68 ラシードとアサド
アサドは、ラシードを捕らえることが簡単にできてしまったことに失望していた。
「やつはなぜ抵抗しなかった?」
抵抗すれば、一族を皆殺しにしてもいいと魔の兵団に言いつけていたのだ。
抵抗しなかったため、あの部族はそのままにされてしまった。
「面白くない。ラシードは以前も私たちを見て見ぬふりをしていたな。腰抜けだったということか」
あの泥の中からアサドは、ラシードを睨んでいたことを思い出した。
この記憶だけは消えていない。この頃は、ポツポツと記憶が繋がらなくなっているのに……。
懇意にしていた部族だったはずだ。まだ十五歳とお互い若かったが、王に逆らった我が部族は捕まり、魔物に変わって行く。
阿鼻叫喚の地獄絵図。その様子をラシードは、青い顔をして震えながら見ていた。
アサドは、安全なところで高みの見物をしていたラシードを許せなかった。
ラシードは今も、部族を率いて、オアシスを繁栄させている。
ここ帝都はそれと反対に寂れていく。
以前と同じ体制を敷いているはずなのに、帝都は日に日に衰えていく。
なぜだ。何が欠けている。
また思考が途切れてしまう。そしてラシードのことに戻ってしまうのだ。
「ラシードは、私から王の座を奪おうとしている」
アサドの目は、今や赤く充血して、眼球のすべてが赤い。瞳孔だけが黒い点となって、周りの者たちを怯えさせていた。
誰も側には近づけない。ただ魔の兵団だけは違う。
彼らもアサドと同族だ。彼らは生まれたときから同じ部族でもある。
しかし、今のアサドは、彼らに微塵も親愛の情を感じられなくなっていた。
「それも、今日限りだ。ラシードは私の奴隷と化す。ふふふ」
ラシードが玉座の間に連れてこられた。
水も、食糧も与えられずに弱っている。頬はこけ、フラフラと引き立てられてアサドの元へ進んでくる。
後ろ手に縛られ、足は鎖で繋がれて、歩幅が狭くされている。
よろよろとうずくまり、腰を曲げてアサドに臣下の礼を取ろうと苦慮している。
――気味がいい。もっと苦しめ。
『だが、いつまでも見ているわけには行かない。さっさと支配してしまおう』
ラシードの頭に手を当てて、かつて友と呼んだ男の頭を、今は奴隷にするために掴む。
――私に従え。抵抗すれば壊れてしまうぞ。従え!
そのとき、突然ラシードから火柱が上がった。
火柱はアサドを巻き込み、二人は一緒に燃え上がった。
後には、黒く焦げた一人と赤く焼けだだれた一人が残された。
***
《サクラ、ボク入ったことある。ガジを助けたとき、王宮の中に入った》
「そうだったの。じゃあ、連れて行ってくれる?」
《うん、いっくよーっ》
一瞬目を眩まし、目を開くと目の前には黒いものと、赤く蠢くもの……なんということ。これは人だわ……。
私は急いで治癒を掛けた。
両方に。
赤くただれた方は苦しそうに転げ回り、
黒く焦げた身体はピクピクと痙攣していた。まだ生きているのだ。
《こいだば、助からねんでねが?》
「助けてみせる!」
力を最大限に使い切り、一瞬意識が切れかかる。
「少しだけ、休まないと……」
《メイリーンを連れてこようか?》
「そうだった、お願いポンタ」
やがてメイリーンと聖女たちも揃って治癒を掛け始める。
今まで気が付かなかったが、魔の兵団が遠巻きにしてぼんやりとこちらを見ていた。
それにやっと気付いて、思わず、ぎくりとしてしまったが、彼らは襲ってこようとはしなかった。
「あの人たち、おかしくないかしら?」
まるで人形みたいに感じる。
《穢れがかなり残っているはんでな。あどで、浄化すればいいベ》
半日浄化を掛け続けても、まだ二人の意識は戻らなかった。
髪の毛も眉も髭も燃えてしまい、人相が分からない。
強いて言えば大きな身体の方がラシードだろう。
恐れて逃げてしまった廷臣たちを探し出して、彼らを王宮の寝室へ連れて行ってもらった。
二人とも同じ部屋に入れてもらい、聖女たちと交代で治癒を掛け続けた。
三日後、ようやくアサドらしき人が目を覚ました。
彼の虹彩は赤かった。
じっと私を見つめ何かを思い出そうとしているようだ。
――彼にはまだ、穢れが残っているわ。
私の力はまだ回復していない。聖女たちも力を使い果たして休んでいた。
「ポンタ! 彼女たちをここから今すぐ連れ出して!」
《……え? うん……》
メイリーンたちは急に転移されてしまって驚くだろうけど、構っていられない。
「朱雀、彼を見ていて。何かしたら……お願い」
《助けたのにが? なんぼ、あへずがすねば》
朱雀はアサドから少し離れた場所に陣取って、じっと彼を観察している。
私はラシードの方へにじり寄り、そっと揺すり起こした。
「……っ」
起きてくれた。
「ラシードさん、ですよね」
「ああ、私は生きているのか……」
真っ黒焦げだったものね。あのままでは確実に死んでいた。今はやや黒い火傷が残っている程度だ。
ラシードは自らを犠牲にして浄火を発動した。アサドを道連れにしようとしたのだろう。
「ここからすぐに移動したいけど、今、私の力が枯渇しています。しばらくすればここから逃げ出せます。少しだけ待っていて」
ラシードは上半身を起こして、彼を見ているアサドを見て、項垂れてしまった。
「私の浄火は効果が無かったか。アサドの穢れを消す力がなかった。残念だ……」
ラシードの話を聞いていたのだろう、アサドが、突然話し始めた。
「ラシード、私を道連れにして死のうとしたのか」
「そうだ。アサド、君は人間とは言えない。もはや、私にも助けることは出来ない」
「……そうか。私は人では無くなっていたのか」
《おめ、魔物だど。したけど、助かるがもしれねな》
「朱雀、どういうこと?」
《この男はただの魔物とは違う気配がある。聖獣に変わるがもしれねな》
人間の聖獣?
聖人ってことになるの?
このアサドが……あり得ないわ。
今でも、身体からは禍々しいオーラが出ているように感じるのに。
「朱雀、浄化し続ければいいということかしら。そうすればメイリーンの精霊みたいになれる。そういうことでしょう?」
《んだ。サクラ。これがら、毎日浄化していげば、いい》
だけど朱雀はこうも言った。
《人間が勝つか……聖獣が勝つか……》
何のことだろう。浄化すればいいというだけではないのだろうか。
「あの、アサドさん。この国に光の使い手はいないのですか?」
「……いたらしいが。あれは元王の治癒師だった。私とは相性が悪くて処刑した」
「……」
これは私がやらなければだめなパターンだ。自分が助けてしまったのだから。
あの時の自分を蹴飛ばしてやりたい。
力は大分回復してきたようだ。この際素早く浄化を掛けよう。
早めにやれば早く終わるかもと、期待を掛けよう。
「浄化!!!」
アサドの身体が柔らかな光に包まれると、光の外に黒い靄が吐き出されていく。
靄は自然と消えていき、アサドの目を見ると、やや茶色が戻ったような、気がしないでもない。
「ありがとう。だが浄化は自分でも使えるのだ。君にばかり負担は掛けない」
アサドはそう言って自分に浄化を掛け始めた。
浄化は、あまり成長はしてないようだ。光が目に痛いのがその証拠だ。
そうだった。アサドも私と同じく複数の属性を使えたんだった。
彼は闇と光だ。私と同じく器用貧乏になったから、浄化が育たなかったに違いない。
でも、自分で掛けてくれるのは助かる。
私は残った力をラシードに使い、その日は王宮に泊まらせてもらうことにした。
アサドは……大丈夫そうだ。先ほどよりも禍々しさが消えている。
「ねえ、ポンタは? 帰って来るのが遅いね」
《んだな。なしたべ》




