3-13 挑戦者と命知らず
「――というわけで、今日は格上を狩りに行きます」
朝のギルド食堂で宣言すると、エルシーさんが飲みかけの山羊乳を吹きそうになった。
「か、格上!? ハヤトさん、昨日、体力26になったばかりですよね!? 安全基準を作り直すって言ってたのは、どこの誰ですか!?」
「俺です。作り直しました。その基準に照らして、今日の狩りは安全です」
「格上なのに!?」
「格上だから、です。順を追って説明します。エルシーさん、山羊乳を置いてください。零れます」
エルシーさんが、じとっとした目のまま、器を置いた。ちなみに卓の上には、彼女が書き写した新しい基準書がある。真面目な相棒は、昨晩のうちに清書を終えていたのだ。その几帳面な紙面に「格上を狩る」と書き足すのは、確かに、気が引けるが。
説明しよう。狙いは、称号である。
アルオンには、「格上」に関わる称号が二つあった。一つは『挑戦者』。自分よりレベルが20以上高い相手との戦闘から、生還する。討伐は要らない。生きて帰れば、いい。
もう一つは『命知らず』。最大体力が自分の百倍以上ある敵を、攻撃を一度も受けずに討伐する。
普通のプレイヤーには、縁の薄い称号だ。レベル20差の敵と殴り合える頃には自分のレベルも上がっていて、条件のほうが逃げていく。体力百倍の敵なんて、まともに挑めば全滅案件だ。労力に効果が見合わない、物好き向けの称号。
アルオンで『命知らず』を最初に見つけた検証勢の男は、確か、レベル制限解除前の低レベル大会で回避型を極めていた変人だった。取得報告の書き込みには「三日かけて取った。二度とやらない」とあった。俺はあの書き込みに、敬意を込めて「お疲れ様です。自分もいつか取ります」と返信した。「やめておけ」と返ってきた。いい人だった。
――やめなかった俺が、いま、ここにいる。
――だが、考えてみてほしい。
俺はレベル1である。つまり、レベル21以上の敵は、この世界の全部が『挑戦者』の対象だ。
俺の最大体力は26である。つまり、体力2600以上の敵は、全部『命知らず』の対象だ。
条件のほうから、俺に寄ってきてくれる。
「……つまり、ハヤトさんにとっては、そのへんの中堅の魔物が、ぜんぶ称号の的……」
「そうです。しかも効果が、また俺向けでして」
挑戦者は、レベル差に応じて、攻撃系のステータスが上がる。攻撃速度も、ちゃんとその中に含まれている。命知らずは、最大体力差に応じて素早さと攻撃速度が上がる。どちらも上限はあるが――レベル1・体力26の俺は、ほぼすべての敵に対して、常時、上限で発動する。
「こ、攻撃系……。あの、念のためですけど、最大体力は、入ってないんですよね……?」
エルシーさんが、おそるおそる確認した。いい着眼だ。さすが、種明かしを聞いたばかりの相棒である。
「入ってません。……もちろん、確かめてあります。昔いた場所で、取得者の報告を全部読んで、数値の変動箇所を一項目ずつ。体力側に触る称号なら、どれだけ強くても、うちのビルドでは即座に不採用です」
「そ、そこまで調べて……」
「体力が1増えるだけで、俺の設計図は崩れるので。称号は、拾う前に裏を取る。うちの鉄則です」
ちなみに、アルオンで命知らずを取る物好きは、みんな素早さが目当てだった。回避を極めたい変態……もとい求道者向けの、贅沢品。付いてくる攻撃速度のほうは、例によって、おまけ扱い。あの欄を本命にして取りに行ったのは、たぶん全プレイヤーで俺だけだ。
「じょ、上限で常時……」
「レベルを上げないことと、体力を捨てたことが、そのまま速さになるんです。この構築、何も捨ててないと言ったでしょう? ――捨てたものまで、拾って使います」
「で、でも、挑戦者って『生還する』が条件なんですよね? じゃあ、戦わずに、強い魔物の縄張りをかすめて逃げてくるだけでも……」
「鋭い。その通りです。挑戦者だけなら、それが最速です」
「じゃあ、なんで」
「命知らずが『無傷で討伐』条件なので。どうせ格上と向き合うなら、一度で二枚。それに――逃げの検証より、討伐の検証のほうが、得られる情報が多いんです。ヴェイン二刀が格上にどこまで通るか。エルシーさんの祝福が長期戦でどう回るか。全部、今後の財産になります」
「……はい。分かりました。その代わり、撤退基準は絶対ですからね」
「もちろん。四条まで全部、生きてます」
標的は、迷宮の四層に決めた。『歯車の門番』。両開きの扉を守る、鎧姿の大型機構体。攻撃は苛烈だが、動きは直線的で、何より「持ち場を離れない」。攻めるも引くもこちらの自由という、検証に理想の格上だ。
結果から言うと、二時間かかった。
『歯車の門番』は、噂に違わぬ威容だった。三メートル超の鎧姿。大剣の一振りが石畳を割り、風圧だけで髪があおられる。そして噂通り、扉の前から三歩以上、動かない。
「エルシーさんは、あの白線の外へ。あそこまでは絶対に届きません。祝福が切れたら合図します。詠唱は、必ず線の外で」
「は、はいっ……! ほんとに、ほんとに気をつけてくださいね! 26なんですからね!!」
門番の大剣は、俺の体力26を、かすっただけで消し飛ばす威力があった。だから、かすらせない。
大剣の振りは三種類。縦、薙ぎ、突き。どれも予告が大きく、どれも一撃が終わるまで長い。その「終わるまで」の間に、踏み込んで、刻んで、離れる。踏み込みは常に浅く、離脱は常に早く。
一振りの隙は、およそ二拍半。以前の俺なら、三撃入れて離れるのがやっとの窓だ。今は――二十撃入る。大剣が石畳から引き抜かれるまでの間に、継ぎ目の同じ一点へ、二十。門番が体勢を立て直すたび、また二十。手数は嵩む。嵩んだ手数だけ、装甲の継ぎ目は確実に緩んでいく。
半刻を過ぎた頃、一度だけ、ひやりとした。
薙ぎを潜った先の石畳が、直前の縦振りで割れて、浮いていたのだ。踏んだ足元が、崩れる。体勢が、半拍、遅れる。視界の端で、門番の突きの予告が、完成する――
「ハヤトさん、右っ!!」
エルシーさんの声。考えるより先に、右へ跳んでいた。突きの風圧が、左の脇腹を掠めて抜ける。掠めた空気の冷たさだけで、背中に汗が浮いた。体力26。いまのが触れていたら、俺は今頃、称号どころではない。
……観測は最強の防具。うちの後衛の目は、俺の死角まで守備範囲らしい。白線の外から、それでも戦場の全部を見てくれている人がいる。ソロでは絶対に手に入らなかった保険だ。
浮いた石畳の位置を頭の地図に書き足して、作業を再開する。焦らず。確実に。二十撃ずつ。
一時間が過ぎた頃、エルシーさんの声が飛んだ。
「祝福、切れます! ……かけ直し、います!」
「お願いします」
線の外まで下がって、呼吸を整える。彼女の詠唱の十秒間、門番はこちらを追えずに、扉の前で大剣を構え直す。律儀なものだ。ゲームの頃から思っていたが、お前のそういうところ、嫌いじゃない。
祝福、三度目のかけ直し。装甲の継ぎ目だけを、刻んで、刻んで、刻み続けた。通算の攻撃回数は、一万を数えたあたりで、素振りの癖に任せて手放した。おそらく、二万に届いている。
終わりは、二時間目の終わり際に、あっけなく来た。
二万撃ぶんの仕事を受け続けた右肩の継ぎ目が、ぱき、と乾いた音を立てて、浮いた。浮いた隙間へ、最後の二十撃。装甲の下の駆動軸が剥き出しになる。門番が大剣を振り上げ――その一振りは、もう、振り下ろされなかった。
露出した軸へ、今日いちばん丁寧な一撃を、まっすぐに通す。
巨体が膝をつき、大剣が、初めて地に落ちた。停止した瞬間――ウィンドウが、連続で開いた。
――――――――――
称号「挑戦者」を獲得
(条件:レベル差20以上の敵との戦闘から生還する)
効果:レベル差に応じて攻撃系ステータス上昇(上限あり)
――――――――――
称号「命知らず」を獲得
(条件:最大体力差百倍以上の敵を無傷で討伐する)
効果:最大体力差に応じて素早さ・攻撃速度上昇(上限あり)
――――――――――
称号「門を開く者」を獲得
効果:素早さ +1.0%
――――――――――
「三枚抜き……!」
思わず、拳を握った。挑戦者と命知らずが同時に来る算段ではあったが、門番の隠し称号まで付いてきた。今日はいい日だ。
しかも門番は、倒れ際に素材まで残してくれた。歯車仕掛けの大盾の破片。銘のある機構体の素材は、めったに出ない。これは間違いなく――
「ノエルさんが喜ぶやつですね!」
「ノエルさんが喜ぶやつです。丁寧に梱包しましょう」
背負い袋に大盾片を納めながら、エルシーさんがふと、扉を見上げた。門番が守っていた、四層の奥へ続く両開きの扉。今日は開けない。今の俺たちの基準では、まだ先だ。
「この向こうって、何があるんでしょうね」
「五層。それから、もっと下。……そのうち、基準を満たしたら、続きをやりましょう」
「はいっ。そのうち、ですね」
焦らず、確実に、一件ずつ。うちの合言葉は、迷宮の中でも変わらない。
「や、やりましたね、ハヤトさん! 二時間! 二時間ですよ! 私、祈りっぱなしで、喉がからからです!」
駆け寄ってきたエルシーさんに、水筒の白湯を渡す。彼女は三口で飲み干して、ぷはあ、と息をついた。二時間、集中を切らさずに支援を回し続けた喉である。今日の殊勲は、間違いなくこの人だ。
「……って、あれ? なんだか、ハヤトさんの雰囲気が」
エルシーさんが、目を瞬いた。
分かる。俺にも分かる。挑戦者が、いま、この瞬間から仕事をしている。格上の門番との「差」が、そのまま俺の足に、腕に、乗っている。体が、一回り軽い。
「エルシーさん。悪い報せと、いい報せがあります」
「え、な、なんですか」
「悪い報せ。おそらく今後、俺の奇行の頻度が上がります。称号の取得条件は、だいたい奇行なので」
「知ってました。いい報せは?」
「その奇行、全部ちゃんと、俺たちを強くします」
エルシーさんは、ちょっと呆れて、それからくすりと笑った。
「じゃあ、いつも通りってことですね。――帰りましょう、ハヤトさん。ノエルさんが、夕飯作って待ってるって言ってました」
工房の奥の小さな台所からは、シチューの匂いがした。二本目の準備に追われる鍛冶師が、それでも鍋を火にかけて待っていてくれる。三人で囲む夕飯の席で、今日の門番の話をすると、ノエルさんは身を乗り出した。
「に、二万回!? 一つの戦闘で!? ……ヴェ、ヴェインの刃は!? 無事なんですか!? あとで見せてください、絶対! 大型機構体の装甲を二万回って、そんな記録、鍛冶の歴史にないですから! あっ、シチューおかわりは?」
「もらいます」
「私もです!」
称号の話、装甲の話、明日の予定の話。湯気の向こうで飛び交う声を聞きながら、ふと思う。ソロの頃、称号を取った夜は、宿の天井に向かって一人でにやけるだけだった。今は、報告する相手が、二人いる。
――積み上げの味は、たぶん、少し変わった。前より、うまい。
帰り道の足取りは、称号二枚ぶん、軽かった。
初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。
以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。
私もです。
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