1-03 立入警告と、森の奥
夜明けとともに宿を出た。
朝のラトナは、夕方とは別の街みたいだった。パン屋の窯の匂い。荷馬車の車輪の音。眠そうな顔で屋台を組み立てるおっちゃん。門番のおじさんに「早いな、兄ちゃん」と声をかけられ、「薬草採取です」と依頼票を見せると、にっと笑って通してくれた。
いい街だ。ゲームの頃は、朝も夜も同じ顔をしたNPCが同じ場所に突っ立っているだけだったのに。
東のカルム森までは、歩いて一時間ちょっと。
森に入ると、空気がひんやりと変わった。土と葉っぱの濃い匂い。木漏れ日。記憶にある地形とほぼ同じで、少し歩けば、覚えのある浅い沢に出た。
基本薬草の群生ポイントは、沢沿いの日当たりのいい斜面。アルオン時代、初心者向けの金策動画で百回は見た場所だ。
あった。ギザギザの葉に、白い筋。間違いない。
「よし……丁寧にいこう」
採取ナイフを土に差し込み、根を傷つけないように起こす。泥を沢の水で軽く落とし、葉の大きさを揃えて重ね、茎の向きを揃えて置いていく。
ゲームなら、クリック一回。採取物の品質なんて概念すらなかった。でも現実の薬草は、根が千切れれば傷むし、泥がつけば洗う人の手間になるし、束がバラバラなら数えにくい。
だったら、丁寧にやったほうがいい。使う人がいるんだから。
それに――正直に言うと、この作業、結構楽しい。
葉っぱの裏の露。ナイフを入れる角度で変わる手応え。自分の手で、この世界のものに触れているという実感。気づけば夢中になって、日が高くなる頃には、依頼の十束が綺麗に揃っていた。
「……早いな。もうちょっと採っておくか。買い取りもしてくれるらしいし」
斜面を登って、群生地の続きを探す。森の奥へ向かうほど、木々の間隔が狭くなり、光が薄くなっていく。
そして、それはあった。
朽ちかけた木の柵。ロープ。そして、真ん中に打ち付けられた古い看板。
『これより先、立入りを禁ず ――呪いあり』
「……」
呪い。
看板の向こうに目を凝らす。薄暗い木立の奥、しかし地面には、こちら側と同じ薬草の群生が見えた。いや――同じじゃない。葉の色が濃い。筋が銀色に近い。あれはたぶん、ワンランク上の個体だ。
日陰でゆっくり育った薬草は質が良い。アルオンでもそうだった。
俺は看板を見た。薬草を見た。もう一回、看板を見た。
……ちょっとだけ。
ロープをまたいだ。
言い訳をさせてもらうと、呪いというのは大抵、祠を荒らすとか墓を暴くとか、何かやらかした奴が受けるものだ。薬草をちょっと摘むくらいで――
ぞわり、と。
うなじの毛が逆立った。森の空気が、一段冷たくなった気がした。視界の端に、半透明のウィンドウが開く。
――――――――――
呪い『刻印・停滞』が付与されました
――――――――――
「うわ」
思わず声が出た。左手の甲に、見たことのない灰色の紋様が浮かんでいる。鎖が輪になったような、嫌な形の刻印。
「うわー……」
こすってみる。消えない。痛みはない。かゆくもない。体は普通に動く。指先の感覚も、視界も、正常。
「…………」
とりあえず、目の前の薬草を摘んだ。
いや、だって、もう受けちゃったし。ここで手ぶらで引き返したら、呪われ損じゃないか。せっかくなので銀筋の薬草を五束ぶん、丁寧に、綺麗に採取させてもらった。上物だ。惚れ惚れする。
帰り道、俺は左手の甲を眺めながら歩いた。
刻印・停滞。効果の説明は表示されなかったが、名前からしてろくなものじゃないんだろう。街に戻ったら、ちゃんと聞かないとな。
夕方の門で、門番のおじさんが俺の左手を見て、飲みかけの水を噴いた。
「兄ちゃん、あんた……森の奥に入ったのか!? 看板あっただろ!?」
「ありました」
「あったのに入ったのか!?」
「薬草が、いいやつだったので」
おじさんは天を仰いで、それはもう深いため息をついた。
「……ギルドで受付にちゃんと見せろよ。いいな、絶対だぞ」
なんだか、思ったより大事らしい。
俺は綺麗に採れた十五束の薬草を抱え直して、ギルドへの道を急いだ。




