魔王城と勇者 前編
『経験』
仮に手に持つティーカップを放すとどうなるか。常識的に考えると落ちて、地面にたたきつけられ、下手をすれば割れる。しかしこれは単なる人の経験にすぎない。ティーカップを放すと落ちる、だから全ての物体は手を放すと落ちるだろう。そんな常識は経験から導き出した答にすぎないし、万有引力もその経験から得た根拠にすぎない。誰も引力なんて見たことがないのだから。つまり、もしかしたら明日ティーカップを手放したら地面に落ちないかもしれない。その場でぷかぷか浮いているかもしれないし、空高く飛んで言ってしまうかもしれない。いや明日なんてまどろっこしいことは言わない。今、貴方が持っているティーカップに限っては手を放せば浮くかもしれない。でもそうでなくて普通に落ちるかもしれない。ためしにその手を離してみよう。
ここは、旧エルナブル公国領の中心街から少し外れた森林帯にある現魔王第二王女の屋敷。少し高い土地に建てられているためその屋敷から、活気のある中心街を見下ろすことができる。そんな薄暗く巨大で少しばかり気味の悪い建物に一つの手紙が舞い込んできた。
この手紙が、後に大変な事件を巻き起こすことになろうとはまだ誰もしらない。
***
屋敷の広間、巨大な長テーブルの端に座っている一人の女性が一枚の紙を広げて眉尻を上げる。この女性こそ、この屋敷の主人。現魔王を父に持つ魔王族の王女だ。常に黒いドレスを身にまとった黒ずくめの格好であり、頭には鈍い光を放つティアラが付けられている。
と、広間に一人の男が入ってきた。少しくすんだ金髪と鋭い瞳を持った青年である。両手に買い物袋を提げ、疲れた表情を浮かべる彼はテーブルに座る彼女の前に買い物袋を置くと憎々しげに言い放った。
「……今日の夕飯の材料買ってきたぞ!! ってかよ……なんで地下に食糧が山のように備蓄されてるのによりにもよって備蓄してある材料で作れないもんを食べたいとか言うのかなぁ!?ちょっとは我慢しようとか思わんのかね!!おい!!聞いてんのか!?」
彼は息もつかずに言いきると王女を睨みつける。しかし王女はそんな事にはまるで興味を示さず手紙を見ながら答えた。
「……その食材は今夜は使わぬことになった。厨房にでも置いておくがよい」
「はあ!? ふっざけんじゃねえ!!てめえこの量を街から持ってくるのにどれだけた大変だったと思ってんだ!?俺はお前が食べたいっていうから仕方なく、ホントに嫌々行ってきてやったんだぞ? お前はその行為を……踏みにじろうっての?」
「ふん。それはご苦労なことであったな」
「ふざけんなぁああ!! 絶対喰えよ!?いいか絶対だぞ!?この材料でエミリアに食事作ってもらわなかったら俺はもう本当に…………」
彼の言葉を皆まで言わせず、彼女は自分の持っていた紙を見せる。どうやらそれは手紙の様で小奇麗な文字が並んでいた。
「…………何これ?」
「父からの手紙だ」
「父って…………魔王か!?」
「そうだ。……この前の、何といったか……あのガーゴイルの名前は」
「あ、別にいいよガーゴイルで分かるから」
「そうか、あのガーゴイルが魔王城の牢獄から勇者を連れだしたのは私だと言い広めた様でな……父にばれてしまった」
「ばれたって……なに?もしかして黙って俺のこと牢獄から連れだしてたの?」
「うむ。あのガーゴイルめ、やはりあの時に始末しておくべきだったか……」
「いや待てよ。そんで魔王はなんだって?」
「……そのことだが、すぐに魔王城に向かわねばならん。貴様もついてくるのだ」
「えー……すごく嫌なんだけど」
***
結局、嫌がる勇者もしぶしぶながら了承し、彼女達は魔王城へと向かうことになる。
「でもさぁ……魔王城に何で行くつもりなんだよ?それにエミリアは?」
勇者は頭を掻きながら、丁寧に手紙を封筒にしまう王女に疑問を投げかけた。この旧エルナブル公国領、魔王城とは山を三つも隔てたところに存在し、馬車でどんなに早く行ったとしても最低で六日はかかる。すぐに魔王城に行くことなど本来ならば不可能なのだ。
「エミリアならすでに外で待っているぞ」
手紙を入れた封筒を懐にしまうと王女は、屋敷の扉を開ける。目に飛び込んでくる景色を見て勇者が言葉を失ったのは言うまでもない。巨大な竜が頭を垂れて伏せているのだから。一体どこから呼び寄せたのかもわからないがこの竜は王女に危害を加えるつもりはない様だ。先程からおとなしく彼女達の様子を燃えるような赤い瞳で見つめている。
「……こ、この竜は……どっどこから連れてきたんだ?」
「何を言っている……エミリアではないか。魔王城から連れ出した時に貴様も乗ってきたであろう?」
「俺そんとき気絶してましたからああ!!ってかエミリアってドラゴンだったのかよ!?」
「正しくは竜人族だ」
勇者は信じられないといった表情で未だに巨大な竜を眺めていた。王女はそんな彼を放って竜の頭から背中までゆっくりと登る。背中には王女のために用意されたのであろうイスがちょこんと乗っていて、王女はそこに当然のように腰をかけた。背もたれのついた巨大な椅子だがあまりにもエミリアの体が大きすぎるのでイスが相対的に小さく見えてしまう。
その後しばらくして、四苦八苦しながら勇者もようやくエミリアの背に乗ることができた。二人が乗ったことを確認したエミリアは巨大な羽を羽ばたかせて空高くに舞い上がっていった。
「ぎゃああああっ!!落ちるっ落ちるっ!!」
残念ながら勇者にはイスは用意されていなかったので、自然と王女にしがみつく形となる。王女の表情は限りなく迷惑そうだ。
***
どれほどのスピードを出しているのだろうか。エミリアの背から目下に広がる景色を楽しもうなどという感情は出てこないようなスピードでエミリアは空を飛ぶ。下では全ての景色が線のように流れていくだけで何がどうなっているのかさっぱり分からない。ただ勇者には一つだけ分かることがあった。エミリアが飛び立つときに無意識に王女にしがみついて彼女の腰にまわしている腕。出来ることなら放したいのだが、この手を離した瞬間に自分は死ぬ。
「ス、スピード!!スピード落としてっ!!」
「駄目だ。今日中に魔王城につかねばならぬからな……」
「そ、そんなああああ……このままじゃ死ぬぅうぅ」
「…………」
もはや呆れ果てて物も言えぬ王女は小さくため息を吐いた。勇者の悲鳴でそのため息は掻き消され誰も聞くことはなかったが……
空の太陽はすでに西に沈みかけ、辺りはかなり暗い。しかしそれだけが辺りを暗くしているわけではなかった。王女たちが向かっていく魔王城。そこに近づいていくほど夜の闇とは何かが違う暗闇が広がる。そこは人の生活するところではない。常に毒気が漂い、気味の悪い魔物達が辺りに蔓延る。魔の力が全てを支配し空は常に暗く、光はそこにはない。
その名は魔王領。魔族を束ねる王、魔王の領有地である。魔王に忠誠を誓う魔物達、魔王の庇護を求める者達、そのほかさまざまな野望、欲望を持った者達が自然と集まる地域。そこに弱者は存在できない。弱者が迷い込めばすぐにあとかたもなく消えてしまうのだろう。理性も情も正義もない、ただただ強欲で貪欲などす黒い欲望の塊があるだけの死と絶望の領域。その魔の土地の濁った空を巨大な一匹の竜が飛んで行った。 その竜の向かう先には、辺りよりもさらに黒い、影のようにそびえたつ巨大な城があった。
グダグダじゃーーー分かりにくかったらすんません。




