10 臭い獣
エイリックが入れてくれた水を飲んでみる。
味がない。
いや、そうではなくて――味はあるんだけど、それは水筒から移った味だ。
生ぬるい水が喉を通っていくが、水特有のとろりとした引っかかりがなかった。
魔法で出した水は、水自体の味が単調な気がするのだ。
私の生まれ故郷ヤマタイラ国は、水が豊かだ。
地域によって味わいが違うし井戸によっても違いがある。
すっきりした舌触りだったり、コクが感じられたり、時には甘く思える水もあった。でも魔法で出した水にはそれが感じられなかった。
「これは、雑味がないってことなのかな」
頭をかしげていると、エイリックがうんうんと頷いてこう言う。
「水の雑味、か。そうかもしれない。私の国の水は硬くてね、そのままでは飲まないんだ。ワインを入れてミネラルを取り除かないと身体を壊す」
国によって水にも特徴があるんだと、初めて知った。
水を飲みながら、兵士達の戦う姿を眺めている。エイリックも今回は見学に回っていた。
私の護衛に廻されたのだ。でも、今の私は「申し訳ない」という気持ちは消え失せている。
私の仮説が、実を結びつつあるからだ。
昨日の実験で、私の持つ浄化が治癒へと変化した。
まだ、誰にも言っていないけど、エイリックには教えようか迷っている。
兵士達が、あらかた魔物を倒し終わり、今度は私の出番だ。
首を落され、五体ほど並べられた魔物をひとつひとつ解体していった。
この魔物は犬に似ていた。
「ジャッカルが元だろうな。だが本来の大きさから比べれば倍以上だ」
班の兵士がそういう。
他の班もそれぞれの魔物を解体していて、空気にはむわっとした血の臭いが漂っていた。
肉は持って行けないので、砂を掘った大きな穴に入れて行く。
その作業をしている間、戦い疲れた兵士達は休憩に入った。
遠くから砂煙が迫ってきていると兵士が叫ぶ。
私も作業の手を止めて伸び上がって見た。確かに広い砂漠の一角にもやもやとした砂煙が見えた。
「エイリック、砂嵐かしら」
彼は厳しい顔をして剣に手を掛けた。
「あれは獣、いや、魔物の群生だ!」
段々近づく砂煙の中から、らくだの姿が見えてきた。
――らくだ? でも大きい!
あれはらくだに取り憑いた魔に違いない。身体が一回り大きくなり、攻撃的になっている。
らくだとは思えないような咆哮をあげ、こちら目指して駆けてきた。
「いかん! ここの血の臭いに誘われてきたんだ」
エイリックは私をどこに隠そうかと右往左往し始めた。
「エイリック、私は大丈夫だから、みんなに加勢して!」
「しかし、このままでは君が……」
「治癒が使えるようになったの。私なら大丈夫よ! それよりあなたの魔法で助けて上げて!」
エイリックは私を一度見てそれから走って加勢に行った。
私は自分に付いていた血を浄化し、魔物を捨てた穴から離れて砂山の上に走った。
「ここなら、見渡せる」
兵士の数は多い。百人の兵士に、それぞれ新兵もついている。二百人弱はいる。
あの新兵の中にはチビでなくなった同郷の男の子とその友もいるはずだ。
でも、誰が誰なのか砂煙が上がっていて見分けがつかない。
「エイリック!」
エイリックの金髪が光に当たってハッキリ見分けることができた。
彼は、百頭はいるだろう魔物に向かい、水筒から水を補給しながら魔法を撃っていた。
魔物は一瞬だけひるむ。その隙に兵たちが切り込んでいく。
魔物に押されて新兵らしき男が倒れた。
私は叫んでいたに違いないが、戦闘の喧噪の中、自分の声もよく聞こえなかった。
知らない間に私は走っていた。
自分でもなぜそうしたのか分からない。身体が自然に動いていた。
砂山を駆け下り、倒れた新兵に向かっていた。
周りでは魔物が次々と倒されていたが、まだ半分の魔物が嘶きながら兵を蹴散らしている。
目がけてきたはずの新兵が見当たらない。
周りには数人の動かなくなった兵が横たわっていた。
急いで治癒を掛けようとしたが、彼は、事切れていた。
伸ばした手がそのまま空を泳ぐ。私の感覚は、段々ぼやけていく。
「なんだろう、何も感じられない」
死人をこの目で見ているのに……。
周りを見まわすと、もう魔物が片づく寸前だった。ほんの数頭が抵抗しているだけだ。
「一体どれくらい時間が経った……?」
まるで時間が飛んでしまったようだった。気が付くとすっかり戦闘が落ち着いてしまっていた。
足下をもう一度見まわすと、倒されて動けなくなった魔物の間にも兵が倒れている。
彼らに走り寄り、一人一人確認するが……手遅れだった。
「サクラ! なぜここに来た」
エイリックだ。彼は無事だった。良かった……。
「エイリック。治癒が使えるのよ私。怪我人が、いたら――」
「ダメだ。絶対にやってはいけない。怪我人はテントにもう運ばれた。医療班が治療しているから、君は何もしなくていいんだ」
せっかく治癒が使えるようになれたのに、使ってはいけないと言われてしまう。
私はどうすればいいの。
ぼんやりそこに佇んでいると、変な臭いがしてくる。
魔物の臭いとも違う。臭いに向かってのそのそと歩いて行くと小さな白いものが横たわっていた。
「ここに、猫がいる……」
白目を剥き口を半開きにしてもう死んでいるのか。悪臭がする。
鼻につくような腐敗臭だった。
私は思わず浄化を掛けた。
しばらく猫を眺めていた。ただ突っ立て何も考えられない自分を、別の自分が見ているような不思議な感覚だった。
猫は、突然動き出した。手足をばたつかせて起き上がろうとしている。
ハッとして猫に近寄り抱き上げた。
猫は私を見て、
《あれ、掴まっちゃった》
と言った。
***
猫は、猫ではなかったようだ。この地に生息している”オポッサム”という生き物らしい。
「これは死んだふりをする獣だ。臭かったろう?」
オポッサムは死んだふりをするのが得意で、死臭までまき散らすという生態があるそうだ。
班長がそう教えてくれたが――喋る獣? それはないだろう。
では、これは魔物なの? でも、魔物らしくない。
一体何なのだろう。
――オポッサムという獣は、危険が迫ると死んだふりをする。
てっきり私の治癒で生き返らせたのかと一瞬気味悪く感じたが、それは、間違いだったようだ。
今、私の傍にはこの猫みたいな獣が寄り添っている。
魔物の処理も終わり、討伐隊は帰還する準備で大わらわなのだが、サクラは何もするなと、エイリックに言われてしまった。
「サクラは精神的に参っている」
班長にエイリックはそう伝えたせいで、何もしなくて良いと言われてしまったのだ。
確かに戦闘の時の私はおかしくなっていた。
オポッサムが喋ったと思い込んだのもそのせいだったのだろう。
初めてじかに兵が死ぬのを目の当たりにして、気が動転してしまった。
ポンタの硬い毛を撫でながら死んだ兵のことを考えている。
ポンタは、このオポッサムに付けた名前だ。
「ポンタ」と呼ぶと、嫌そうに目を開けまた目をつむる。
まるで名前が気に食わないと言っているようだった。
それは私の混乱した精神が、まだ回復していないせいだろうか。
死傷者は十二人で死んでしまった兵は五人だった。その内新兵は四人。
「今回は被害が少なく済んだ」
そう、隊長が言っていた。
討伐隊は帰路についた。
戦闘から解放されて、兵たちの表情も心なしか明るく見えた。
道々、私とエイリックは疑問をぶつけ合う。
「エイリック、魔物はなぜ生れるんだろう」
「君は本当に学園で学んできたのか? 魔が取り憑くためだと教わっただろう」
「それは、知っている。でも、魔は、私たちが飲まされた臭いドロドロでしょう? ここにもあるのかな」
「……それは……そうかもしれないな。もしあるとしたら、帝国が隠していると言うことにならないか?」
そうなのだ。帝国は唯一の魔の湧き出す場所を持っていると、私達に言っている。
では、この魔物はどこから湧いてきた。
この砂漠のどこかに、もうひとつ、魔が湧き出す場所があるのではないのだろうか。




