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3-12 一本目

 打ちの三日間、俺とエルシーさんは、落ち着かなかった。


 初日の晩、差し入れを届けに行くと、工房からは絶え間ない槌の音がしていた。トン、カン、トン、カン。いつもの軽やかなリズムじゃない。もっと深くて、祈りみたいな音だった。扉は開けず、籠だけ置いて帰った。あの音の邪魔をしていいものは、世界に一つもない気がした。


 二日目の晩は、音が変わっていた。細かく、高く、研ぎの音。エルシーさんが扉の前で祈りを一つ捧げて、俺たちはまた、そっと帰った。


「……眠れないですね、ハヤトさん」


「眠れませんね」


「ふふ。私たちが打ってるわけでもないのに」


 ギルドでも、その話題で持ちきりだった。ソフィさんは受付越しに身を乗り出して、「ノエル工房、三日も閉めてるって本当ですか? 何を打ってるんです?」と聞いてきた。


「秘密です。完成したら、たぶん、嫌でも耳に入ります」


「気になるじゃないですか!! もう!! ……でも、あの工房が『忙しくて閉める』なんて、初めてですね。……ふふ。よかった」


 最後の一言だけ、受付嬢ではなく、街の人の顔だった。この人は、あの裏路地の工房のことも、ずっと気にかけていたのだろう。


 三日目の夕方、工房の扉には「本日貸切」の札が下がっていた。


 中に入ると、ノエルさんが待っていた。目の下に隈、頬にすす、髪はぼさぼさ。なのに、立ち姿だけは、今まで見たどのノエルさんよりも、まっすぐだった。


 作業台の上に、白布に包まれた細長いものが、一振り。


「……できました」


 三人で、作業台を囲んだ。誰からともなく、深呼吸がひとつ、ふたつ。エルシーさんが両手を組んで短い祈りを捧げ、ノエルさんが布の端に手をかけて、俺を見た。俺は、頷いた。十二年待った。あと三秒くらい、なんでもない。


 布が、めくられる。


 黒い刀身だった。ゲイルの流れる水のような波紋とは似ても似つかない、光を吸い込むような、深い黒。刃文だけが、月の色をしている。柄には歯車蜘蛛の脚甲が編み込まれ、鍔元に、小さく銘が刻まれていた。


 ――呪短剣『ヴェイン』。


――――――――――


呪短剣『ヴェイン』


攻撃速度 +80%


素早さ +10%


最大体力 -49%


製作者:ノエル


『風の頂を夢見た愚か者は、魂の半分を悪魔に渡した』


――――――――――


「製作者、ノエル……」


 エルシーさんが表示を読み上げると、当のノエルさんは「ひゃう」と変な声を出して、両手で顔を覆った。


「は、恥ずかしい……! 表示に、名前、出るんですね……! わ、私の名前が、ヴェインの隣に……うう、親方に見せたい、見せたくない、見せたい……!」


「世界初の、ヴェインの打ち手ですからね。歴史的表示です」


「煽らないでください!!」


「攻撃速度、プラス、八十……」


 エルシーさんが、表示を二度見して、三度見した。


「はち、じゅう……? ゲイルが八で、みんな『おまけにしては破格』って言ってたのに……八十……?」


「はい。これが専匠武器です。……これが、私の、ヴェインです」


 ノエルさんの声は静かだった。誇りと不安が、半分ずつ。


 俺は一礼して、ヴェインを手に取った。


 軽い。ゲイルよりさらに軽い。なのに、握った瞬間、手のひらから何かを吸われるような、ぞくりとする感触があった。


――――――――――


呪短剣『ヴェイン』を装備しました


最大体力:50 → 26


――――――――――


「……っ、ハヤトさん!」


「大丈夫です。想定通り」


 体の芯から、すとん、と何かが抜け落ちる感覚。


 どう説明したものか。痛みではない。寒気でもない。強いて言えば、満タンだった水筒が、半分になった感覚。体の奥の「余裕」が、静かに目減りして、そのぶん、輪郭が研ぎ澄まされる。命の半分を、預けた感覚。悪くない。むしろ、これでいい。代償を払った分だけ、この短剣は本気で応えてくれる。


「ほ、本当に、大丈夫なんですか? 顔色とか、その、めまいとか」


「ありません。エルシーさん、手順通り、脈を」


 相棒が手首に指を当てて、数を数える。ノエルさんは固唾を呑んで、俺の顔とヴェインを交互に見ている。十二年待った瞬間の割に、ずいぶん健康診断じみた絵面だが――うちらしくて、いいと思う。


「脈、正常です。……はあぁ、よかったぁ……」


 それから、手順書に従って、日常動作の確認をした。歩く。屈む。階段の上り下り。水を飲む。……どれも問題ない。むしろ体が軽い。素早さの一割増しが、こんなに世界を変えるのか。床板の軋む位置が、歩く前から分かる気さえする。


「変な感じです。命は半分なのに、体は倍、生きてるみたいで」


「詩人ですねえ、ハヤトさん。……あ、その言葉、記録帳にもらいます」


 そして――応えは、すぐに来た。


「ノエルさん。台のカカシ、借ります」


「はいっ。……あ、あの、遠慮なく、全力で。うちのカカシ、頑丈が取り柄なので」


 工房の隅の試し斬り台に、藁のカカシが据えられる。エルシーさんが壁際に下がり、ノエルさんが記録帳を構えた。二対の目が、痛いほど真剣だった。無理もない。命の半分と引き換えの一本目が、いま、値打ちを問われるのだ。


 構える。呼吸。


 一振り目は、ゆっくり。刃の通り道を確かめるように。……いい。刃筋が、狂わない。二振り目、半分の力で。三振り目、七割。ヴェインは、どの速度でも、寸分違わず同じ場所へ帰ってくる。


 なら――遠慮は、仕舞いだ。


 いつもの初動から、振る。


 ――速い。


 祝福とは違う。祝福は、外から吹く追い風だ。これは、内側から湧く速さだった。腕が、手首が、指先が、俺の意図の先を走る。二撃目はもっと速い。三撃目で、俺は笑い出すのを堪えるのをやめた。


 振るたびに、世界が置き去りになっていく。十二年前、画面の向こうで夢見た速度の入り口に、いま、俺の体が立っている。


 気づけば、カカシの藁が、輪切りになって床に積もっていた。


 ノエルさんが駆け寄ってきて、ヴェインの刃を検めた。光に透かし、指の腹で刃先をなぞり、帳面に走り書きする。


「刃こぼれ、ゼロ。刃筋の乱れ、なし。……ふ、ふふ。当たり前です。私の子ですから。何回振りました?」


「数えてませんが、たぶん、三百は」


「三百!! 試し斬りで!! ……記録しておきます。『初日、三百振り、異常なし』。……ふふ、ふふふ、この記録帳、いつか宝物になりますね」


「…………」


「…………」


 振り返ると、二人が固まっていた。エルシーさんは両手で口を覆い、ノエルさんは、なぜか泣きそうな顔で自分の手のひらを見つめていた。


「ノエルさん?」


「……あ、いえ、その」


 彼女は、ぐしっと目元を拭って、笑った。


「私の打った子が、ちゃんと、速い人のところに行けたんだなあって。……よかったねえ、って」


「……銘の文句。『風の頂を夢見た愚か者は、魂の半分を悪魔に渡した』。これは、ノエルさんが?」


「いえ。……それが、違うんです」


 ノエルさんは、首を振った。


「その文言、設計図と一緒に、最初から降りてきたんです。刻むべき銘文まで含めて、専匠武器なんです。……私、この一文が、ずっと嫌いでした。愚か者、って。悪魔、って。私の専匠武器は呪いの証文なんだって、突きつけられてるみたいで」


 彼女は、黒い刀身の銘文を、指の腹でそっとなぞった。


「でも、打ちながら、何百回もこの文言を見てるうちに……読み方が、変わったんです。『愚か者』って、悪口じゃないんだなって。――夢を見た人、って意味なんだなって。半分を渡してでも、頂を見たかった人が、ほんとうに、いたんだなって」


 顔を上げたノエルさんは、笑っていた。


「だから、彫るとき、ぜんぜん嫌じゃなかったです。むしろ……この一文は、ハヤトさんの紹介文だなあって」


「愚か者のところがですか」


「夢のところがです!!」


 この人に打ってもらえて、よかった。心の底から、そう思った。


 風の頂を夢見た愚か者。銘に刻まれた言葉を、俺はたぶん、この先もずっと忘れない。


「――さて。それでですね、お二人とも」


 俺は、ヴェインを鞘に納めて、居住まいを正した。ここからは、パーティーの議題である。


「今日から俺の最大体力は26です。つき、うちの安全基準を全部作り直します。撤退基準の数値は半分に。被弾想定の依頼は当面受けません。エルシーさんは短詠唱の回復の習得を。ノエルさんには防具側の調整をお願いします。それから――二本目の素材集めの計画も」


「「はい!」」


 声が揃った。いい返事だ。


 エルシーさんは、その場で早速、短詠唱の練習を始めた。いつもの祈りの言葉を、削って、削って、三分の一に。


「主よ、癒やしを――……ううん、まだ長いです。もっと、もっと速く。ハヤトさんの速さに、間に合うように」


 削られていく祈りの言葉を聞きながら、ノエルさんが、ぽつりと言った。


「……なんだか、私たちまで、速くなっていきますね」


「巻き込んでいる自覚は、あります」


「ふふ。巻き込まれ甲斐が、あります」


 帰り際、ノエルさんが、鞘に納まったヴェインを、そっと撫でた。


「……いい子にするんですよ。ハヤトさんのこと、ちゃんと運ぶんですよ。速く、どこまでも。……でも、無事に」


 打ち手の声は、母親のそれだった。ヴェインは答えない。でも、腰の重みが、少しだけ温かい気がした。


 その晩、宿のベッドで、俺は腰から外したヴェインを枕元に置いて、天井を見ていた。


 十二年で、いちばん静かな夜だった。興奮で眠れないかと思ったのに、胸の中は、凪いだ湖みたいだ。夢が半分、形になると、人はこんな気持ちになるのか。


 枕元の黒い刀身に、窓の月明かりが、細く映っている。


「……よろしくな、相棒」


 柄にもない一言は、狭い部屋の暗がりに、静かに溶けた。


 一本目、完成。夢の設計図は、あと半分。

初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。

以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。

私もです。


ここまで読んで「面白い」と思っていただけましたら、

ページ下部の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても嬉しいです。

ブックマークも大歓迎です。作者の執筆速度にバフがかかります。

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