63 帝王の変貌
アサドは今、王の間にいる。
彼は、以前の紋章が残る椅子をそのまま使っていた。
帝王の椅子に深く腰掛け、微動だにしない。
魔の兵士たちもアサドの周りに立ち、ピクリともしないで廷臣を見下ろしていた。
廷臣はひたすら頭を低くして、魔調整学園の収支を報告している。
玉座から離れた床に這いつくばり、一度も顔を上げず、もごもごと話し続けていた。
廷臣からは、収益が三割方減った報告がなされる。
原因は三カ国が完全に離脱し、食糧の値段も倍以上にされてしまったためだそうだ。
このままでは国民の食糧を維持できないと、廷臣は訴えているようだ。
――国民が飢えている? それがどうした。腹が減ったら砂漠へ出て行って魔物でも喰らえば良かろう。
今の彼は、ひたすら意識を保つことだけに集中するのが精一杯だ。
アサドは、生の人間の痛みとは何だったかを思い出そうと、自分に浄化を掛ける。
そして、もう一度廷臣の話に集中しようと眼を見開く。
赤い目を廷臣に向けるとその者の声が詰り、解決案を出さないまま、じりじりと後退し、玉座の間から飛び出していった。
――食糧か。食糧が取れる国を襲えばいいのか? あの小役人はそうせよと言ったのだろうか。
アサドの光のスキルは相変わらず浄化だけだが、闇の力はやや伸びたように感じている。
この闇の力に「支配」というのが新しく加わったのだ。
初めはなぜこうなるのか分からなかったが、封印を使い続けた結果、封印を解いてもその者は反抗しなくなると分かったのだ。
相手の心は完全に掌握できる。
特に簡単なのは魔の兵士たちだった。
心が完全にどこかへ行ってしまった兵士たちは扱いづらかったが、この支配を使えば、一度指示をすればそのように動く。
彼ら魔の兵士は実は使えない兵士たちだった。
己の考えで行動できないのだ。
一つ指示を出すと、延々とそればかりを続け、その内に食事を取ることも忘れて死んでしまう。
今残っている兵士は、二十人に満たなくなった。
王族を魔の兵士にしようと魔の泥に投げ入れたが、彼らは誰一人として生き残れず、魔物に転じてしまった。
仕方なく始末せざるを得なかった。
「だが精製された魔が出来上がったのには驚いた。こうやって精製していたのか……」
火の神殿の神官は魔を大事そうに掬って学園へ持って行った。
魔を持つ者は国を動かすのにある程度残しておかねば――国を維持するためには必要だ。
かと言って、魔を持たない者は手答えがない。
「支配」を使うまでもなく、奴らは従うのだ。
――力ある者を従えたい。強い、スキルを持つ者。それが我に跪く。心地よいではないか。
「魔の兵士を補充しなければならない。いや、新たな魔の兵士。それが欲しい」
アサドは、ラシードのいるオアシスの方を仰ぎみて、ゆっくりと口角があがった。
***
ラシードのオアシスは今賑わっていた。
ポルトン国からメイリーン聖女が到着したのだ。
彼女は各国を周り、魔の性質を教え導く存在となっている。まだ十八歳という若さで、国を立て直した聖女は、どこへ行っても人気があった。
「魔は、決して触れてはいけません。もし穢れた魔が身のうちに入れば、その者の心は魔によって奪われます」
「そんなことは砂漠の民なら皆知っております。聖女様」
「そうでしたね。ではこの事はご存じかしら。魔物は友にもなることを」
「嘘だ。魔物は友などなれぬぞ。食い殺される」
聖女はにこりと微笑み、懐から小さな人形を出してみせる。
白く金色の髪の毛の人形は背中にウスバカゲロウのような羽根がついている。そして皆が見ている前で飛び始めた。
「「おおおーーっ」」
「これは精霊の魔物です。浄化をして穢れを取り、わたくしの友となりました」
その後聖女は、具合の良くない者を集め癒やして回った。
聖女の奇跡に触れ、オアシスの住民やキャラバンの商人は目を見張る。
その傍で見ていたラシードも、驚いていた。
帝都から戻ったヤスミーンが、その聖女と知り合いだったと聞きラシードは喜んだ。
「聖女様が、サクラとも親しいというのか?」
「そうですよ。同期ですもの。女子寮ではお二人だけ残られて、親しくしておられました」
ラシードは以前、魔調整学園の教授ではあったが、女生徒とは面識がない。
ヤスミーンに仲立ちになってもらい、浄化について詳しく聞きたいと思ったのだ。
アサドは自分に浄化を掛けて魔物ではなくなったという。ならば、浄化は穢れた魔をきれいにしてくれるということだ。
元の婚約者や、魔の兵団を元に戻せるのではないかと期待を掛けているのだ。
「アサドはなぜ彼らに浄化を掛けてやらない?」
それが唯一の不信感となっている。
帝国はやや落ち目とはなったが、依然として力を保っている。
アサドが魔調整学園を維持したお陰だろう。
以前、自分がアサドに提唱した意見は、ずいぶんと青い考えだった。
今は反省しているが、学校の制度はやはり作り直すべきではないのか。
不要な適性検査や、長い間生徒を学園に留め置き、どうでもいい話を教え込む。
元の王の方針は変えられていなかった。
新兵になれば、負傷したり命を落す者がいる。
今、ラシードは部族を率いる立場にいる。
父親から部族を任せられて一年になるが、部族の民たちは彼を認め慕ってくれた。
アサドの部族だった者たちも、アサドに対しては諦めたようだった。
今は、ラシードの部族に正式に加入していた。
ヤスミーンも、元はアサドの部族の、生き残りだった。
だが、彼女にはもう思い入れはないようだ。
「帝都は寂れてきて、あそこにはいられなくなった」
彼女はそう言って再び戻ってきたのだ。
「ここから離れたところに塩湖があるでしょう。そこに生息している虫が、いい染料になるから、それをサクラに売りたいのだけれど、彼女、来なくなってしまって……」
「新たな産業か。それは良いな。らくだの毛を染めてみればどうだ。高く売れそうではないか?」
「そうね、そうしましょう。メイリーン聖女にも持っていって差し上げましょう」
ヤスミーンと一緒に聖女を受け入れた屋敷へ行く。
聖女はメイリーンだけではなく他にもいた。
皆若く美しい。だが、武装した者は連れていないようだ。
心配になったラシードは、護衛を付けようと申し出たが断られてしまった。
「ラシード様。私たちには精霊の守りが御座います。安心して下さい」
そう言ってぱっと消え、また現れたのだ。
「転移か!」
「はい。ある精霊は転移を、またある精霊は空間庫を使えます。そして火の浄火も」
ラシードは、そういえばと思い出していた。
「王の聖獣ガジも、元は魔物であった」
「ラシード様、浄火は使えますか?」
「ああ、スキルが成長したお陰でな……」
ネフェラ教授の人体実験で一時は魔物に転じるところだったが、一度に一リットルも飲んだお陰か、新たなスキルが使える様になった。
「浄火は、魔の穢れを除きます。ご存じでしたか?」
「何と! 本当か」
「はい。人に使えば焼け死んでしまう。でも、魔なら精製されます。わたくしの国にも魔が湧き出すのを知りました。そこを浄火してくれた神獣が教えてくれたのです」
メイリーン聖女はこうも言った。
「これから、ここ帝国は厳しくなるでしょう。何故ならわたくしがこの話を広めて回るからです。レイシス国では、自国産の魔を探し始めました。魔調整学園には生徒が、ますます来なくなるかもしれません」




