26 精霊の魔物
次の朝までまんじりともせず過ごすうちに、一番鶏が鳴いた。
「すみませんが、わたくし、これから休ませていただきます」
マーガレットは疲れた顔でそう呟く。
「ええ、ゆっくり休んで。夕べはうるさくて眠れなかったんだもの」
私はそう言い残し、彼女の部屋から自分の部屋へ行って着替える。
「エイリックに湖へ連れて行ってもらわなくちゃ。このままでは、屋敷の使用人までもおかしくなってしまう」
使用人たちは、眠れない夜でも起き出して仕事に取りかかっていた。
いまにして思えば、彼らは怯えていたというよりも、疲れ切っていたのだと分かる。
「お嬢様、お食事の用意がととのっております。どうぞ」
「大変だったわね。ここは良いわ。一人で大丈夫だから、少し休んで」
「……そういうわけにはまいりません。お言葉だけ、ありがたく頂戴いたします」
そう言って、家政婦が出ていった。
《気にすんな、サクラ。使用人は交代で休むって言ってたよ》
ポンタがそう言うのなら、そうなのだろう。
ポンタは時々、影に隠れて屋敷の中を見て回っているのだから。
では、領主はどうか――休めないよね、エイリックは。
”責任感”が服着て歩いているような人だもの。
ここに来てからエイリックはやつれた。
ヤマタイラ国へ来た時はどうだったかしら。あのときは気が動転して覚えていないけど、疲れていたのかもしれない。
考えてみれば、エイリックはまだ十六歳なのだ。私と一歳しか違わない。
こんな若さで領主を任されるというのは、相当な重みだろう。
食堂へ入って行くと、エイリックは食べ終わる頃だった。
「エイリック、おはよう」
「サクラ……眠れなかったんじゃないのか? まだ寝ていても良いんだ」
目の下にくっきりと紫のクマが見えている。エイリックは一睡もしていないようだ。
「今日は、湖へ連れて行って。私、不可思議な屋敷の原因が分かった気がする」
「サクラ、もう分かったというのか。分かった、食事を済ませたらすぐに向かおう」
エイリックの顔色が、心なしか明るくなったようだ。
***
湖までは意外と時間が掛かった。
近そうに見えていても、実際歩くとなると違った。下生えが蔓延り、草が足にまとわりつくので、歩きにくい。
「道はこまめに草を刈っているんだが、すぐにこうなってしまう。やはり魔の影響か……」
「そうだと思うよ。植物はどう? 魔物化していない?」
「今のところは見つかっていない。ミクロン諸島では、海藻が魔物化していたのだが……ここでは魔の性質が違うようなんだ」
「エイリック。朱雀が昨日言ったの。魔は、思念を食べて変化するって」
「……どういうことだ?」
エイリックと話しているうちに林の中に足を踏み入れていた。
草が腰の高さにまで伸びて、どこからが湖なのかわかりにくい。
「ここで待っていなさい、今草を刈る」
三十センチほどの幅に草を刈りながら、エイリックが進んで行く。
朱雀が《燃やすが?》と、怖いことを言い始めた。
「だめ。周りが火の海になったらどうするの」
《時間がかかりすぎるよ、湖のそばまで転移した方が早くない?》
「そうだわ! エイリック」
エイリックには打ち明けても大丈夫だろう。私の転移は見えている範囲しか行けないけど、これくらいならいける。
ポンタの転移はダメだ。あれが知られてしまえば、きっとポンタは――いくらエイリックでも……。
「なんだ?」
「私、少しの距離なら転移できる。やってみようか?」
「そうなのか? でもサクラは浄化と治癒が使えて……転移まで……」
「あとで教えるから、今は私に任せて」
「……」
転移で湖の畔に立った。
湖の縁は砂利になっていて、草はほとんど生えていない。
水は綺麗に澄んでいたが、虹色に輝く油のようなものが左側の水面を覆っていた。だけど――湖の右側には、魔が浮かんでいないのはなぜだろう。
「魔、だな」
「魔よね」
エイリックも同じものを以前見ていたのだ。すぐに確信したようだ。
「水からすくい取れば、すぐに使える精製された魔のようだ。これなら王も喜ばれるだろう」
「――だが、船が必要だ」今後のことを考えているのだろう。エイリックは湖を見ながらブツブツと独り言をつぶやいている。
私と朱雀、そしてポンタはそれどころではなかった。
湖には異様な気配が漂っているのだ。
エイリックはまだ気付いたいないようだ。
――ここにいては危険かも。
あの巨大なミズチのような気配が、ゆっくりとこちらを目指して近づいてくる。
私は、考え事をしているエイリックの腕を掴み、後ろにぐいっと引っ張った。
そこに大きな水柱が立ち上がり、今までエイリックがいた所にザブンと落ちたのだ。
「な、なんだ!」
《水の……精……ニクスって、喋ってらよ》
朱雀はここの魔物の言葉が分かるらしい。
ニクスはエイリックの属性に引きずられてきたという。
そうだった。エイリックは水の属性だった。
ニクスの言葉を朱雀が通訳し、さらに私がそれを分かりやすく言い換えるのを、尻もちをついたままエイリックは、目を白黒させて聞いていた。
「えーと、つまりは、ここには他にも魔物がいる。そう言っている。ニクスが言うには、魔を食べて分解する魔物だそうよ。ニクスが一生懸命綺麗にしているのに、勝手にばくばく食べて外へ出て行くんですって」
「結構長く話していたようだが、それだけ?」
そうなのだ。朱雀の言葉は『んだっきゃ』とか『ほったらごと』などと、方言が挟まるので長く感じる。
「ん、要約すればこんなものよ。だけど、バンシーっていう魔物は”おとぎ話が形を取った厄介なもの”だわ。浄化しても復活してしまう」
「君の浄化でも効かないとなると……どうすれば良いんだ」
《わの浄火だば、効ぐ》
「でも、朱雀のは、火事になってしまう。使ってはだめ」
《外に、誘き出せば良いんじゃないかな。サクラ、ボクがやる。やらせて!》
「だが、その魔を食べる魔物は、今はどこにいる?」
エイリックはもっともな疑問を口にした。
そうだった。元々の魔物って今はどこに隠れているの?
《ニクスが、そごさいるでばって喋ってら》
皆がぎくりとして足元を見ると、小さな虫が水辺にうようよ蠢いていたのだ。
そのうちの一匹がエイリックの手に飛びつく。呆然としているエイリックの頭から、もやもやとしたものが立ち上がり、巨大な魚が空中に姿を現し始めた。
「グロース……?」
「エイリック! グロースって何?」
「ああ、グロースはミクロン諸島で仲良くなった魔物だ。ここにいるはずがない……のだが……」
そうか。この虫の魔物は、思念を形にする魔物だ。エイリックの思念を食べた……の?
「分かったわ。きっと屋敷の使用人にもこの虫に食いつかれた人がいる。その人の思念が毎晩表れていたのではないかしら」
エイリックは素早く手に食いついた虫を払いのけ足で踏み潰す。
ギュッ、という音がして、巨大な魚がしゅーっと消え失せた。
「ここの草が気になる。使用人の探索はあとだ。原因がサクラのお陰で判明したのだ。そうなれば、ここの草もきっと取り憑かれているはずだ」
「草が? まさか……」
《いんや、草の根っこさいる! 燃やすしかねべ!》
――朱雀ったら……。
「朱雀は、燃やせば良いと言っているのか? サクラ」
「ええ、だけど、危険ではないかしら」
「朱雀。どうか燃やして欲しい。ここは水辺だ。大丈夫だから」
《まがへろ!》
朱雀が翼を広げた瞬間、足もとの草むらから、ぼうっと赤い炎が噴き上がった。
炎は地を這いメラメラと燃え広がっていく。草はふつうならこんなに燃えないはずだ。だけどここの草は、まるで藁束のように簡単に火が移りもうもうと燃えていく。
私の顔に熱気がぶわっと押し寄せ、思わず顔をそむけた。
朱雀は火をじっと見つめて、何かを操作しているように、ときおり嘴をパクッと開いたり閉じたりしていた。
草はその度に土から抜き取られ根から、ギュッ、キュッという音が聞こえた。
私が思っていたよりも、朱雀の魔法は何倍も繊細だった。
「……すごい。これが朱雀の浄火か」
エイリックは羨ましそうに、朱雀を見つめていた。
やがて炎は、自ら消えるように鎮火した。まるで「これでいい」と火自身が納得したかのような消え方だった。
焦げ臭かった空気が、風に流され薄まっていく。
《どんだ、いぐねが》
「うん、じゅうぶんだね。ありがとう朱雀」
私は、湖を振り返って、ニクスという精霊に声を掛けた。
「ニクス。そこの虹色の魔、分けてもらえないかしら。少しずつで構わないから、エイリックに分けてあげて」
水の精霊ニクスが了承したのか、水際に虹色の水を集め始めた。
「ポンタ、空間庫に入れてくれる?」
《まっかせて!》
水際には、まだ蠢く魔物の虫はいるだろうが、生態が分かれば対処出来るようになる。
「おそろしい魔物ではなかった。ただ、はた迷惑ではあるが」
エイリックは朗らかに笑いながら言った。
今までの杞憂が一気に解けて、晴れ晴れとしている。
――良かったね、エイリック。
私は、魔物ってなんだろうと考える。
虫の魔物もそうだけど、水の精霊だと自ら名乗るニクスも、実は魔物だ。
朱雀も、ポンタだってそうなのだ。
草には成長したいという思念があったのだろうか。
そして水には、綺麗にしたいという思念があるとしたら――ニクスは思念の魔物……ということにはならないだろうか。




