《*** *****》

《ここの魔が欲しくてきた。あんつか分げでけねが》

《***》

《へば、どうせば分けてける?》


ニクスの時もそうだった。朱雀はちょっとだけ、なまっているけど、多種族と話が出来る特技がある。

でも、なまりが強すぎるし、相手の言葉が分からないから要領が得ない。

「朱雀、なんて言っているの? このお花の精霊さん」

《なして魔物ば殺さねがったのが聞いてきた。そのあど、なしてここさ来たばって聞いてきたはんで、魔が欲しいってしゃべったんだ。したけど、けらいねど》

……朱雀……今日は一段となまっている。何となくは分かった。要するに、魔は分けてくれないってことらしい。

「朱雀、精霊さんは、私の言葉は分かるかしら」

《どんだべな……試してみろ》


「お花の精霊さん。この近くにもうすぐ街が出来ます。人間がたくさん来ることになる。渓谷の魔物たちを殺さないと約束します。でも、魔は、人間にとっても必要なものなの。少しずつで良いから、分けてくれませんか?」

《……》

お花の精霊さんはしばらく固まっていた。

だが、急に花の首をビクンともたげ池から出てきた。花の茎の下には無数の根が蠢いて、全長は十メートルはあるだろう。

蠢く根っこを器用に使い素早く移動して、東を目指して走り去ってしまった。

「どうしたのかしら……」

《エイリックたちだびょん。魔物ば殺してらんでねが》

「大変じゃないの!」

私たちは急いで転移を繰り返し、エイリックの元へ向かった。


エイリックたちの元にようやく辿り付いたときには、辺り一面に魔物が横たわっていた。

そして、ポンタはいつもの死んだふりをしていて、辺りに腐臭が漂っている。

急いでポンタに浄化を掛け、立ちすくんでいるエイリックに走り寄った。

「エイリック、何があったの?」

「白い狼に会ったんだ。聖獣だと思ったんだ。話しかけようとしたら襲いかかられて、反撃した。その後は、次々と狼の仲間の魔物が襲ってきて、この有り様だ」

オルドリックはかなり酷い怪我をしていた。急いで治癒を掛け、傍らに寝かせておく。

そうしているうちに、花の精霊がやっと辿り付いた。

転移が使えないのか、遅れて到着したようだ。


花の精霊は、エイリックに頭を下げるような格好をした。

私は慌ててエイリックを自分の後ろに庇おうとしたが、後で考えると馬鹿なことだったと思う。私がどうやって精霊と戦えるというのか。でも、その時は必死だった。

花の精霊は何かを話している。

《******* *****!》

《魔物ば、倒してけでありがとうだって、喋ってら》

「えっ!?」

「魔物を倒しても構わないというの?」

魔物は精霊にとって仲間というわけではなかった。考えて見れば、朱雀も他の聖獣たちも魔物を倒していた。


その後朱雀の通訳により、ようやく渓谷の問題が解った。

魔物が増えすぎて、このままでは精霊が対処しきれなくなってしまうと困っていたのだそうだ。

私が魔物を倒さずに来てしまったのが不満だった、というわけだ。

何とも、精霊や、聖獣の考えの基がすべて違いすぎて理解が出来なかった。

聖獣もそれぞれ自分の矜持で生きているのは知っていたが、精霊もそうだったのか。

魔は精霊にとっては大事なものだ。

その自分の宝を、魔物たちが勝手に飲んでしまうのが溜まらなくいやだという。


だけど、この花の精霊は欲張りだと、朱雀は言う。

《ミズチは見返りなど欲しがらねぇ。ちゃんと綺麗にしで、おめさけだべ》

そうだった。ミズチは自分で精製してから私に分け与えてくれた。

精霊なら浄化できるはずなのに、わざと穢れが残ったまま分け与えるのはケチだからだと、朱雀は言うのだ。

長い間魔を手元に貯め込み「これは自分のものだ」という考えに凝り固まった精霊だと、朱雀は嫌な顔をして頭の硬い老人だと貶すのだ。

『朱雀も長い間生きているのに、老人って……』

そうは思ったけど口にはしない。


では交渉は、簡単にできそうだ。魔さえ分けてくれたらそれで良いのだから。

「花の精霊さん。私たち人間は魔物の素材も欲しい。こうしましょう。魔物を倒した分だけ、魔を分けてくれる。というのはどう?」

《……*******》

「朱雀、なんて言った?」

《魔物五つで掌一杯だと。この精霊ほんとに欲張りだな……》

「掌? 花の精霊さんの掌ってことかしら?」

精霊は、茎から葉っぱを差し出した。一メートルはある大きな葉っぱだった。

十分だ。バケツ一杯はありそうな量ではないか。

「朱雀十分じゃない?」

《あそこの魔は穢れが残ってらよ。精製すれば四分の一になるべ。それでもいいのが?》

「大丈夫よ。領の運営に必要な分だけあれば」

それに魔物を倒した分だけもらえるのなら、すごいことではないだろうか。

ここには魔もたっぷりあるし、魔物もたくさんいるのだ。

定期的に魔物を狩れば、結構な量の魔になりそうだ。


私たちは、花の精霊から、今回倒した魔物の数分だけ魔を分けてもらった。

バケツ二杯分になった。ポンタの空間庫に収納してもらう。

そのまま、ポンタの転移で渓谷から出たのだった。

《あれ、ウィプスは?》

ポンタに言われて、ようやくウィプスのことを思い出した。

「大変! 魔の溜まりの中で溺れてしまったのかしら……」

慌てて精霊のところへ戻ると、ウィプスは悠然と魔の沼の中で泳いでいた。

花の精霊は嫌そうな顔でウィプスを睨んでいる。

危害は加えられていなかったことにほっとして、急いで引っ張り上げて連れ帰ることになった。


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