3-08 ごめん、自分のはこんなものなんだ
翌日の夕方、ゲイルの鞘を受け取りに、俺とエルシーさんは工房へ向かった。
「お夜食の籠、朝には空になって扉の前に戻ってたんですよ。お椀もぴかぴかに洗って、メモまで付いてて。『ごちそうさまでした。おいしかったです』って。……律儀ですよねえ、ノエルさん」
「ですね。……少しは、休めてるといいんですが」
扉の鈴を鳴らすと、いつもより一拍遅れて、返事があった。
ノエルさんは目の下に隈を作って待っていた。作業台の上は、いつも通りに整頓されている。いや――いつも以上に、だ。道具が一本残らず定位置に納まった作業台は、綺麗というより、何かの覚悟を決めた人の机に見えた。
「い、いらっしゃいませ……。鞘、できてます……」
差し出されたゲイルの鞘は、見事な仕事だった。抜き差しの渋みは完璧に調整され、腰への当たりを考えた反りがつき、留め具には歯車の意匠まで彫ってある。徹夜明けの隈の下で、仕事の質だけは一切揺らがない。この人は、そういう職人なのだ。
ただ、鞘を渡してくれた指先が、少し、震えていた。
「ありがとうございます。……あの、やっぱり疲れてませんか。顔色が」
「だいじょばないです……じゃなくて、大丈夫です……」
全然大丈夫そうじゃない。エルシーさんも心配顔で、カウンター越しにノエルさんの額に手を伸ばしかけた、そのときだった。
俺は、エルシーさんと目配せをして、それから、入り口の「営業中」の札を、そっと裏返した。
準備中。この店の主が、何かを言おうとしている。なら、客も、通りすがりの目も、いらない。エルシーさんが心得た顔で茶の支度を始め、俺は椅子に腰を下ろして、待った。急かさない。うちは、焦らず、確実に、一件ずつのパーティーだ。それは、こういうときも変わらない。
お茶が三つ、湯気を立てて、少し冷めかけた頃。
「――あの!!」
ノエルさんが、突然、大きな声を出した。
自分の声に自分で驚いたように、一度びくりとして、それから、作業着の裾をぎゅうっと握った。昨日、拳を握っていたのと、同じ手だった。
「ハヤトさんに、聞いてほしい話が、あります」
「……はい」
「昨日の、専匠武器の、話なんですけど。その……つてを使って、聞いてみますって、言ったじゃないですか。あれ、その……嘘、つきました」
「嘘?」
「聞かなくても、知ってたんです。ヴェインのこと」
工房が、静かになった。炉の火の、小さな音だけがしている。
エルシーさんが、そっと息を呑むのが分かった。俺は、何も言わなかった。言葉を挟んでいい沈黙と、挟んではいけない沈黙がある。これは後者だ。彼女はいま、たぶん一年ぶんの何かを、持ち上げようとしている。
ノエルさんは、うつむいたまま、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
声は、最初、上ずっていた。何度も止まって、そのたびに、握った裾をさらに強く握って、また続けた。俺とエルシーさんは、動かなかった。せかす言葉も、慰めの相槌も、いまは全部、邪魔になる。
「鍛冶師は、いつか自分の専匠武器を知る日が来ます。頭の中に、打ち方が降りてくるんです。生涯に一度の、鍛冶師の一番の晴れの日で……私にその日が来たのは、一年前でした。嬉しかった。ほんとうに、嬉しかったんです。最初の五分だけ」
「五分……」
「設計図を、頭の中でちゃんと広げたら……最大体力、49%減少って、書いてあって。それが分かった日から、私の店には、お客さんが来なくなりました」
「……それは」
「職人の間で、噂になったからです。あの店の子の専匠武器は、呪いモノだって。体力を半分も食う、誰も使わない、外れの武器だって。親方も、兄弟子も、腫れ物みたいな顔をして……だから私、ずっと隠してて。ハヤトさんたちにも、言えなくて」
彼女は、カウンターの下から、一枚の紙を取り出した。
取り出して、胸に当てて、一度引っ込めた。もう一度出しかけて、指先が白くなるほど強く握って――それから、意を決したように、カウンターの上に置いた。置いた手は、まだ紙の端をつまんだままだった。手放したら、戻れなくなると知っている手だった。
図面だった。刃渡り、反り、芯の構造、柄の仕込み。焼き入れの温度から目釘の位置まで、びっしりと書き込まれた、短剣の設計図。何度も書き直した跡があった。一年間、誰にも見せないまま、それでも描き続けた紙の厚みだった。その右上に、几帳面な字で、銘が書いてある。
――呪短剣『ヴェイン』。
俺は、図面に、見入った。
読める。鍛冶の専門知識はなくても、この図面が語っていることは、読める。線の一本一本が、何度も引き直されている。余白には小さな計算がびっしりと並び、指の油で薄黒くなった角は、数え切れないほどめくられた紙の証だ。「隠すべき恥」の設計図を、彼女は一年間、誰にも見せずに、それでも磨き続けていた。
恥だと思っているものを、磨き続けられる人間が、どれだけいる。
「私の専匠武器……ごめんなさい。こんな、ものなんです」
ノエルさんの声は、最後のほうは、ほとんど消え入りそうだった。
エルシーさんが、たまらず、そっとノエルさんの背に手を当てた。彼女自身も、目の縁を赤くしていた。当然だ。「授かりものが外れで、居場所を失う」痛みを、この工房で一番知っているのは、彼女なのだから。
「……よく、言えましたね。ノエルさん」
エルシーさんの声は、震えていて、それでも、あたたかかった。
「私、知ってます。それ、言うの、どれだけ怖いか。……えらいです。ほんとうに、えらいです」
「エルシー、さん……」
――ヴェイン。
俺の頭の中で、いくつもの断片が、音を立てて繋がっていった。客の来ない店。「腕は、いいんだよ。腕はな」と口ごもった金物屋の親父さん。「変なところ、なかったですか?」と窺った目。専匠武器の話をした夜の、白くなるまで握られた拳。昨日の、あの狼狽。
女性だから敬遠されている――俺の推理は、見当違いもいいところだった。彼女はずっと、こんなに重いものを、一人で抱えて、それでも毎朝、看板を磨いていたのか。
「一昨日、ハヤトさんが銘を言ったとき……心臓が、止まるかと思いました。嬉しいのか、怖いのか、自分でも分からなくて。つてを使うなんて嘘までついて、追い出すみたいなことして……それで昨日、一晩じゅう、考えて……考えて。決めたんです。もう、隠すの、やめようって。あなたたちにだけは、って」
途中で言葉がもつれて、彼女は小さく息を吸い直した。
「ハヤトさんの、十二年の夢が、私みたいなののところに当たってて、ごめんなさい。黙ってて、ごめんなさい。幻滅、しましたよね。呪いモノ持ちの店だって、知ってたら、常連になんて――」
エルシーさんが、音を立てないように椅子を降りて、ノエルさんの傍らに立った。手は、伸ばしかけて、止めている。いま抱きしめたら、この告白が途中で終わってしまうと、分かっているのだ。窓の外で、日暮れの鐘が遠く鳴った。
俺は、図面から顔を上げた。
言うべきことは、山ほどあった。あなたの武器は恥ではない、とか。黙っていたことを謝る必要はない、とか。俺の夢の話とか。順序立てて、誠実に、丁寧に――駄目だ。この胸の中身は、順序立てて出てくるような量では、ない。
「ノエルさん」
「は、はいっ」
「顔を上げてください」
彼女は、おそるおそる、顔を上げた。
「その前に、一つだけ、確認させてください」
俺は、カウンターの設計図を、指し示した。
「これは――あなたが『打ちたい』武器ですか。それとも、『打たされる』武器ですか」
「…………」
ノエルさんは、設計図を見た。一年間、隠して、それでも磨き続けた紙を。
「……打ちたい、です」
声は小さくて、でも、揺れなかった。
「ずっと、打ちたかった。誰も欲しがらなくても、私の一本目は、この子だって……ずっと、思ってました」
「分かりました。それだけ聞ければ、十分です」
目が合う。泣くのを堪えている職人の顔と、それから――たぶん、人生でいちばん締まりのない顔をしている俺と。
「今から、大きい声を出します。驚かないでください」
「え?」
エルシーさんが、あっという顔をして、そっと両耳を塞いだ。さすが相棒、話が早い。
俺は、息を吸った。
初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。
以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。
私もです。
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